東京で生きる、孤独な男女。
彼らにそっと寄り添い、時には人生を変えてくれるモノがある。
ワインだ。
時を経て熟成される1本は、仕事や恋、生き方に日々奮闘する私たちに、解を導いてくれる。
これは、ワインでつながる男女のストーリー。
▶前回:略奪愛したものの…。人の彼氏を奪って結婚にまでこぎつけた女が、3年後に見た悲劇とは
Vol.13 甘い言い訳
〈プロフィール〉
名前:睦美(26)
経歴:都内女子校出身、ICU卒業
職業:外資系戦略コンサルティングファーム
住まい:品川(彼氏の家で半同棲中)
「ねぇ、私と同じクラスだったミキって子、覚えてる?子ども生まれたんだって!これ見て」
日曜日の夜、彼氏の春樹くんの家でくつろぎながら、私はInstagramの投稿を彼に見せた。
「お~かわいいなぁ。幸せそうだね!」
― 春樹くんも、そろそろ結婚して子ども欲しいとか思わないのかな…。
実は、春樹くんは私より19歳上で、現在45歳だ。
私たちの出会いは、高校生の時。
彼は私が通っていた渋谷にある女子校で英語の先生をしていた。そして、彼は私の初恋の相手。
英語は苦手だったけれど、彼に振り向いてほしくて、一生懸命勉強した。努力が功を奏し、ICUへ入学できた。
私は高校の卒業式の時に彼に告白をしたけど、振られてしまう。
そんな私に転機が訪れたのは、社会人1年目の23歳の時。偶然、表参道で、買い物中の“春樹先生”に再会したのだ。
長身で、変わらず甘いマスクの彼は、少し目尻の皺が増えたことも私には魅力的に映った。
「睦美!大人っぽくなったな」
この再会に運命を感じた私は、“春樹先生”の連絡先をゲットしデートに漕ぎ着けた。
数回のデートを経て、とうとう付き合うことになったのだ。
それから、私が彼の品川の家に週に何度か通う形で半同棲が始まり、もう3年が経とうとしている。
私たちの関係はすこぶるうまく行っているし、年齢差なんて関係なかった。
でも、私にはある悩みがある…。
私は、ソファに座ってスマホを見ていた春樹くんの肩に手を回し抱きついた。
すると彼は、私の手を外し「…ごめん、明日も教務主任の仕事で早いから」と言い、立ち上がりキッチンの方に歩いていった。
― なんで、私のこと避けるの…?
私の悩み。それは、半年ほど前から突然、春樹くんが私を抱かなくなったこと。
加えて、彼が私との将来をどう考えているのかわからないことだ。
― 彼も45歳。結婚や子育てのこと、真剣に考えてもいいはずなんだけどな…。
女性として求められない寂しさと、将来への不安が押し寄せる。
―1ヶ月後―
「ごめん。俺、睦美と将来のこと、考えられないんだ。だから別れてほしい」
2人で芝公園を散歩しているときに、春樹くんが別れを切り出してきた。なんとなく、予感はしていたものの、いざその時になると頭が真っ白になる。
「待って、私のこと、もう、好きじゃないってこと?」
「………ごめん」
長い沈黙のあと、春樹くんが言った。
― ここで“別れたくない”って私がごねれば、彼の気持ちは変わるのかな……。
でも、春樹くんの真剣な目を見れば、彼の気持ちが揺るぐことがないことが伝わってきた。
「わかった……。でも、次のお休みの日に、最後にお家でごはんを一緒に食べたい」
高校の頃からずっと大好きだった人だ。この期に及んでも、彼に好かれたいと思ってしまった私は、綺麗に別れることを選んだ。
彼の記憶のなかに存在する私は、いつだっていい女でいたいから。
最後に、外食よりもお家ごはんが好きな彼と、素敵な時間を過ごしたかったのだ。
― 彼が、たくさん褒めてくれた手料理を作りたい。いつか彼が、いい女を振ったな、なんて思ってほしい……。
最後の晩餐
私は、たくさんの手料理を用意して、彼は、1本のシャンパーニュを用意した。
「知り合いに、ソムリエがいるんだ。睦美が好きそうなシャンパンを選んでもらったよ」
「今日で本当に、最後なんだね、私、本当に…ずっと好きだったんだよ」
「ごめんな」
乾杯でグラスを重ねる音が、静かに部屋に響いた。
「このシャンパン、甘みがあって、わたあめみたいに泡がふわふわ!こんなに美味しいシャンパンがあるのね!」
「エクスキューズっていうシャンパンだよ、美味しいね」
「エクスキューズ…。言い訳、ね。こんな美味しいワインを最後に飲ませて、上等な言い訳で、私を納得させようとするなんてずるいよ」
困ったように笑う彼の笑顔を見ながら、私は、泣かないように、精いっぱいの笑顔で振る舞った。
春樹の本心
3年前、睦美に街で偶然再会した時には、あまりにも綺麗になっていて驚いたものだった。
高校の卒業式の日に真っ赤な顔で僕に告白してくれた彼女のことは、時折思い出すことがあったから。
僕を真っすぐに愛してくれる睦美には、たくさんの癒しをもらっていた。
でも、この幸せだった3年間に終止符を打とうと決めたきっかけは、ちょうど1年前に遡る。
ある日、僕が仕事を終えて1人、勤務先の高校を出た瞬間のことだった。
見知らぬ女性が僕に話しかけてきた。彼女は、睦美の母親だと名乗った。
「私と主人は、あなたたちの関係には賛成していません」
そう言い残し、睦美の母親は去っていった。そのことは、睦美には話していない。
外食をしていた時に、隣の若いカップルが僕らのことをパパ活だと小声で話しているのが聞こえてきたこともある。
無邪気な睦美の笑顔を見ながら、はたから見れば、20歳近い年の差は、そう思われても仕方ないということを実感した。
そして決定打となったのは、半年前の出来事だった。
時折、友人の赤ちゃんの話題をふってくる睦美。僕らもいつか…と考えることはあった。
だから、不妊治療クリニックを経営している昔からの友人と再会した時に、彼に頼み、僕もこっそり検査を受けてみたのだ。
結果は、ほとんど子どもを授かることができないという、無精子症だった。
この話をしても、睦美のことだ。きっと、僕との別れを選ばない。
でも、今は良くても、数十年後、いや、数年後には彼女を苦しめることは目に見えていた。
だから、僕は自分から離れることを選んだ。
きっと、彼女はこれからもっと美しくなり、強くなるだろう。
そして、僕は、白髪やシワばかり増えていき、歳をとる。
◆
目の前で、シャンパーニュを片手に、必死に大人びた態度で、涙を我慢する睦美が誰よりも愛おしい。
― 言い訳、か。
僕はその言葉を聞いて、少し困ってしまう。
このワインの名前は確かに『エクスキューズ』という名前だ。
しかし、『exquise』というのは、フランス語で「美味しい」や「甘美な」という意味。
彼女は英語の『excuse』と勘違いしているようだった。
この時間が、あと数時間後には終わってしまうのが寂しくて、せめてこの甘美な時間を楽しみたいという僕のワガママだ。
きっと、これでよかったんだ。そう思える日が来るはず…。
シャンパーニュの優しい泡と甘い余韻が、僕らが過ごした思い出を優しく包み込んでいる気がした。
◆今宵の1本
キュヴェ・エクスキューズ・セック/ ジャック・セロス
(Cuvée Exquise Sec /Jacques Selosse)
フランス シャンパーニュ地方 アヴィーズ村
シャルドネ100%の中甘口のシャンパーニュ。
ジャック・セロスはわずか7haほどの所有畑で、1949年にシャンパーニュ造りを始めた小規模生産者。
伝統が重んじられるシャンパーニュの地で、ブルゴーニュの白ワインの醸造方法や、ビオディナミと呼ばれる自然科学に基づく栽培を革新的に取り入れ、シャンパーニュ界に新たな風を巻き起こした。
シャンパーニュの巨匠と称されるジャック・セロスによる、シリーズ内唯一の甘口シャンパーニュ『エクスキューズ』。
『甘美な』という名前の通り、優しい泡とほのかな甘みに魅せられ、飲む人を虜にする貴重な1本である。
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