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パラグアイの日系人男性が、少年野球のチームメイトと35年ぶりに再会!その相手とは?:世界!ニッポン行きたい人応援団

テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、コロナが収まったらすぐにでもご招待したい!「ニッポン行きたい人応援団」と、35年の絆を繋ぐ友情物語「ニッポン再会応援団」をお送りします。

大相撲力士を目指し、相撲部屋と同じ生活を送るイスラエル男性


紹介するのは、イスラエルに住む「相撲」をこよなく愛するヤルデンさん。


収穫を占う儀式として始まった、ニッポンの相撲。江戸時代には現在の大相撲につながる興行も始まり、技と力を競うスポーツへと発展しました。そのため、力士には強さだけでなく礼儀作法や品格を求められます。

大相撲の力士が自分の理想像だと話すヤルデンさん。2年半前には仕事も辞め、本腰を入れて力士を目指すことを決意したそう。伸ばしていた髭を剃り、髷を結えるように髪を伸ばし、力士になるためだけに生活の全てを一変。6年前90キロだった体重は、今では130キロに!

ヤルデンさんが相撲と出会ったのは、4歳の時。イスラエルで放送されていたニッポンの大相撲を観て、力士になる夢を持ったそう。以来、衛星中継が見られる祖父の家に通い詰めて取組を観戦し、インターネットで昔の取組の動画なども観て勉強しています。部屋には、大鵬や千代の富士、白鵬など大好きな力士の写真を飾っています。

そんなヤルデンさんが衝撃を受けた取組が、1981年の初場所、当時関脇だった千代の富士と、横綱・北の湖との優勝決定戦。小柄な千代の富士が巨漢の北の湖を投げ飛ばし、初優勝を決めました。体の大きさに関係なく、鍛錬すれば勝敗を覆せると気づかされたとか。それから約20年、ニッポンの大相撲の力士になることを夢見てきました。
ヤルデンさんがどんな生活を送っているのか、見せてもらうことに。


朝は6時に起床し、庭の木を相手に鉄砲を300回。四股を200回踏み、すり足や立会いの稽古も。相撲部屋を意識した朝稽古です。さらに、スポーツジムに移動。イスラエルには相撲道場がないため、レスリングの選手を相手にぶつかり稽古を行います。「レスリングも相手の懐に入って体をつかむ動作が重要なので、トレーニングも似ているんです」。

実際、ニッポンの大相撲でも前頭三枚目の宇良関など、レスリングから転向した力士が活躍しています。ヤルデンさんは、自分と体型が変わらないのに、土俵に立つと大きく見える宇良関について「堂々とした立ち居振る舞いは、まさに私の目標です」と語ります。


相撲部屋と同じ稽古に加えて、レスリングのトレーニングを独自にアレンジした練習メニューも取り入れた、毎朝4時間の稽古。これを2年半前、21歳の時から続けています。


朝稽古の後はスーパーへ。力士同様の生活を始めてからは、食事も家族とは別。買い出しも自分でしています。お肉や野菜など、この日買った1日分の食材は7.6キロ。この食材で、ちゃんこを作ります。昆布で出汁をとり、インターネットのレシピを参考に、白味噌や醤油で味付け。ニッポンの力士と同じものを食べたいと、日本米も取り寄せているそう。
「食べるのも稽古ですから」と、出来上がったちゃんこを夢中で頬張ります。1日の摂取量は、約1万キロカロリー! 相撲部屋と同じく、1日2食の生活を毎日続けています。

ちゃんこの後は、相撲部屋と同様に昼寝の時間。2時間たっぷり休んだら、歴代の横綱の取組を分析し、力士ごとに技の特徴などをノートにまとめます。いつかニッポンで稽古をする時、親方の言葉を理解できるよう日本語の勉強も欠かしません。

ニッポンにはまだ一度も行ったことはありませんが、大相撲の力士になるため、ストイックに相撲生活を続けるヤルデンさん。実は、今すぐにでもニッポンに行きたい理由が。

兵役後、21歳での来日を目指し、仕事とアルバイトを掛け持ちして貯金していましたが、新型コロナで渡航できなくなり、頓挫。大相撲の新弟子検査の年齢制限である23歳を超えてしまいました。
しかし、特定の大会で成績を残し、親方を通じて申請した新弟子検査に合格すれば、24歳まではチャンスがあります。現在24歳のヤルデンさんは、一縷の望みをかけ、ニッポンに行けるよう、コロナ禍の今も準備を続けているのです。


外国人力士は部屋に1人しか在籍できないという大きな壁もありますが、「何よりも相撲を愛しているので、力士になる夢は絶対に諦めたくないんです」。父親はそんな息子を「一生懸命夢に向かって努力する息子を誇りに思うよ」と見守っています。

「ニッポンで相撲を学んで本物の力士になりたい! 本当に誰よりも相撲を愛しています! ニッポンに行きたい!」と意気込むヤルデンさん。応援団をご覧の大相撲関係者の皆さん、ご一報をお待ちしています!

続いて紹介するのは、南米パラグアイ在住の日系2世、関富美男さん。


南米大陸のほぼ中央、パラグアイに日本人の移住が始まったのは86年前。今では約1万人の日系人がパラグアイで暮らしています。関さんの叔母にあたる日系1世の関淳子さんは、パラグアイ移住政策の最初の一人。パラグアイは数ある開拓地の中で最も過酷といわれ、日本移民は虎が住むジャングルでテント生活を送り、原生林を切り開いてきました。苦労を重ねてきた淳子さんは、富士山に似た山を心の支えに生きてきたそう。

30年前にニッポンを訪れ、ご先祖のお墓参りをした淳子さん。再びニッポンに行きたい気持ちはあるものの、高齢を理由にニッポンご招待を辞退。ニッポンに一度も行ったことのない、イグアスに住む甥っ子の関さんを紹介してくれたのです。


関さんの奥さん、ゆかりさんも日系2世で、ニッポンに行ったことはありません。お子さんは3人いて、皆イグアス生まれです。関さんの自宅には、たくさんのトロフィーが。パラグアイではサッカーが盛んですが、日系人の間では野球が人気で、関さんは11歳から少年野球のチームに所属。キャッチャーとしてパラグアイの全国大会で3連覇を達成しました。

広大な敷地面積の農場で働く関さんは、主に作物の種や肥料の管理を任されています。ニッポンより物価が安いとはいえ、生活するのがやっと。がむしゃらに働いても、月給は約5万円。今までニッポンへ行く余裕はなかったそう。

実は、関さんには会いたい人がいます。それは、少年野球のチームメイト。1990年、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した岡林洋一投手です。1992年にはエースとして15勝を挙げ、14年ぶりのリーグ制覇の立役者に。日本シリーズでは3試合完投し、投球数は430球! 獅子奮迅の活躍は、今もファンの間で語り継がれています。

野球界のレジェンドとなった岡林投手は、実はパラグアイのイグアス出身。岡林投手は14歳でニッポンへ帰国しましたが、関さんと3年間バッテリーを組んだ親友です。「岡林に会ってみたいですね」と関さん。

そんな関さんと、奥さんのゆかりさんをニッポンにご招待! 6年前、生まれて初めてニッポンへやってきました。

初めてニッポンに降り立ったものの、「全然実感が湧かない」と話す関さん。まずは都内へ向かいますが、渋谷のスクランブル交差点で人の多さに圧倒され、呆気に取られてしまいます。

翌日向かったのは、逆さ富士が有名な山梨県の山中湖。富士山といえば、誰よりも思いが強いのは叔母の淳子さんです。「叔母にも富士山の写真を見せてあげたいですね」と関さん。到着早々、2人が気になったのは雪。パラグアイの12月の平均気温は27度なので、これまで一度も雪を見たことがないのです。人生で初めて雪に触れ、感激する一幕もありました。


しかし、肝心の富士山は雲が多くて見えません。そこで、雲が少ない場所を調べ、反対側の静岡県へ。最初は山頂しか見えませんでしたが、30分後、まるで2人を祝福するかのようにその姿を現しました。「実際見ると違いますよね」「感動します」と富士山を写真に収めた2人。淳子さんにいいお土産ができました。

翌日向かったのは、高知県の桂浜。実は、関さんの親友・岡林さんは高知で暮らしていますが、本人はまだそのことを知りません。


この日の昼食は、来日したら食べたかったという、豚骨ラーメン。コクのあるスープを堪能していると……なんと岡林さんがサプライズで登場! 再会を喜び合います。
岡林さんは、ヤクルトスワローズの編成部に所属。高知に住み、中国・四国地方のスカウトを担当しています。
パラグアイでの記憶は残っており、関さんのこともしっかり覚えていました。岡林さんが寝坊した時に起こしてくれたことなど、当時の思い出を語ります。
「(パラグアイに)行きたくなっちゃったな」と話す岡林さんに、「みんな歓迎してくれるよ」と関さん。

岡林さんは、関さんのために高知の観光名所を案内し、お魚の美味しいお店へ。海がないパラグアイでは、刺身の定番はティラピアという川魚。関さん夫婦は、初めて見る色とりどりの刺身に感動! 高知名物・カツオのたたきに「最高やね」と舌鼓を打ちました。

次に向かったのは、高知市総合運動場野球場。高校野球や独立リーグの予選で使う球場です。イグアスの球場は赤土で、外野フェンスもありません。関さんは「初めてだよ、こんなグラウンド」と感激し、選手たちが座るベンチからグラウンドを眺め、岡林さんと昔話に花を咲かせました。


岡林さんによると、イグアスのチームで初めて優勝した時は、レギュラーではなく補欠だったそう。2年目は関さんとのバッテリーで優勝し、3年目の大会を1週間後に控えた時、ニッポンへ帰国しました。当時は、キャプテンたちが岡林さんの父親を説得しに、家に来たとか。

ピッチャー岡林、キャッチャー関のコンビで、全国3連覇を成し遂げたかった関さん。その思いは35年経った今も消えることはありません。今でもキャッチャーミットを大事にする関さんには、岡林さんとキャッチボールをするという夢がありました。そこで、35年ぶりにバッテリーを復活! 岡林さんのボールを受けた関さんは、「まだ(プロで)通用するよ」と嬉しそう。長年の夢が叶いました。

「良かった、会えて」「本当!」と再会の喜びを噛み締める岡林さんと関さん。関さんは「またイグアスにどうぞ。みんな待ってるから」と声をかけ、握手を交わしました。

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それから8ヵ月後、岡林さんが生まれ故郷のイグアスを訪れ、関さんの元へ向かうことに。35年ぶり、初めての帰郷です。

岡林さんは、生まれてから中学2年まではイグアスで暮らし、その後ニッポンの高校・大学に進学しました。イグアスに近づいてくると、通っていた学校などが見え、当時の記憶がよみがえります。学校のグラウンドでは、日系移民の友達と遅くまで遊んだたそう。


いよいよ関さんのお宅へ。家族の皆さんに協力してもらい、本人には内緒で「ブエノスディアス! こんにちは!」と声をかけると関さんが登場。「またサプライズか!?」と笑顔がこぼれます。

お土産として関さんにはグローブを、ゆかりさんには炊飯器を渡すと、ゆかりさんからパラグアイ流のおもてなしが。「テレレ」と呼ばれる水出しマテ茶です。「懐かしいね。美味しい!」とテレレを飲む岡林さん。子どもの頃は、苦くて飲めなかったそう。

ここで、岡林さんが会いたかったという人のもとへ向かいます。それは、関さんの双子の弟・美津男さん。少年野球のチームメイトです。美津男さんはちょっとふくよかになっていましたが、「変わってない。すぐわかった」と岡林さん。関さん兄弟とは、よくケンカをしていたイメージがあるとか。

昔話をする中で、岡林さんが当時住んでいた家がまだ残っていることがわかり、見に行くことに。岡林さんは中学の時、自宅の庭にアボカドの種を植えて大切に育てていましたが、実がなる直前にニッポンへ帰国したのです。

現在住んでいる方に許可をいただき、敷地の中へ。14歳まで住んでいた家は当時の姿そのままでしたが、裏庭に植えたアボカドの木は伐採されており、岡林さんは「うわーすごいショック。見たかったな」と残念そう。少年野球のチームに入る前は、この家で壁当てをしていたとか。この壁当てが、プロ野球人としての原点なのです。


岡林さんの帰郷を聞きつけ、少年野球のチームメイトも集まってくれました。全国大会3連覇を成し遂げたメンバーは、35年経ち、平均年齢約50歳の大人に。それぞれ農業や酪農業など、さまざまな分野で活躍しています。

皆が集まったのは、牧場と東京ドーム21個分の大豆畑を運営している、幼なじみの伊藤勉さんの家。ここまで成功を収めるのは、日系移民でも一握りだそう。仲間が集まった時も、飲むのはテレレ。水をつぎ足しながら回し飲みするパラグアイ先住民の習慣が、今も残っています。

友人たちにイグアスの街を案内してもらうと、岡林さんがいた時代にはなかったスーパーマーケットが。日系移民が大豆大国にしただけあり、地元産の大豆で作った納豆や味噌も置かれています。値段は1個110円と少々割高。平均月収が5万円ほどのパラグアイでは、日本食は高価な食べ物なのです。

翌朝、岡林さんと関さんが向かったのは、イグアス野球場。日本球史に名を残すイグアスのレジェンドが、後輩の練習を視察することに! 「グラウンドそのものは変わってないですね。ただフェンス後ろ、周りは変わっているので、本当に立派な球場になっています」と話し、35年ぶりにホームグラウンドの土を踏みます。

この日は、小学生と中学生の合同練習。後輩たちの野球のレベルを見たところ、ボールを捕って投げるという基本がまだまだのよう。野球が上手くなる楽しさを少しでも知ってもらおうと、岡林熱血指導塾が始まりました。

「なんでミスしたかわかる? 捕る前に“投げたい”が頭にあったの。だからミスしたの。ちゃんと捕ろうね」と、丁寧に指導。1時間もすると、皆みるみる上達していきます。岡林さんは、子どもたちにユニフォームと帽子をプレゼント。故郷に戻ったら渡してほしいと、ヤクルトスワローズから託されたものです。

ここで、3連覇OBチームと現役の青年部チームで親睦試合をすることに。ピッチャー岡林、キャッチャー関のコンビで試合のバッテリーを組むのは、実に35年ぶり。岡林さんは、日本シリーズで使用した伝説の青のグローブを使います。

試合が始まり、最初のバッターにヒットを打たれると、現役チームが容赦ない猛攻。なんと初回で8失点! マウンドの岡林さんは回を追うごとに調子をあげ、3三振を奪う好投を見せますが、試合は4対14で現役チームが大勝する結果に。それでも「久しぶりにみんなと会えて、動かない体が動きました」と楽しそうな岡林さんでした。


球場の脇には、パラグアイのバーベキュー・アサードの準備が。岡林さんのために、関さんや地元の友人が準備してくれたのです。地元のヒーローが35年ぶりに故郷に戻ったということで、友人知人がどんどん集まり、100名以上で歓迎パーティーが始まりました。

パーティーには、肉と玉子と玉ねぎが入った揚げ物「エンパナーダ」や、マンディオカという芋を揚げた「マンディオカフリート」も並びます。岡林さんのために、ゆかりさんが作ったパラグアイ料理です。岡林さんはエンパナーダが食べたかったそうで、「うまいわ!」と故郷の味に大喜び。

アサードも、日本を出る前から食べたかったもの。炭火で2時間近くじっくり焼き、岩塩で味付けした牛肉のアサードを堪能。お腹いっぱい食べた後は、みんなで暗くなったグラウンドへ向かい、イグアスのヒーローの帰還を記念した打ち上げ花火を楽しみました。

楽しかったパーティーもお開き。最後に岡林さんは「僕にとってはこのイグアスは、生まれ故郷であり、ふるさとだと思っています。今日こうやってみんなに集まっていただいて、本当に嬉しく思います。野球ももちろんそうですけども、良い仲間に巡り会ったんだなと本当に思っています」と挨拶し、仲間たちと握手を交わしました。


帰国直前、岡林さんは関さんの自宅へ。マテ茶などのお土産をもらい、岡林さんは現役時代に使っていたユニフォームにサインをしてプレゼント。「富美男、本当にありがとう。お互い頑張ろうね」と伝え、再会を約束しました。

あれから5年。関さんからのビデオレターを、岡林さんに観ていただきます。岡林さんの仕事は、以前はアマチュア選手のスカウトでしたが、現在はプロ選手の進路相談を行うポジションになったそう。


ヤクルトスワローズの試合は、全部チェックしているという関さん。帰国前にもらったサイン入りのユニフォームは、関家の家宝として、袖も通さず大事にしまってあります。ゆかりさんも、お土産にもらった炊飯器を見せてくれて、「これで炊くご飯はとてもおいしいです」と感謝を伝えました。

息子さんからも報告が。高校最後の年となった智也さんは、関さんがお土産にもらったグローブを譲り受け、2年前の全国野球大会で優勝。殊勲選手賞も獲得したそう。「岡林さんのおかげです。ありがとうございます」とお礼を述べる智也さんに、「いえいえとんでもないです。あなたの努力です」と岡林さん。

そして、話題はある高校生の話に。「今年(イグアスから)プロ野球入りを目指して日本に行った高校生がいるんですけど、知っていますか?」と関さん。実は岡林さん、この高校生と高知で会ったことがあるそう。


今年の春、イグアスの野球チームから推薦を受け、高知ファイティングドッグスに練習生として入団した二口卓矢投手。岡林さんとは、ある繋がりがありました。
5年前、岡林さんがイグアスで少年野球の指導をした際、その中に二口投手がいたのです。岡林さんからアドバイスを受けた二口投手は練習を重ね、ニッポンのプロ野球入りを目指す選手に。二口投手によると、高知で再会した際「死ぬ気で頑張れよ!」と激励されたとか。

これまで、岡林さんからいろいろサプライズがあったと話す関さん。「今回は僕からのサプライズがあります」と告げると、ビデオレターから生中継に! 岡林さんと関さんとの友情の絆を、5年ぶりに結びました!

現地は朝5時。早朝にもかかわらず、ゆかりさんや息子さんたちを始め、友人たちやパラグアイ野球連盟の会長さんまで集まってくれました。すると、関さんから報告が。なんと、街のレジェンド岡林さんの名を後世に伝えるべく、この日イグアスで行われる全国大会を、岡林さんの名を冠した記念大会にするというのです。優勝カップのプレートにも、岡林さんの名前が記されており、本人はびっくり!

「またいつかイグアスに帰ってきて、その時は始球式を頼めたら最高だなと思うんだけどね」と関さん。岡林さんは「わかりました! じゃあまた元気で会いましょう!」と話し、帰郷を約束しました。

関さんをニッポンにご招待したら、親友の岡林さんと再会でき、故郷の仲間たちとの35年の絆がさらに深まりました!

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月曜夜8時からは、ゲストに早見あかりを迎えて、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」“ご招待で人生変わっちゃった!”を放送!

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どうぞお楽しみに!

 
   

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