残すところ1か月強となった黒島結菜主演の連続テレビ小説「ちむどんどん」(NHK総合 毎週月~土曜8:00~ほか)。沖縄本島のやんばる地域を舞台にした本ドラマは、1964年を起点に、沖縄料理に夢を懸けるヒロインの比嘉暢子(黒島)とその家族の奮闘を、数十年にわたる時間の流れのなかで映しだす。
特に物語が沖縄戦の記憶に向き合った第15週「ウークイの夜」では、改めて朝ドラが放つ反戦メッセージの意義を感じつつ、制作サイドの熱意と覚悟にうなった。本稿では、令和4年のいまを生きる我々に向けて描かれた、本作の“多様性”のメッセージを紐解いてみたい。
■仲間由紀恵が演じる優子が語った、壮絶な戦争体験
笑いあり涙ありの人情喜劇として描かれている「ちむどんどん」だが、本土復帰50年を記念して制作された作品ということで、当初から、登場人物のなかには沖縄戦の当事者であることが示唆されたキャラクターも少なくなかった。仲間由紀恵が好演する、暢子たち4兄妹を温かく見つめる母・優子もその一人である。
仲間は本作のオファーを受けた際に「戦争の話にも触れるということで、しかもある意味、私がその語り部のような役割を担わせていただくことはとても光栄でした。自分にとっても意味のあることだと思い、一生懸命取り組ませていただきました」と気合十分に現場入りしたそうだ。
「マッサン」(14~15)などの羽原大介が手掛ける脚本は、序盤より戦争の影響をキャラクター描写の端々に込めつつもコミカルな味付けを崩さず進行してきたが、物語が中盤に差し掛かった第15週でついに沖縄戦の記憶に歩みを進める。特に第73回と第74回では、沖縄のお盆最終日であるウークイの夜に、優子が4兄妹に沖縄戦での壮絶な記憶を語り、視聴者の心にくさびを打ち込んだ。
仲間はこの脚本を初めて読んだ時、非常に胸を痛めたとコメントしている。「痛いことは、痛いと感じてもらえるように伝えないと、なかなか伝わらないもの。痛すぎる、むごすぎる映像を見てもらうのは違うとしても、チクッと痛みを与えるくらいでないと印象には残らないので『この台本なら大丈夫』と感じました」。
優子は沖縄で空襲に遭い、両親と姉は行方不明、自身は弟と共に逃げのびるも、アメリカ軍に捕まり収容所を転々としたなかで弟は餓死。現代パートで、仲間演じる優子が「この、腕の中で、冷たくなった。うちの腕の中で……」と涙ながらに言葉をかみしめるシーンが描かれた。
優子は亡き夫、比嘉賢三(大森南朋)が戦地から帰国後も、生きて帰ってきたことに対して罪悪感を抱いていたことも含め、子どもたちに語り終えると「ようやく話せた」と安堵する。この夜で比嘉家はより一層絆を深めたが、そのぶん、戦争が彼女にもたらした悲劇も色濃く浮かびあがったことは間違いない。
この週では、比嘉家での優子のほか、暢子が務めるレストラン、アッラ・フォンターナでは支配人の大城房子(原田美枝子)が、そして暢子の下宿先で沖縄料理店のあまゆでは、鶴見の沖縄県人会会長である平良三郎(片岡鶴太郎)や、新聞社の田良島甚内(山中崇)らが、それぞれに戦争の体験や喪失感を告白していくという展開になっており、羽原脚本の立体的な構造が光っていた。
なお、優子の回想シーンで若き優子を演じたのは優希美青。連続テレビ小説への出演は「あまちゃん」(13)、「マッサン」(15)以来3度目となった。目元が仲間にそっくりだと話題を呼んだ彼女の熱演が、物語により一層深い手触りを与えていたことも付け加えたい。
■沖縄出身俳優たちが向き合った、戦争の記憶を伝えるということ
第15週では、沖縄戦をリアルタイムで体験した人々の語りだけではなく、過去と現代を結ぶパートとして、新聞記者である暢子の(のちの)結婚相手、青柳和彦(宮沢氷魚)が関わっていくという流れも秀逸だった。和彦が沖縄本島南部のガマ(洞窟)で遺骨収集活動をしている嘉手苅源次(津嘉山正種)の取材をしにきたことをきっかけに、優子と再会。そこから回想シーンが展開されるという流れだった。
沖縄県那覇市出身である津嘉山が演じた嘉手苅が語る沖縄戦での艦砲射撃のすさまじさや、大切な人を失った悲しみ。筆者は、そのむごさや悲惨さを津嘉山の言葉の端々から感じたことで、改めて戦争の記憶を風化させないためにも、それらを物語やキャラクターを通して伝えられる連続テレビ小説の役割の大きさを痛感した。
このような物語に対し、メインキャストのなかの沖縄出身俳優たち――仲間や黒島らが並々ならぬ想いで参加したことは言うまでもない。
沖縄県糸満市出身の黒島は、暢子の快活なヒロイン像にぴったりマッチした。制作統括の小林大児チーフプロデューサーは、黒島のキャスティング理由について「地元沖縄出身者ということで、沖縄の独特の空気感というか、風と光みたいなものを体現できることだけではなく、シリアスな役柄もコミカルな役柄も両方こなせること、とてもお芝居にオーラがあること」と語る。
加えて小林プロデューサーは、黒島の座長力も称える。「黒島さんはヒロインとしてハイレベルな仕事をされているだけではなく、演技以外の部分でも、1つの作品を作るうえで、スタッフやキャストを含めたユニットの一員であるという楽しみ方もされているようです。だからカメラマンであろうが、照明のスタッフであろうが、気になることがあれば分野の垣根を超えて、声をかけてくださいます」。
なお、8月1日に放送された特集番組「仲間由紀恵・黒島結菜 沖縄戦“記憶”の旅路」は、ドラマ収録前に撮影されたものだった。この番組を観ると、黒島と仲間がいかに真剣に、かつ謙虚に役と向き合ったかがうかがえ、仲間においては実際に優子と同じく、遺骨収集作業を体験していたこともわかり、息を呑んだ。
黒島は同番組で沖縄を巡ったことで、ヒロインとして過去と現在とをつなぐ役割をしっかりと受け止めたようだ。「沖縄戦と向き合い、これからの私たちにできることを考えました。いまも世界のどこかでは戦争をしていて。過去の出来事は決して忘れてはいけません。無関心でいてはいけません。沖縄で起こったことを知り、そしてこれからのよい未来をつくるきっかけの一つになればと思います」。
■多種多様な価値観を認める大切さを描く、令和の反戦メッセージ
現在の世界情勢については、多くの人々が言葉では表せないほど心を痛めていることだろう。ではどうすれば戦争のない世の中になるのだろうか。「ちむどんどん」で、そのヒントのようなものを提示してくれたのが、和彦の父で民族学者だった史彦(戸次重幸)だ。
時代は、暢子の小学校時代に遡る。史彦は学校へやってきて、暢子たち生徒の前で故郷の大切さを子どもたちに説いたうえで「思い出はそれぞれに違います。その違いを知って、考える。互いを尊重してください。その先にだけ幸せな未来が待っていると、私はそう思っています」と多種多様な価値観を受け入れ、互いをリスペクトしあうことの大切さを伝えた。
これこそが、令和4年放送のドラマとしてふさわしいメッセージではないだろうか。和彦はそんな父親の影響を受け、沖縄の文化や歴史を世に伝えることをライフワークにしているし、大人になった暢子も史彦の言葉を忘れてはいなかった。結婚に猛反対していた和彦の母、重子(鈴木保奈美)の前で、史彦の教えを口にし、感謝したことで、夫や息子との関係に深いわだかまりを持って心を閉ざしていた重子も2人の結婚を認めることになった。この伏線回収は、鈴木の名演と相まって称賛の声が多く挙がったことが記憶に新しいところだ。
ドラマに賛否両論は付き物で、本作に対する辛辣な意見を耳にすることもあるが、少なくとも「ちむどんどん」で描かれた一連の反戦メッセージが、1人でも多くの人にまっすぐに届いてほしいと、筆者は願ってやまない。物語もそろそろ佳境に入っていくが、どんな着地点に行き着くのか、最後までしっかりと見届けていきたい。
文/山崎 伸子
戦争の記憶を令和にどう伝えるか。「ちむどんどん」が描いた“多様性”の反戦メッセージ
2022年8月16日