雑誌から抜け出したかのような、美男美女の夫婦。
豪邸に住み、家事や子育てはプロであるハウスキーパーに任せ、夫婦だけのプライベートタイムを満喫する。
世間は、華やかな暮らしを送るふたりを「プロ夫婦」と形容し、羨望のまなざしを送っている。
法律上の契約を不要と語り、「事実婚」というスタイルをとる、ふたりの行く末とは?
◆これまでのあらすじ
慎一と美加は、SNSで多くのフォロワーを集めるインフルエンサーカップル。ハウスキーパーの里実からのアプローチに翻弄された慎一は、彼女に辞めてもらえるよう頼む。すると、彼女は…。
▶前回:「我慢できなくなっちゃった」甘い囁きとともに抱きついてきた女。困惑した既婚男は…
Vol.5 裏切りの告白
― かわいそう、って僕が…?
玄関で、帰り際に里実に抱きつかれた慎一。
慎一は、すぐに体を離し「おつかれさま」と冷たく言い放ち、里実に帰るよう促した。しかし、彼女の言葉が遅れて慎一に、のしかかってくる。
『慎一さん、かわいそうなんですもん』
― なぜ?幸せな家族の日常を、日々目の当たりにしているはずのハウスキーパーが、どうしてそう思えるんだろう。
実は「かわいそう」という単語は、慎一が他人に一番言われたくないセリフだ。
慎一は、無性に腹立たしい気持ちになった。
事実婚だから?里実もまた、それを所詮「籍を入れてもらえないから」という後ろ向きな結婚形態だと誤解しているのか。
だからこそ、新しい感覚の二人であることを積極的にアピールしているのに――。
「パパ、ただいまー」
絶妙なタイミングで、華が帰宅してくる。あと数分早く帰ってきたらと思うと、慎一はゾッとした。
「お帰り。今日は早かったね」
「お父さんと夕方Zoomするって約束してたから」
“お父さん”とは美加の前夫のことだ。美加との関係が壊れても、華にとっては実の父。最近は、よくビデオ通話をしているようだ。
美加の前夫と華がコンタクトを取ることに、正直なところ慎一は複雑な感情を持っていた。
だが美加から「慎ちゃんを選び、幸せに過ごせているのは、前の結婚で苦労をした結果あってのことよ」と、よく聞いている。
だから「彼がいなかったら、美加と一緒にはなれなかっただろう」と思うことで、自分を納得させていた。
慎一は、タブレットを手にいそいそと部屋へ入っていく華の後ろ姿を見送りながら、美加と初めて出会った頃を思い出していた。
運命のパートナー
― 世の中に、こんなに美しい人がいたんだ…。
単純だが、慎一が美加に抱いた第一印象だった。
広告代理店所属のフォトグラファーだった時代に、被写体として出会った美加。スタジオに入ってくるなり、美加が持つ華やかな存在感に慎一は胸を撃ち抜かれた。
女性活躍推進のPRのため、何人かの女性経営者たちを撮影する広告の企画であったが、他の誰よりも慎一は美加に圧倒された。
また美加がインタビューで語った、仕事への姿勢やシングルマザーとしての子どもに対する愛情にも感銘を受けた。
まぎれもない“ひと目惚れ”。
そして、その取材の際に慎一が撮影した写真は、著名な広告賞を受賞し、独立する足掛かりにもなった。
― 受賞した時、確信したんだ。彼女といれば、自分自身が高められるし、彼女の力にもなれるって。まさに運命のパートナーなんだ。
美加が、ファッション雑誌の読者モデルになったのも、慎一のベタ惚れインスタ投稿を見た編集者からのスカウトだ。
そして、最近では、誰もがうらやむ幸せな夫婦の象徴として大手飲料メーカーの商品のイメージキャラクターにまでなっている。
「どこが、かわいそうなんだよ」
怒りが思わず、慎一の口に出た。
里実は互いに高めあう夫婦の仲をひっかきまわして、何をしたかったのか。
美加は彼女を「プロ意識が高い」と言っているが、家主を誘惑するなど、ハウスキーパーのプロとしてあるまじき行為だ、と慎一は思った。
彼女に辞めてもらうことを、当初は後ろめたく感じていたが、今ではむしろ自業自得だと正当化しはじめている慎一がいた。
◆
「里実ちゃん、身内に不幸があったんですって…。親戚の仕事を手伝うことになったから、1ヶ月後の契約は更新しないってLINEがあったわ」
華が寝た後に帰宅してきた美加は、里実が作り置きしてくれたジャージャー麺を口にしながら、ため息交じりに報告してきた。
慎一は、わざとらしく繕って対応する。
「ホント残念だよ。早く新しい人紹介してもらわなきゃね」
「そうね。事情が事情だけに、すぐに辞めても大丈夫よって言ったら、『美加さんもお忙しいようなので、契約を全うします』って彼女が。さすが、プロね」
「う、うん…」
全くそうは思わないが、慎一は相槌がわりに乾いた返事をした。
「でも、これから大変なのに、困るわ…」
大変とは?――なにか含んでいそうな大きなため息。
彼女の顔を見ると、疲れているように見えた。そういえば、最近毎日帰りは21時過ぎ。多忙すぎるのではないかと、慎一は心配する。
「元気ないよ。景気づけにワインでも飲む?」
「いい…すぐお風呂入って寝るね」
結婚式以来、デートタイムも取れないほど、彼女は忙しい。帰宅後は、すぐ眠りについている。
慎一は「新しいハウスキーパーを探さねばならない」という面倒事を増やしてしまったことを後悔した。
― でも、里実を暴走させるわけにはいかなかったし…。
すべては美加のことを思ってのことなのだ。
突然の告白
その週の土曜、慎一は美加と華を連れて、湘南へドライブがてらプチ旅行へ出かけた。
久々の美加の休日。彼女をリフレッシュさせるためということもあるが、裏の目的は、ゆくゆくは逗子・鎌倉あたりに家を買い、デュアルライフを実現したいという慎一のヴィジョンを共有することだった。
移住について、美加に以前話したときは「あなたに任せる」というどっちつかずのスタンス。実現するために、彼女も乗り気になってほしいと考え、計画したのだ。
「海の風、心地いいだろ」
「そうね…」
開けた海に華は興奮していた。だが美加は、到着までずっと渋滞が続いていたせいか、どこか不機嫌に見えた。
― やっぱり疲れているのかな。
観光より、今夜宿泊予定の逗子マリーナにあるリゾートホテルへ早めにチェックインし、のんびりするのが正解だと慎一は判断した。
せっかく来たのに、湘南を堪能できず、ホテルステイのみとなりそうだったが、すぐに家を買うわけでもないのだ。
この先の人生は長い。華の学校のことを考慮するくらいで、今後の生活についてはのんびりと決めていけたらいいと慎一は考えていた。
時間は、いくらでもあるのだから…と。
◆
ホテルにあるレストランのテラスから、夕焼けに染まる相模湾を眺めながら堪能するディナーは最高だった。
しかし、美加の浮かない顔は変わらず。食事もあまり手を付けていないばかりか、大好きなワインも拒否している。
どこか体調も悪そうだ。絶好のロケーションだけに、慎一は美加の写真を何枚も撮影していたが、SNSに掲載できるようなクオリティの彼女はそこにいない。
「本当に、大丈夫?過労じゃないの?」
華が眠った後、ソファで横たわる美加に慎一はそっとささやきかけた。
「ううん。理由はわかっているから」
美加はそっと体を起こし、慎一が用意した水を飲む。
「…」
美加の呼吸が荒い。そして、ふらりとよろめいて、慎一に全身を委ねた。
― やっぱり、様子がおかしいな…まさか大きな病気?
もし、美加が突然いなくなったら…。ふいに、嫌な予感が慎一の脳裏をよぎる。
彼女とともに思い描く未来を、そのまま歩めるとは限らない。突然襲う言いようもない不安。
強がっているが、彼女は体のどこかに異常を来しているのだ――。
慎一はそんな想いに駆り立てられ、ホテルのフロントに救急要請しようと電話に手をかけた。その時…。
「やめて!理由はわかっているって言っているでしょ!」
彼女らしくない、突然の強い口調に、慎一は電話を置いた。
「どこか悪いの?」
美加は首を振った。そして、なにかを決心したように、唾をごくりと飲み込み、少しえづいた。
慎一は、彼女の背中に手を置く。その背中は無機質でまるで壁のようだ。そして、美加は静かにゆっくりと言葉を発した。
「赤ちゃん、いるの」
美加は、慎一の目をじっと見つめている。
大好きな妻の唇から、こぼれ出た信じられない言葉…。
― 僕らは2年以上、レスなのに…。
慎一はすぐに理解できなかった。
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2022年8月11日