「制作陣は自分たちを『料理の知識のないおじさん』と自虐していましたが、どうやら衣装に関してもさほど知識がないようですね。この場面、普通に考えれば琉装に思い入れのある母親の優子か、琉装を貸してあげた多江が着替えを手伝うべき。その場面を描いたほうが、沖縄出身の暢子がわざわざ琉装にお色直しする意味も深まるというものです。しかしおじさんの発想では『琉装さえ着ていれば沖縄っぽいでしょ』ということなのでしょう」(前出・女性誌ライター)
物語を描くには、その背景を大切にすべき。だが本作ではせっかくの琉装すらも、単なる記号として扱われていたようだ。