「あの頃の自分が思い描いていたオトナに、ちゃんとなれてる?」
高校卒業から12年。
これは様々な想いを抱えて上京してきた、男女9人の物語だ。
恋に仕事に、結婚に。
夢と現実の狭間でもがく30歳の彼らが、導き出した人生の答えとは?
▶前回:深夜の西麻布で、ぼんやりと信号待ちをしていたら…。女がいきなり顔を引きつらせ、凍り付いたワケ
山中浩二、30歳。エリート商社マンの秘密
「ねぇ、いつ結婚してくれるの?」
六本木にある、タワーマンションの一室。僕の腕に絡みつきながら、恋人の葉子が甘い声で囁いた。
「あ、あぁ…。ちゃんと、考えてるからさ」
彼女は「煮え切らないなぁ」と言って背中を向け、いつものようにInstagramをチェックし始めた。
「今日のフレンチ美味しかったね!来週のデートはここ行きたい♡」
葉子のスマホ画面には『ガストロノミー ジョエル・ロブション』の前でポーズをとる、女性の写真が映し出されている。
「30歳までにロブションへ連れて行ってもらえたら、いい女なんだって~」
今年30歳になる彼女は、僕に抱きついて上目遣いでこちらを見つめてくる。
新卒で商社に入った僕。そこで受付嬢をしていた葉子は、自分にとって高嶺の花だった。仕事にかこつけて何度も食事へ誘ったが、彼女はなびかなかったのだ。
それなのに1年前、突然葉子のほうから連絡が来た。
葉子:浩二くん!エリア別営業成績、トップだったんでしょ?おめでとう~!
それから週末のデートを重ね、半年ほど前から付き合うことになったのだった。
「ねぇ、私の話聞いてる?まだ寝ないでよ!」
寝落ちしかけていた僕を、彼女が揺り起こしてくる。
「ごめん、疲れてて。ちょっと寝かせてくれないかな」
「…ひどい。昨日もすぐ寝ちゃったじゃん!」
葉子は立ち上がり、しなやかな身体をワンピースに通すと「もういい!別れる!」と叫んで、部屋を出て行ってしまった。
追いかけることは、しなかった。むしろどこかホッとしている自分がいる。ここ最近、彼女といると心が休まらないのだ。
しばらくして、葉子に謝罪のメッセージを打とうとスマホを開く。すると、ある女性から1通のLINEが届いていたことに気づいた。
亜美:今週の土曜日、代々木公園でピクニックしない?
LINEを送ってきていたのは、西麻布で12年ぶりの再会を果たした、高校時代の同級生・亜美だった。
「代々木公園でピクニックって…。相変わらず面白い奴だな」
思わず、笑みがこぼれる。そして僕は、亜美に思いを寄せていた高校時代のことを思い出したのだった。
山中浩二、18歳。親友の死と、コンプレックス
2010年9月。補習を終えた僕が教室に入ると、大和が窓側の席で村上春樹の『1Q84』を読んでいた。
「…進路決まってる奴は、気楽でいいよな」
トゲのある言葉がつい、口をついてしまう。
早稲田大学の指定校推薦。この枠を勝ち取るための校内選考に落ちたばかりの僕は、ひどくイライラしていた。…推薦枠を争い、選ばれたのは大和だったのだ。
そんな僕に申し訳なさそうにすることもなく、こんなことを言ってきた。
「なあ、千紘に聞いたんだけどさ。亜美の進学先、渋谷にある専門学校らしいよ」
当時、僕は亜美のことが密かに好きだった。僕は「へぇ」と平静を装ったが、大和はすべてを見透かしたように笑っている。
「告白しないの?」
「しないわ!するなら上京してから。…ってか、俺まだ進路も決まってないし。東京のことも全然わからんし」
「ふ〜ん」
大和はニヤニヤしながら、誰かにメールを打ち始めた。
「おい大和。お前、調子に乗りすぎじゃね?自分は進路決まったからって、俺の邪魔しないでほしいんだけど」
「えっ…?」
「お前がいなければ、俺は今頃…。ああ、顔見てるだけでイライラするし、俺の前から消えろよ!」
この言葉が現実となるなんて、そのときは思ってもみなかった。
◆
その週の土曜日、15時。
「あ、浩二!こっちこっち!」
代々木公園の駅で、花柄のタイトスカートをはいた亜美がピョンピョンと飛び跳ねている。
「…ごめん、お待たせ」
先日、西麻布のバーで後悔をすべてさらけ出した僕は、なんだか亜美と顔を合わせるのが恥ずかしくなっていた。僕が12年前にしてしまったことを、彼女は静かに聞いてくれたのだ。
「大和が死ぬ直前、俺が一方的に暴言を吐いたんだ。だから12年前、アイツを死なせたのは自分なんじゃないか、って…」
「担任は『事故死だった』って、言ってたじゃん。浩二のせいでもないよ」
「でもさ、真相は明らかになってないじゃん。っていうか18にもなって、いきなり海に落ちるかな?
で、もしかして俺の言葉で自殺したんじゃないかと思ったら、怖くなって。思わず適当な理由でっちあげて、千紘のせいにしたんだ。最低だよな」
そう言って思わず涙をこぼしてしまった僕を、亜美は慰めてくれたのだった。
「こないだは、いきなり泣いたりしてごめん。…とりあえずお茶でも行く?」
亜美に涙を見せてしまったことが恥ずかしくて、無愛想な態度を取ってしまう。しかし、それを全く気にしていない様子の彼女。
そして唐突に、こんなことを言い出したのだ。
「私、麦茶持ってきてるから大丈夫!」
そうして大きなリュックサックから、コップ付きの水筒を取り出した。キュキュ、と懐かしい音とともにフタが開き、コップに麦茶を注ぎ始める。
「えっ、水筒って…。なんで持ち歩いてるんだよ」
「だってピクニックって言ったじゃん!」
そう言って亜美は、ベンチにお菓子やミカンを並べ始める。高校時代、机に駄菓子を並べて女子会を開いていた彼女の姿を、ふいに思い出した。
「ハハッ!変わらないなぁ、亜美は。上京してモデルになっても、ラウンジ嬢になっても」
この日、僕は代々木公園のベンチで亜美と空白の12年間を埋め合い、そして慰め合った。
商社で働き詰めだった僕の年収は1,200万円ほどあったが、30歳を過ぎてから、心身ともに疲弊しきっていること。恋人がいるけれど、うまくいっていないこと。
亜美はモデルの夢を諦め、孤独な東京での生活に疲れ、安住の地を求めていたこと。
2時間の間に僕たちはすっかり打ち解け、自然と笑顔になっていた。彼女と話しているだけで、心の奥底にあった深い悲しみが癒えていくような気がしたのだ。
そして亜美と解散した後、僕は急いで葉子に電話を掛けた。
「別れ話でしょ?私も浩二と別れたいと思ってたんだよね。バイバイ~」
…別れはあっけなかった。
◆
それから半年後。僕は亜美と『ガストロノミー ジョエル・ロブション』にいた。
「俺と結婚してくれないか」
彼女がゆっくりと頷く。
僕は結婚を機に商社を辞め、愛媛にある父の会社を継ごうと決めた。元々友人同士だった僕たちの母は、まるで盆と正月がいっぺんに来たかのように、僕らの結婚を喜んだ。
「いい?私たちの出会いは、東京での同窓会。ラウンジで出会ったってことは絶対言っちゃダメだからね!」
これが、最近の亜美の口癖だ。彼女は結婚式の参加者リストを整理しながら、ポツリとこう言った。
「あっ、そうそう。…結婚式、千紘も呼んだの」
夏原千紘、30歳。12年前の親友から届いた、結婚式の招待状
亜美たちから届いた、結婚式の招待状。「参加」の文字に〇をつけた私は、本棚の奥にしまっていたガラケーを取り出す。
充電して電源を入れ、大和から届いた最後のメールを開いた。
—————————————————-
2010年 9月10日 17:49
From: 大和
Subject: Re: Re: Re:
浩二、上京したら亜美に告白するって!でもなんか悩んでるみたいだから、千紘がデコログに書いてた「上京したら行きたいところリスト」見せてもいい?
あと浩二が告白しようとしてること、絶対亜美に言っちゃダメだからね!
▶前回:深夜の西麻布で、ぼんやりと信号待ちをしていたら…。女がいきなり顔を引き攣らせ、凍り付いたワケ
▶1話目はこちら:交際2年目の彼氏がいる30歳女。プロポーズを期待していたのに…
▶Next:8月16日 火曜更新予定
ついに千紘は、結婚式で12年ぶりに浩二や亜美と再会することになり…
初めての昼デート。待ち合わせ早々、彼女がバッグから取り出した“予想外のモノ”に、男は唖然とし…
2022年8月9日