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中野英雄 息子・太賀の作品で号泣した過去「彼を見ていると、柳葉さんとダブります」

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「いつもはフォークしか使わないけど今日は撮影だから」と笑いながらナイフを入れる。立ちのぼる湯気。その向こうで、中野は少年のような笑顔を見せて頬張った。

 

「ハンバーグステーキという料理を初めて食べたのはここです。確か小学2年だったかなあ。うちはオヤジがどうしようもないやつで、とんでもなく貧乏でした。だから一人前のハンバーグを母と妹、僕の3人で分け合って食べたんです」

 

 少年時代は、荒れていた。

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「巷でいわれるエピソードは盛られすぎです。喧嘩無敗のように語られていますけど負けたことしかありません」

 

 と苦笑するが、中野は近隣の不良たちに知られた存在だった。そして「あの喧嘩がなかったら僕はヤクザになっていたでしょうね」と、哀川翔との出会いを振り返った。

 

「翔さんは友達の家に遊びに行く途中でした。彼とすれ違ったとき僕がガンを飛ばしたんです。それで喧嘩になり、僕はボコボコにされて顔面血だらけ。帰宅して卵かけご飯を食べていたら、玄関の引き戸が開いて、翔さんが『大丈夫?鼻の骨、折れてない?』って心配してくれたんです。『この状況、どうすればいいんだ?』って思いながら『大丈夫っす、折れてないっす』と答えるのが精いっぱいで(笑)」

 

 当時、専門学校生だった哀川は雑誌「ポップティーン」のアルバイトライターをしていた。中野は誘われるままにロックンローラーの路上パフォーマンスなどを見に行ったが、「暴走族の俺らは交われない」と思った。

 

 その後、哀川は「劇男一世風靡」のメンバーになる。ずっと交流は続いていたので、中野がメンバーになるのは自然な流れだったのかもしれない。中野は19歳になっていた。

 

「世間の常識を知らない僕に、先輩方が礼儀や挨拶の仕方を一から教えてくれました。僕にとっては大学でした。

 

 仕事は付き人で、先輩方の身のまわりの全部をお世話しました。事務所に寝泊まりすることも多かったですけど楽しかったです。その後はだんだん柳葉(敏郎)さんのお世話をすることが多くなり、柳葉さんはドラマ出演も多かったので僕も犯人なんかのチョイ役で出演していました。痴漢をして逃げる男とか(笑)。

 

『君の瞳をタイホする!』(1988年、フジテレビ)では7回くらい犯人をやりました」

 

 しかしストレスも溜まった。

 

「一世風靡の仕事だけなら楽しかったんですけど、柳葉さんから『いろいろな方に重宝されるようになりなさい』『 “作品” の付き人になりなさい』と言われて。皆さんから『ヒデ』と呼ばれてかわいがられましたけど、こき使われるから休みもない。理不尽なことも言われて『こいつ、殴ってやろうか』と本気で思ったこともあります」

 

 鬱憤は積もりに積もり、ニューヨークのホテルで柳葉と大喧嘩をしてしまう。

 

「『ニューヨーク恋物語』(1988年、フジテレビ)の撮影で滞在していました。酔った柳葉さんとゴタゴタしまして、『お前なんか日本に帰れ』となって売り言葉に買い言葉。『わかりました』と帰国して、それからは柳葉さんの付き人から外れました」

 

 

「劇男一世風靡」で活動していた23歳のころの中野英雄

 

■生活資金のために受けた役が人生を変えた

 

 劇男一世風靡解散後は近所の運送会社でアルバイトをしながら出演依頼を待った。

 

 しかし、思ったようにはこなかった。長男を授かり生活はギリギリ。そこへ一本の電話がかかってきた。「柳葉のマネージャーとして迎え入れたい」。

 

 柳葉が所属していた事務所の社長からだった。

 

「驚いたので『一日、考えさせてください』とご返事しました。すると、社長が『今の話の後で言いづらいけど、お前にドラマの仕事がきてる。だけどこれを受けちゃうと(今後)仕事がこなくなっても俳優という職業から離れられなくなるぞ』と言うんです。

 

 どんだけすごい仕事なんだと思いましたけど、生活資金が欲しかったので『これが最後だと思って頑張ります。やらせてください』とお願いしました」

 

 出世作になったドラマ『愛という名のもとに』(1992年、フジテレビ)への出演が決まった瞬間だった。

 

「チョロは性格も生きてきた道のりも僕とは正反対。監督からはワンサイズ小さいスーツを着るように指示されました。そうすれば肩が上がり、歩き方も前屈みで弱々しさが出る。額の剃り込みも隠しました(笑)。

 

 役作りは難しかったですね。困って柳葉さんに相談したら『ヒデ、演じる人物と自分には必ず共通点がある。そこを探せば開けるぞ』と言われました。この言葉は今でも役作りの指針になっていて、後にも先にも柳葉さんにアドバイスをもらったのはそのときだけですね。

 

 そうやって探したチョロと僕の共通点は、強そうに見えてじつは気弱。仲間にカッコつけたい、いいやつと思われたいというあたりでした」

 

 やがて中野はテレビドラマや映画で活躍しながら、Vシネマでも存在感を示すようになる。

 

「Vシネマに出演するようになったのは、『哀川さんのところに戻って一緒に仕事をしたい』という気持ちからでした。哀川さんにも『お前さ、もともとが不良なんだからヤクザ映画できるだろ』って誘われていましたから。確かに役にはスッと入れました(笑)」

 

 こうして「ネオVシネ四天王」と呼ばれるまでになった中野。彼の次男も俳優の世界で活躍している。放送中のドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)にも出演している人気若手俳優・仲野太賀だ。

 

「ありがたいですね。彼が努力しているのを僕も間近で見てきましたから。台詞の練習も、言い方やシチュエーションを変えて夜通しやっていました。小さいころは写真を撮られるのも苦手だったんです。中学入学のころに映画を観ることが好きになって『いつか自分も出たい』と思うようになったのかなあ。

 

 映画『バッテリー』(2006年)を観たときはヤバかったです。

 

 まだ中学生の子供が自分と同じ道を歩んで、その作品を映画館で僕が観ている。涙が止まらなくて、そのときを思い出すと、今もちょっとヤバいかも」

 

 息子を見ていると恩人を思い出すという。

 

「太賀を見ていると柳葉さんとダブります。柳葉さんは役者として成長していくための自分なりの設計図があって、それに沿って出演作品などを考えていました。『今はこの作品に出るべきではない』みたいに、あえて仕事を断わることもあって。太賀もそんな確固たる信念と設計図を持っていますね。それを太賀に言うと『あ、そう』と鼻で笑われそうですけど。親子共演? 僕はぜひ(笑)。太賀とはそんな話をしたこともあります。

 

『オヤジとやるならお互いが知っている監督さんで、主役はお互いが大事に思っている人』と言っていました。僕は人がいいおじちゃん役なんかやってみたいですね。悪役の役者が晩年にいいおじちゃん役をやること多いじゃないですか。憧れます」

 

なかのひでお
1964年生まれ 京都府出身 1985年、哀川翔から「劇男一世風靡」に勧誘されて芸能活動を開始。ドラマ『愛という名のもとに』(1992年、フジテレビ)で “チョロ” と呼ばれる真面目で不器用な青年を演じた。映画『アウトレイジ』シリーズ、ビデオ映画『首領への道』など多くの作品に出演。YouTubeチャンネル「中野英雄ちゃんねる」を配信中

 

【NEW-BURG】
住所/東京都杉並区高円寺北3-1-14
営業時間/11:00~22:00(L.O.22:00)
定休日/年末年始

 

写真・野澤亘伸

 

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