「マイ・キューティー」
13歳上の夫は、美しい妻のことを、そう呼んでいた。
タワマン最上階の自宅、使い放題のブラックカードに際限のないプレゼント…。
溺愛され、何不自由ない生活を保障されたセレブ妻ライフ。
だが、夫の”裏切り”で人生は一変。
妻は、再起をかけて立ち上がるが…?
◆これまでのあらすじ
ひょんなことから事業を始めた里香は、かつての同僚・翔にビジネスパートナーになってもらう。彼の提案で、ある自治体のコンペに参加することにするが…?
▶前回:「ブラックカード使い放題だったのに…」セレブ妻が離婚で転落。再起をかけてあることに挑戦するが…
「お役所の資料って、どうしてこう難しいのかしら」
里香は眉間を押さえながらため息をついた。さっきから、コンペ参加に向けて、基本仕様書や説明書を読み込んでいる。
「漢字が多いからですか?当たり前のことが丁寧に書いてありますし、何も難しいことはないと思いますが」
目の前に座る翔は、相変わらず無表情だ。
「あなたこそ、ちゃんと漢字読めるの?コードばかりじゃなくて」
里香が言い返すと、翔の口元が少しだけ緩む。いつもいつも失礼なことばかり言われて、里香もかなりうまく返せるようになってきていた。
コンペは、まず書類審査があり、その後プレゼンが予定されている。書類審査用の企画提案書を作成すべく、里香は気合を入れていた。
里香の事業の今後を左右する、大事なものになることは間違いないからだ。
だが、どんなライバル企業がいるのか皆目見当もつかないし、どんな審査なのかもよくわからない。
「私、お役所みたいな堅い人たちに好かれるタイプではないじゃない?何着ていけば、いいんだろう。ネイビーのワンピースとかかなあ」
ボソッとつぶやくと、翔が大きくうなずいた。
「里香さん、そんなどうでもいい心配より、まずは企画提案書を仕上げてください。書類審査に通らなければワンピース着る機会もありませんから」
翔をキッと睨んだ里香は、視線を仕様書に戻した。
元夫からの挑戦状
「スマホにメッセージが届いたみたいですけど」
仕様書を読み込んでいると、翔が声をかけてきた。
「わざわざ教えてくれるなんて珍しいじゃない」
里香は、返事をしたついでに少し休憩を取ろうと、コーヒーカップを手に取る。
「普段と違う色のライトが光ったので、少し気になっただけです」
「違う色?」
ふと気になってスマホの画面を開いた里香は、思わずスマホを手放して「ひぃっ」と、声を上げた。
『元気ですか?噂で、事業を始めたと聞きました。あの里香が、と驚きました。人生何があるかわからないものですね。同じコンペに出ると聞き、さらに驚きましたが。楽しみにしています』
元夫・英治からのショートメッセージを読み終えた里香は、「ちょっと失礼」と席を立った。
「どうしたんですか」と心配そうな目を向ける翔を無視して、里香はカフェの外に出た。
ショートメッセージに表示された、英治の名をタップして電話をかける。
「ちょっとどういうことよ!?私がコンペに出ようと思ってること、なんで知ってるのよ!」
英治が電話に出るなり、怒りをぶつけた。
「突然電話をかけてきたと思ったら、挨拶もなく怒り出すなんて。里香、君が変わってなくて安心したよ」
のんびりとした英治の口調に、里香の神経が逆なでされる。
「質問に答えなさいよっ!」
たまらず、里香は声を荒らげる。なぜコンペに出ることを知っているのか。この話は翔以外誰も知らないはずだ。
― まさか…!?
里香は店内にいる翔を見つめた。黙々と仕事をしているようだが、まさか英治の差し金だったのか。
背筋がスーッと冷たくなり、スマホを持つ手が小さく震える。
「最近、よくカフェで新しい彼氏に仕事を手伝ってもらってるだろう?港区なんて知り合いばかりだから、見かけた人が大勢いてね。ご丁寧に僕に知らせてくれるんだよ。
で、この前たまたま君の隣の席になったヤツが報告してくれたんだ。相沢って、覚えてないか?隣の席にいたから挨拶したのに里香が目もくれず集中してたから、気になって書類を見たんだってさ」
「盗み見ってこと!?言っときますけどね、彼氏なんかじゃありませんから」
そういうことか。少しでも翔を疑ってしまったことを、里香は反省する。同時に、英治への怒りがふつふつと湧いてきた。
「さっき、同じコンペって言ったけど、どういうことよ?」
「僕の会社のことを忘れたのかい?いい機会だから、会社の新人にでもチャレンジさせてみようかと思ってね。里香のお手並拝見ってところかな」
電話越しにも、英治がニヤッと笑ったのがわかった。英治はPR会社を経営している。要するに、里香を潰しにきたのだ。
「あなたって、どこまでも性格が悪いのね。いいわ、コンペで正々堂々と戦いましょう。あなたみたいなクズ男に負けるものですか!」
勢いよく電話を切った里香だが、心中穏やかではなかった。体中から力が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまう。
慌てた様子で翔がカフェから飛び出してきて、里香の肩を抱く。
「ご、ごめんなさい…。ちょっとショックなことがあって」
「大丈夫ですか?」
普段通りの淡々とした口調だが、翔の目はひどく心配そうだ。その温かな眼差しに安心した里香は、今しがた起こった事をすべて打ち明けた。
「まさか元夫がライバルになるなんて。あの人、人間的には終わってたけど、経営者としてはかなりのやり手なの。私なんかが勝てる相手じゃない。もう無理よ…」
逆襲
うなだれながら弱音を吐く里香の話を、翔は何も言わずにひたすら聞いていた。
「だから諦めた方がいい。せっかく提案してくれたけど、ごめんなさい…」
里香がそう切り出すと、翔は静かに首を振った。
「僕を信じてくれないんですか?」
「えっ?」
思わぬ展開にポカンとしていると、翔が里香の手を握りしめた。
「僕が全力でサポートするから」
◆
「まずは、おめでとうございます。これでワンピースを着る機会ができましたね」
銀座三越。無事に一次審査を通過した里香は、気合を入れるべく、ワンピースとジャケットを新調することにしたのだ。里香に任せるのは不安だと、なぜか翔もくっついてきた。
「わあ、きれい…」
最近セレブの間で人気のワンピースを前に足を止めると、翔があからさまに咳払いをした。
「あ、すみません」
翔に促された里香は、セオリーリュクスに入り、ネイビーのワンピースとジャケットを購入した。
「お茶でもしていく?」
外に出た里香が提案すると、「洋服も買ったことですし、二次審査の準備をしましょう」と翔に一蹴された。
その日から二次審査が終わるまで、里香と翔は毎日プレゼンテーションを猛特訓し、ついに当日を迎えた。
◆
二次選考から2週間ほど経過した頃。
コンペに応募していた自治体から郵便物が届いた。ひとりで見るのはなんだか怖い。
里香は「一緒に開けてほしい」と、翔を呼び寄せた。
「じゃあ、行くわよ!」
中の書類をパッと広げると、短い文章が目に飛び込んできた。
『契約候補者に選定しました。手続きについては、別途連絡いたします』
一瞬、時が止まる。
何が何だかわからなかった。感情が追いつかず固まっていると、翔が「やった、やった。里香さん、やりましたよ」と、柄にもなく感情を爆発させた。
彼の反応から、里香は喜んでいい状況なのだと悟る。
「やった…」
それを言うのが精いっぱいだった。込み上げてくる涙を堪えきれず、里香は手で顔を覆う。
顔をぐしゃぐしゃにしながらむせび泣いていると、翔が里香の背中にそっと手を当てた。
「よく頑張りましたね」
「落ち着くまで、少しこうしててもいい?」と里香が聞くと、言葉では何も言わなかった翔だが、そっと里香を抱きしめた。
「ありがとう」
居住まいを正した里香は、明るい笑顔を翔に向けた。
「落ち着きましたか?」
「うん。あなたには感謝してもしきれないわ。本当にありがとう」
里香が頭を下げると、翔は「ついにやりましたね」と、悪戯っぽく笑ってこう続けた。
「近いうちに、自治体のホームページに最終結果が掲示されるはずです。そこには、他の候補者の点数も載るはず」
そこまで言われてハッとなった。
「私、元夫に勝ったのね」
まさかこんな形で彼に逆襲することになるとは。
「ついに、ついにやってやったわ」
里香は自分の勝利をかみ締めながら、つぶやいた。
「今気づいたんですか。相変わらずボケてますね」
「うるさいわね。ねえ、今日くらい…」
そこまで言いかけたところで、翔がそれを制した。
「僕に言わせてください。この後、食事にでも行きませんか。あ、そうだ。里香さん、ついに出世したので…」
「もちろん、私がご馳走するわ」
里香は翔の手をギュッと握りしめた。
Fin.
▶前回:「ブラックカード使い放題だったのに…」セレブ妻が離婚で転落。再起をかけてあることに挑戦するが…
▶1話目はこちら:「噂通り、頭が悪いんですね」突然家に来た夫の浮気相手に挑発された妻は…
▶Next:9月22日 木曜更新予定
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2022年9月15日