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『ONE PIECE』の世界線? 海賊として世界を変えた男・ドレーク 女王陛下はぼろ儲けし、現代人はそのもとに生きている

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 そんな海賊らによって世界史が変えられていく中、ドレークはその海賊として成長していった。

 自身の艦隊を率い、カリブ海のスペイン領から多額の財宝を奪うことにも成功し、イギリスを代表する船乗りとして知られていく。

 そして、1577年にドレークはエリザベス1世に謁見する。内密にではあるが、南米スペイン領襲撃の許可を得た彼は、新型ガレオン船「ペリカン」を旗艦とした船団を組む。そして、同年12月13日にプリマスを出港した。

 しばらくアフリカ西岸を航海した船団は進路を南西に向けると、63日で大西洋を横断し、1578年4月にはブラジルに到達。さらに南下した船団はマゼラン海峡を前に停泊し、そこで越冬する。

 8月、旗艦ペリカンを「ゴールデン・ハインド(黄金の牝鹿)」と改名したドレークはマゼラン海峡に突入した。

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 細心の注意を払いながら、ときにはペンギンを食って16日でこの難所を突破した船団は、そこから南米西岸のチリ沖、ペルー沖を北上する。

いよいよ海賊行為の本番であり、この地域のスペイン船や港を次々に襲い、金銀財宝を奪う。

 腹いっぱいになったドレーク船団は、北米サンフランシスコあたりに寄港し、そこから、太平洋をひたすら西へ向かった。

 70日程度で日本のはるか南方のパラオに到達。1579年の8、9月あたりのことで、ちょうど、日本では織田信長が安土城に天主を完成させ、悦に入っていたころだ。

 当時、東アジアにポルトガル船やオランダ船がウロウロしていたことは、鉄砲伝来やザビエル、出島を思えば、想像しやすいだろう。

 ドレークは彼らと遭遇しないように注意しながらも、似たような航路をたどり、1580年9月26日にプリマスに帰還する。ドレークの描いたひとつなぎの航路が、地球を1周したわけだ。

女王陛下が無法者・ドレークにサーの称号を与えた理由は

 ドレークの行為に対し、スペイン政府から厳重な抗議を受けていたエリザベス1世には、彼を罰するという道もあった。だが、女王はそれをせず、逆にサーの称号を彼に与える。

 なにせ、ドレーク船団の収益は60万ポンドもあり、その半分は出資者である女王のものとなった。これは年間の国庫歳入を軽く超え、王室はこれによって在外負債を清算した。一国家が降って湧いたあぶく銭で、突如、財政健全化したことになる。

 それだけではない。さらに余った金はイギリスのアジア貿易を担当する国策組織、レバント会社に投資された。そして、このレバント会社こそが、後の東インド会社の元といえる存在なのだ。以後、東インド会社はインド史を大きく変え、アヘン戦争を引き起こし、アジア史全部を大きく変えた。こうして、イギリスは巨大帝国となり、その未来に今がある。

 後にドレークは海軍提督となり、火船を突っ込ませる戦術でスペイン無敵艦隊を翻弄し、アルマダの海戦をイギリスの勝利に導いてもいる。

 スペインの海軍戦力は後退せざるを得ず、イギリスが強国化する契機になったのは事実。そう考えると、ドレークが二重三重に変えた世界を、現代人は生きていることになる。

 そもそも、海賊というのは海の反逆者であり、歴史上、記録に残りにくい存在だ。だからこそ、そのリアルな姿はわかりにくい。

 だが、ドレークは同じような海賊行為を働きながらも、イギリスの私掠船長であり、サーになり、海軍提督にもなった。一国の英雄であるので記録も豊富だ。海賊を知る上で、これほど便利な存在は少ない。

 そんなドレークの生涯をつづったのが、『海賊キャプテン・ドレーク』(杉浦昭典・講談社学術文庫)だ。学術書ではあるのだが、なにせ扱うのは海賊だ。ドレークに限らず、登場人物らは向こう見ずで冒険心が強く、乱暴かつ強欲だ。カルバリン砲の轟音が響く中、ガレオン船が水柱を上げ、突っ走る世界を感じることができるだろう。

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