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「出産後も、それなりに稼いでる君ってさ…」夫が放ったその一言で、妻が離婚を決意したワケ

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「出産後も、それなりに稼いでる君ってさ…」夫が放ったその一言で、妻が離婚を決意したワケ

年収8桁は当たり前。
予約のとれないレストランに頻繁に通って、
画面の向こう側の人たちとコネクションがあって、
美男美女で賢くて…。

「あの人みたいになりたい…」とみんなから羨ましがられるハイスぺたち―。

けれど…

そんな人間も、実は人知れず意外な闇を抱えていること。

あなたはご存じですか?

▶前回:裕福な暮らしから一転、激貧のアルバイト生活へ…。どん底を味わった男の、意外な40代の生活



ケース8:全てを手にしたハズの女


東京で上を目指すには、美人なだけじゃダメ。賢いだけでもダメ。その両方がなくちゃ。

そして、そのいずれもが群を抜いていなくちゃ…。

年の離れた、まさに才色兼備な姉がいた私は、高校時代からそんなませたことを考えていた。


そして、私は姉に負けず劣らずの女性へと成長した。

一橋大学を卒業し、大手外資系投資銀行に就職。同僚だった彼と29歳で結婚し、30歳で男の子を出産した。

本当は東大へ行きたかった。結婚相手も同業はできれば避けたかったし、願わくば子どもは男女の双子がよかった。

細かいところで、もっともっとという欲求はあったけれど、大枠私の人生は大成功と言ってよいと思う。

誰からも羨まれる、幸せな人生。

それを、私は自分の手でゲットしたのだ。


本気でそう思っていたのに…。

その成功を自分の手で得たからこそ、私は思わぬ落とし穴にはまることになる…。




私は目鼻立ちがくっきりしている方ではなかったけれど、化粧が映えた。大学時代は、キャンパスで多くの男性が私に振り返った。

年収1,000万なんて、20代前半で越えた。

恵比寿あたりで商社マンとの食事会にきゃっきゃっしてる女たちを、浅はかだなって見下してた。

若い頃から私は、自分が才色兼備であるということを自負していたのだ。それも、そんじょそこらのレベルじゃない、って。



だけど、それらは私が自分の手で掴み取ったもの。

もちろん、それなりに地頭が良かったというのはあるが、それでも一橋大学へ現役合格するためには相当な努力をした。留学経験があるわけでも帰国子女でもない私が、英語を仕事で難なく使いこなせるレベルにまで持っていくのは、密かにかなり苦労した。

それに…。

20代中盤頃までは、仕事には我武者羅に食らいついていた。まだ働き方改革なんて言葉がない時代で、朝から晩まで大量のモニターとにらめっこしながら、本当に文字通り必死だった。

下手をしたら、首を切られる。

いくらでも転職する先があったとしても、ここまで努力して手にした肩書はそうやすやすと手放したくない。

今思い返すと、生か死か、そんなレベルのプレッシャー下にいたように思う。



そんなふうに仕事に一生懸命だった私を、今の旦那は好きになってくれたという。

彼もまた、私の相手として申し分のないスペックとルックスの持ち主で、友人からはそれはそれは羨ましがられた。

自ら出会いの場に出向かなくても、普通に仕事をしているだけで、ハイスペックな男性が向こうからアプローチしてくる…。

それは、とても稀有なことだったらしい。

けれど、当時の私にとっては当たり前のことだった。

だって、私はそれに見合う女なのだから。それだけの努力をしたのだから。

日々、当たり前に努力をしていたけれど、それにしても私の人生はトントン拍子で進んだ。

彼と29歳で結婚し、30歳で男児を出産し、かわいい息子を抱きかかえながら、幸せを感じていたのだが…。

“それ”は、本当に不意打ちでやってきた。

夫を送り出し、一通りの家事を終え、昼寝する息子の寝顔を見つめていたときのことだった。


― 私、こんなことしてていいのかな…。

急に、そんなことを思ったのだ。

必死に頑張ることが当たり前の毎日の中で生きていた私が今、“長期休暇”を取っている。

もちろん、息子はかわいい。育児という素晴らしい体験をしていることは十分にわかっている。

けれど、今まで必死に築き上げてきた自分のキャリアが台無しになってしまうんじゃないか、そんな焦燥感にも似た不安に襲われたのだ。



私はすぐに仕事に復帰した。思ったら、すぐに行動に移してしまう性格なのだ。

けれど、うまくはいかなかった。

どちらかが子どもの面倒を見なくてはいけない。「家事と育児は一緒にしよう」という合意はあったけれど、均等に分担するなんて、実際問題きれいごとだった。

夫と私を比べたら、3歳上の夫のほうが稼ぎはいい。体力もあるし、経験値も高い。

稼ぎが少ない方が、子どもの面倒を多くみる。これは明確に言葉にはしなかったけれど、2人の間にはそんな暗黙の空気感が流れていた。

結局…私は、外銀を辞めざるをえなくなったのだ。

それでも自分のキャリアを諦められなかった私は、もう少し融通の利く関連会社に転職した。

会社の格が落ちても、まだ頑張れる。まだステップアップの余地はきっとある。そう信じていたのだ。

でも、私は知らなかった。会社の格が落ちると、中にいる人間の格も落ちるなんて。

一生懸命に仕事に向きあうその姿勢を利用し、雑用ばかり押し付けられるようになってしまった。

仕事量は多いけれど、キャリアアップとはほど遠い。自分の思い描いていた道とは全く違うその実態に、ある日、自分の中で何かがぷつんと切れてしまったのだ。

なのに、産休も育休もとっていない夫は、そんな私の心情なんて露知らず、着実にキャリアを強化している。コマを進め続けている。

1つ屋根の下一緒に暮らす人間が、私を差し置いて充実した人生を送っている。それが、どうしても許せなくなってしまった。

そして、決定的な出来事が起こった。

私が真剣に悩みを相談したとき、夫はこう言ったのだ。

「それなりに稼いでるし、それなりにキャリアあるんだからいいじゃん。それに、そこらへんの男性より断然稼いでるんでしょ?贅沢な悩みじゃん」

まるで人ごとだった。

確かにそうなのかもしれない。傍から見たら贅沢な悩みなのかもしれない。

でも、贅沢でもなんでも、悩みは悩みなのだ。それに、育児がなければ、私は今頃もっとキャリアアップできていた。

私の中に生じた焦りや不安は、徐々に怒りへと変わっていった。





私は、どうしてもその状況に我慢できなくなった。

だから私は、夫と離婚した。

私の悩みを“贅沢”と表現したその時に、どこかで「もう無理だ」と悟っていたのかもしれない。

傍から見たらどんなに贅沢でも、私にとっては人生がかかった真剣な悩み。

それに、その“贅沢”な悩みができるステージにまで昇ってこれたのは、自分が必死に努力し続けたからだ。

私にとっては贅沢でもなんでもない、悩むべくして悩んでいる重要なこと。

それをどうして、努力してないその他大勢の人間と比較して“贅沢”だなんて一刀両断できるのだろう。

私は、そんなふうに切り捨てた夫がどうしても許せなかった。


…夫に、もっと苦しんでほしいと思った。

だから、彼が一番愛していた子どもを彼から引き離した。

もちろん、生活は一気に苦しくなった。急にシングルマザーとなった私に、色んなものが一気に押し寄せる。

キャリアアップへの道もさらに険しくなる。

正直、今、まったく幸せじゃない。

ビジネスマンとして自分を俯瞰して見たとき、自分の下した判断が全く合理的でないことは、頭では十分すぎるほどに分かっていた。

でも…。

でも、私のこれまで必死に積み重ねてきた努力を、そんなふうに切り捨てる人間と同じ家では暮らせない。ただでは許してはおけなかったのだ。


私のこと、…バカだと思う?

ふと、自分でも「何してるんだろう」と思うことがあるよ。

でも、それでも、どうしても過去の自分の努力を踏みにじることだけは許せなかった。

…私のプライドが、どうしても許せなかったのだ。


▶前回:裕福な暮らしから一転、激貧のアルバイト生活へ…。どん底を味わった男の、意外な40代の生活

▶1話目はこちら:「ヒゲが生えてきた…」美人すぎる女社長の悩みとは

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モテたいだけだった男


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