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浴衣を愛するアルゼンチン女性が伝統の染物技術に感動! 和裁も学び、帰国後に新たな挑戦:世界!ニッポン行きたい人応援団

テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお送りします。

ニッポンのカレーに大感激! 東京と大阪で名店の味を堪能


紹介するのは、フランスに住む、ニッポンの「カレー」をこよなく愛するセバスティアンさん。


ニッポンのカレーは、約150年前にイギリスから伝わり、調理が簡単で集団食に向いていることから軍用食として浸透。以来、お茶漬けやねこまんまと共に、庶民の汁かけご飯の一つに。独自に進化を遂げ、今やニッポンを代表する国民食となりました。

セバスティアンさんは、偶然本屋で見つけた漫画「孤独のグルメ」を読み、ニッポンのカレーに魅了されたそう。パリの日本食店でルーを買いだめして、週に4日はカレーを食べています。インターネットを参考に、何度も味見を繰り返して作ってきたとか。

夢は、いつか「孤独のグルメ」に出てきたお店に行ってみること。そんなセバスティアンさんをニッポンにご招待! 約3年前、待望の来日を果たしました。

マイスプーン持参で、気合十分のセバスティアンさん。向かったのは、東京・神保町にある1960年創業「キッチン南海」。1日に約400皿を売り上げる名店です。こちらでは、カツカレーをいただきます。

2つの洋食が合わさり、日本独自のものとなったカツカレー。「キッチン南海」のカツは、どんなに忙しくても注文を受けてから調理します。バター入りの特製パン粉をまぶし、低音の油で上げることで柔らかく仕上がるのだそう。
ルーは、スパイスと小麦粉を焦げ目がつくまで焙煎し、独特の色と香りが出るまで煮込みます。「どこよりも熱いカレーを目指している」と話すのは二代目料理長・中條知章さん。焦げないように、鍋を常にかき回しています。熱々のカレーこそ、スパイスが生きる最高の条件!


念願のニッポンのカレーライスを口にしたセバスティアンさんは、あまりのおいしさに驚きの表情を見せ、「こんなにコクのあるカレーは初めてです」と感激! 中條さんによると、カレーを煮込んで寝かせる工程を3回ほど繰り返すことで、コクが出るそう。

創業当時の味にこだわる「キッチン南海」では、初代料理長・南山茂さんが作ったレシピを忠実に守っています。毎日必ず、開店前にスタッフ全員でカレーを食べて味を確認。「皆さんの日々の努力で味が守られているんですね」。感謝の気持ちを込めて、カツカレーを堪能しました。

「キッチン南海」は、2020年6月、建物の老朽化により閉店。それから1ヵ月後、以前の店から徒歩数分の場所に新店舗がオープンしました。人気は今も変わらず、多くの人に愛され続けています。


続いて向かったのは、東京・根津にある「小料理屋 すみれ」。「孤独のグルメ」で、主人公・井之頭五郎(松重豊)が訪れたお店です。

こちらのお店では、若女将・松井育美さんが、その場でおつまみを調理し、出来立てを出しています。名物のカレーライスはお客さんからのリクエストで生まれ、いつしか定番メニューに。

お客さんの要望でゴロゴロした大きな野菜が入った、お酒の締めにぴったりの辛口カレー。セバスティアンさんは「美味しいです」と絶賛します。

カレーのベースは市販のルー。クミンやコリアンダーなどのスパイスを加え、隠し味でケチャップを入れることでとげとげしさをなくし、香りと美味しさだけを残しています。もう1つの大事な隠し味は愛情だそう。憧れのカレーをいただき、夢が叶いました。


続いては、大阪へ。全国のカレー店からニッポンのカレー文化に貢献したお店を毎年10店選出する「ジャパニーズカレーアワード」に選ばれたお店へ。
お店に行く前に……アメリカ村にある1959年創業の「ニューライト」に向かいます。こちらでは、ニッポンの雑炊によく似たカレー「セイロンライス」をいただきます。


玉ねぎとお肉、スパイスとケチャップをフライパンで炒め、自家製のデミグラスソースを加えます。さらに、鶏ガラと豚骨で出汁をとったスープを入れて深みのある味わいに。そこにご飯を入れてさっと和えれば、「セイロンライス」の出来上がり。「イタリア料理の高級リゾットのような感じ。素晴らしい味です」と舌鼓を打ち、名店の味を堪能しました。

いよいよ2018年のカレーアワードにランクインした、東大阪市の中華料理店「大衆中遊華食堂 八戒」へ。店主の末広收さんは、元々中華料理店で修業していましたが、賄いでカレーを作るうち、いつしか夢中に。これまで100種類以上のカレーを考案しました。
そんな「八戒」のカレーは、スパイスカレー。大阪発祥のスパイスカレーは、小麦粉を使わないヘルシーさで話題になり、今や全国の定番に。

今回は、麻婆豆腐とラム、イベリコの3種のスパイスカレーをあいがけでいただきます。実はこのルー、和食と同じく出汁が決め手だそう。セバスティアンさんは「山椒がよく効いていて美味しいです」と、あっという間に完食!

ここで、出汁が命の「八戒」のカレーレシピを特別に伝授していただくことに。スパイスにワタリガニを合わせ、一晩寝かせて出汁をとる八戒流の方法を教えていただきました。

あれから3年。セバスティアンさんからのビデオレターを、「八戒」の末広さん、「すみれ」の松井さんの元に届けます。
セバスティアンさんは、友人夫妻のお宅で、ニッポンで教えていただいた2種類のカレーを作るところを見せてくれるそう。

まずは、「すみれ」風カレーから。野菜は、ニッポンの乱切りで大きくカット。「バッチリです! 学んでますね」と松井さん。具材を油で炒め、昆布を水に一晩漬けてとった出汁で煮込み、ニッポンのカレールーで仕上げます。

続いては「八戒」風。ワタリガニの代わりに使うのは、トゥルトーというフランスのカニ。野菜は、じゃがいもと玉ねぎのほか、トマトやえんどう豆も使用。ニンニク、生姜、玉ねぎを炒めたら、カニ味噌を加えます。意外な使い方に、末広さんは「八戒超えましたね」と感心。そこに5種類のスパイスと半分に割ったカニ、水を入れて煮込みます。


すみれ風と八戒風が出来上がったら、オリジナルのチキンカレーもプラスして、一つの皿でいただきます。セバスティアンさんは「八戒」のあいがけカレーから、3つの味を混ぜ合わせながら食べると別の味になることを学んだそう。

帰国後は研究を重ね、数多くのオリジナルカレーを考案したセバスティアンさん。最後に「ありがとうございました。またね!」と、感謝を込めて皆さんに手を振りました。

セバスティアンさんをニッポンにご招待したら、ニッポンのカレーにさらに夢中になり、フランスの人たちへ、その美味しさと魅力を広めていました!

続いて紹介するのは、南米アルゼンチンに住む「浴衣」を愛してやまないレダさん。


ニッポンの夏の伝統的な衣服、浴衣。木綿の生地で仕立てられ、直接肌に着るのが特徴です。その歴史は、平安時代に貴族が蒸し風呂に入る際、火傷をしないようにまとった「湯帷子(ゆかたびら)」が始まり。江戸時代には、銭湯の普及と共に庶民の間でも着られるようになりました。

レダさんが浴衣に出会ったのは、結婚後に通った茶道教室。浴衣の着心地に感動し、10年前から自分でも作り始め、5年前から販売もするように。質の良い浴衣を作ろうと、貯金を使い果たしてミシンを3台購入。全てオーダーメイドで作っていますが、選べる生地は染物ではなく、プリント生地のみだそう。

和服の美しさを際立たせる染物。かつてニッポンでは、服の模様や生地が社会的地位や職業を表す重要なものだったため、その技術が発達しました。しかし、アルゼンチンで染物生地の入手は困難。「浴衣の命ともいうべき生地が手に入らないのは本当に残念です」とレダさん。

ご主人のマーティンさんは、5年前に勤めていた会社を辞めてレダさんをサポート。家族の思いを背負って浴衣作りに励むレダさんですが、これまでニッポンに行ったことは一度もありません。経済的な理由で、憧れのニッポンに行くのは夢のまた夢……そんなレダさんを、ニッポンにご招待! 約3年前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、静岡県浜松市。浜松は浴衣作りが盛んで、国内に出荷される約50%が浜松で作られています。そんな浜松の浴衣作りを支えるのが「注染染め」。明治時代に考案された生地を染める伝統的な技法で、職人が一つひとつ手作業で染める「ぼかし」が最大の特徴。

今回お世話になるのは、注染染めを今なお手作業で行っている「武藤染工」。全国各地の祭りの浴衣を手がけ、1日約240枚もの生地を染め上げます。これだけの量を手作業で染める工場は、今では数少ないそう。天井から下げられた染物を見たレダさんは、「アルゼンチンにはこんなに繊細な染物の技術はありません」と感動!


この道50年以上の染色職人、五十嵐敏えい(※えいの字は、英にりっとう)さんに「ぼかし」の技術を見せていただきます。右手に濃い色、左手に薄い色の染料が入ったジョウロを持ち、同時に染料をかけることで色が混ざり、グラデーションに。色の混ぜ具合で絶妙なぼかしを作るこの作業こそ、職人の腕の見せ所です。

レダさんも挑戦しますが、染料がこぼれて、なかなかうまくいきません。五十嵐さんによると、全て染め終えた時のバランスをイメージしながら、長年培われた感覚で染料の注ぎ具合を決めているそう。

染め終わった生地を確認してみると、こぼした紫色の染料が少しアサガオに移ってしまいましたが、これも味の一つ。最後は、レダさんが染めた反物を記念にプレゼントしていただきしました。

あれから3年。放送後、「武藤染工」には浴衣だけでなく、注染染めの手ぬぐいの注文が殺到したそう。五十嵐さんは、82歳になった今も現役で注染染めに携わっています。

続いて向かったのは、名古屋市有松。日本三大絞りの一つ、有松絞り発祥の地です。そんな有松で作られ、最近若い女性に人気なのが「雪花絞り」。江戸時代から続く有松絞りの技法で、染め上がると雪の結晶や花びらが開いたような模様になります。


お世話になるのは、創業100年以上の老舗「張正」の鵜飼敬一さん、小百合さんご夫妻。早速、雪花絞りを見せていただくと、写真でしか見たことがなかったレダさんは「肌触りが最高です! 実際に見るとすごくオシャレで素敵すぎます」と大興奮! デザインは全て、小百合さんが手がけています。

雪花絞りがどのように作られているのか、工房を案内してもらうことに。まずは、真っ白な生地を三角に折る作業。これは最も大切な作業で、角をしっかり折ってアイロンをかけ、折り目を揃えないときれいな柄に仕上がらないそう。

こうして折った生地を木型で挟み、染めていきます。木型にはさまざまな形があり、基本的なものは4種類。この木型の形に布を折り、染めることでさまざまな柄が出るのです。

レダさんも三角に折る作業に挑戦。生地の長さは一反約13メートルで、熟練の職人でも、折るのに1時間半はかかるとか。作業開始から一度も休まず、3時間かけて仕上げましたが、レダさんは「まだまだですね」と出来栄えに不満がある様子。従業員の方が折ったものと比べると、確かに折り目が不揃い。従業員の方の正確さがわかります。

続いて、染め場へ。こちらで染めたものを水で洗い、半日置いておきます。使う水は、水道水と井戸水の両方。きれいで冷たい水を使わないと、反物に汚れがつくこともあるとか。


生地全部を染料につけないのが、雪花絞りの特徴。三角形の頂点から生地を染めていくと、そこから色が上がってグラデーションになっていきます。そして、染料が水に触れて酸化すると、色が次第に変化。黄色が緑になり、あっという間に藍色に。途中の色で止めることはできないといいます。

ちなみに、三角形の角を2つ染色すると四つ葉のクローバーのような模様になり、三角形の1辺を深く染色すると雪の結晶のような模様に。1つの三角形で、染め方は4種類、仕上がる模様は全く違うものになります。


レダさんも、自分で折った生地で染色させていただくことに。ピンクからオレンジへと変化する色に驚き、「信じられません、鵜飼さんのおかげです!」と、自ら染色した雪花絞りの出来栄えに大感激です!

この日の夕食は、従業員の皆さんの手作り! 名古屋名物の味噌カツや手巻き寿司などをいただき、ニッポンの味を堪能。皆さんとの食事を楽しみました。

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翌朝、小百合さんから素敵な贈り物が。昨日レダさんが染めた雪花絞りを6時間干し、糊付けをして仕上げた反物をプレゼントしてくださったのです。大喜びのレダさんは、「こんな貴重な体験をさせていただいて、本当に感謝しています」と鵜飼さんご夫妻に伝え、ハグを交わしました。

そして東京へ。この機会に和裁の技術を学びたいと、上野にある「お仕立て処 うえの」にやってきました。

和裁は、全て手縫いで仕上げ、一旦出来上がった着物をばらして反物の状態に戻すことを前提とした、世界でも稀に見る裁縫技術です。今回は、和裁士の上野洋さん、晃さん兄弟、上野さん兄弟の先輩で和裁士の草川幸郎さんにお世話になります。


まずは、作業場で和裁のイロハから。反物を広げながら、シミや傷がないか検品し、柄の配置を考えます。次に和裁専用の物差しで、型紙なしで寸法を出し、何も印をつけずに生地を裁断します。

着物にするには、一反約13メートルの生地を直線で裁断。四角いパーツを8つ作ります。洋服の肩などのようにカーブさせて切らないので、半端な生地が出ることはなく、8つのパーツをつなぎ合わせると再び反物に。反物に戻せば、お母さんの着物を子どものものに、子どもの着物を赤ちゃんのものにするなど、違うものに縫い変えることができるそう。

江戸時代、着物は高価で1枚しか持っていない町民がほとんど。冬には着物に綿を入れ、夏になると仕立て直しをするのが当たり前だったとか。そのため、着物は仕立て直しがしやすいようにできています。「日本の文化の中に、物を大事にするっていうものがあります。再利用することが“もったいないの心”になっていると思うんです」と草川さん。


ここで草川さんが、生地の縦糸1本だけを残して裁断する技を見せてくださると、レダさんは「こんな神業見たことがありません!」とびっくり。生地を直線で正確に切ることが大切な、和裁ならではの技術です。これができなければ、着物をほどいて反物に戻せなくなるため、和裁士にとって必要不可欠な技。

続いては、手縫い。和裁の手縫いは、針を親指と人差し指で挟み、中指で針を押し出すようにして、生地を上下に動かしながら縫います。レダさんも挑戦すると、草川さんのようにはいかず、針目が不揃いに。

「どうして手縫いの方がいいんですか」と質問すると、「生地を傷めないってことを考えてるんですよ」と草川さん。生地の縦糸と横糸の隙間に針を入れるので、生地に穴が開かないのです。

ミシンは針が直角に当たるため、どうしても生地の縦糸、横糸を切ってしまい、開いた穴が残ります。一方、手縫いで縫いつけた糸を抜くと、ほとんど跡は残りません。この技術が、何度も仕立て直しができる証です。

すると草川さんが、レダさんの一人娘・イアラちゃんの浴衣を縫うことを提案。実は今回、イアラちゃんも一緒に来日しています。通常は1人で完成させますが、帰国が迫っているため、なんと日本トップクラスの和裁士である草川さんと上野さん兄弟が3人がかりで縫い上げてくださることに!

使うのは、レダさんが染めた雪花絞りの反物。レダさんも習ったばかりの手縫いで、一部の作業に参加させていただきます。そうして浴衣を縫っていると、上野さんのご両親が差し入れを持ってきてくださいました。ご両親も和裁士で、この道60年以上の大ベテラン。レダさんが縫ったところを見てもらうと、「立派なもんだ」とお褒めの言葉が。


翌朝、草川さんに最後の仕上げをしていただいて完成。晃さんの奥さんに着付けをしていただくと、作業場は撮影会場に早変わり! カメラが趣味だという上野さんのお父さんに撮影していただきました。

別れの時。レダさんは「今回はいろいろお世話になって、浴衣まで作っていただいて感謝感激です」とお礼を伝えます。草川さんも、レダさんが浴衣を愛していることがよくわかったそう。「長い時間でしたがご苦労様でした」と労いの言葉をかけてくださいました。

あれから3年。レダさんからのビデオレターを、「張正」と「お仕立て処 うえの」の皆さんの元へ届けます。


伝統の絞り技術を見学したレダさんは、帰国後、自分でも絞り染めを始めたそう。試行錯誤し、今や小物を販売するまでになりました。「張正」での経験を生かし、雪花絞りにもチャレンジしています。

レダさんには、仕上がりについて鵜飼さんにチェックしていただきたいことが。冷たい水で作業したため、染料が十分に混ざっていないのか、発色にムラがあるのです。鵜飼さんは、やはり温度が低いのが原因だと考えられるので、温度を上げるときれいに染色できるのでは、とアドバイスしてくださいました。


来日前はミシンで浴衣作りをしていましたが、帰国後は和裁にも挑戦。和裁で仕立てた浴衣を見せてくれました。「お仕立て処 うえの」の皆さんからは「よくできてる」「針目もきれい」と、嬉しい言葉が続々!

オーダーの浴衣も和裁で作るようになり、1年半で200着ほど売れています。さらに、茶道を習っているお客さんに、和裁で割烹着を作ったそう。若いお客さんからの注文で、なんと半纏も作ったとか。

レダさんの技術力は口コミで広がり、店舗ののれんも制作。他にも、フィエスタ・デ・キンセで着るレンタル用浴衣も作っています。フィエスタ・デ・キンセとは、アルゼンチンで15歳の誕生日に行うお祝いの行事。一般的にはドレス姿で祝いますが、レダさんのお店から晴れ着として浴衣をレンタルする人も。片道3時間かけて来店するお客さんもいるそう。

さらにレダさんは、ニッポンの文化を広めるべく、着付け教室も始めました。生徒は若い女性が多く、ニッポンの着物文化を教えています。

最後にレダさんは、「ニッポン滞在は人生の大きな変化となりました。こうして仕事が順調なのも皆さんのおかげです。必ずまたニッポンへ行きます。ありがとうございました」と、皆さんに感謝を伝えました。

レダさんをニッポンにご招待したら、浴衣作りの技術が上がり、ニッポンの着物文化を広める活動を行っていました!


この放送は「ネットもテレ東」で期間限定配信中!



月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」【“遠く離れた家族”に会いたい!SP】を放送!

18年以上会えていない弟に会いたい!


60年以上前、南米パラグアイで“緑の地獄”と呼ばれた荒地を切り開いた日系移民。
その中で、故郷ニッポンへ行きたいと強い思いを持っていたのが日系2世の中山ソフィアさんと姪で日系3世のエレナさん。
ソフィアさんを長女とする8人兄弟の中山家。弟たちは出稼ぎのためニッポンに渡り、特に、6歳下の弟タデオさんとは18年、9歳下のフェリペさんとは29年会えていない…。

両親の死に目にも会えなかった弟たちに会うため、そして亡き両親の思いを直接伝えるため念願のニッポンへ! 18年以上の時を超え、弟たちとの再会を果たし、遠く離れた家族の絆がもう一度結ばれる! さらに、久しぶりに集合した兄弟たちで両親の生まれ故郷・長崎県久賀島へ。そこで奇跡の出会いが!
あれから3年…ソフィアさんとエレナさんから弟たちにビデオレターが! そこでは思いもよらない初対面も!

どうぞお楽しみに!

 
   

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