結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?
優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。
それなのに・・・。
私は一体いつから、“妻であること”に息苦しさを感じるようになったんだろう。
◆これまでのあらすじ
夫にこれまでため込んでいたことをぶつけた麻由。反省した夫は浮気をやめ、一方で麻由も、カフェ定員・圭吾と連絡を取り合うことをやめた。そんなある日、朝からインターホンが鳴り…。
▶前回:夫不在の夜、こっそり男と電話していた女。突然、全てを盗み聞きしていた夫が現れ…
突然の来訪
平日の朝8時前。
インターホンが鳴り、私はモニターを覗き込むと、小綺麗な身なりをした女性が立っている。
首をかしげながら通話ボタンを押すと、私が話すより先に、彼女が口を開いた。
「おはようございます。麻由さん、でしょうか?」
「はい…そうですが?どなたでしょうか?」
「私、あなたの旦那さんとお付き合いしています、佑里香といいます」
あまりの突然のことに、私は呆然とする。
― 何か言わなきゃ。
しかし、頭が真っ白で言葉が浮かばない。
そうしているうちに、女性は淡々と話し続ける。
「浩平さんとのことで、お話があってまいりました。この時間なら、麻由さんが確実に、おひとりで家にいらっしゃるのかな、と思って。差し支えなければ、お話しできますでしょうか」
「…私、これから出社なんですが」
本当はお休みを取っているけれど、彼女のペースにのまれたくなくて、あえて嘘をついた。
しかし、彼女は薄笑いを浮かべながら言う。
「いいえ。麻由さんは今日、お休みです。あなたはお勤め先でBCP要員になっていますよね。半年に1度、日曜に出社して訓練を受けている。その振替休日を、必ず翌週の水曜日に取っている」
「…」
「以前に、浩平さんから聞きました」
夫にしか話していないことを、さらさらと説明する彼女。
戸惑いや驚き以上に、強い不快感が胸に湧き上がるのを感じた。
しばらく沈黙が続いたあと、彼女がまた口を開く。
「すみません。突然家に押しかけられたら、驚きますよね。私、しばらく駅前のカフェにいます。もし気が向いたらお越しください」
一方的な言葉の後、モニターの映像は切れた。
― なに、今の。
通話が切れた瞬間、私はその場にへなへなと座り込む。
― 浩平が、まだあの人と会ってるってこと?でも最近は、そんな様子もなかったし…。
この2ヶ月、夫は人が変わったように、清く正しく生きているように見えていた。
残業で遅くなる日以外はまっすぐ家に帰ってくるし、土日もほとんど出歩くことはない。家事にも協力的だし、私との会話も以前より増えた。
― じゃあ、浩平に切られた腹いせに、私のところへ来たってことなのかな。
直接家に押しかけられて、恐怖を感じている自分がいる。
でも…。一方で、今の佑里香という女性に、浩平のことを色々聞いてみたい気持ちもあった。
いつから関係を持っていたのか。
私にどんな不満を感じていたのか。
どうして私のもとへ戻ってきたのか。
つい2ヶ月前まで、浩平は当たり前のように毎週家を空け、平日もほとんど帰って来ずに、やりたい放題の状態だった。
私が不満をぶつけた日を境に、浩平はきっぱりと行いを改めたが、彼が浮気に走った経緯については、詳しく聞くことができていない。
― なんか、浩平があまりに綺麗に変わっちゃったから、今さら聞きづらいいし…。
しかしそのせいなのか、まだいまいち彼を信用しきれていないのも事実。
私は意を決して、佑里香の待つカフェに向かうことにした。
「お越しくださりありがとうございます」
9時過ぎ。
駅前のカフェに着くと、人もまばらな店内の一番奥の席で、佑里香はコーヒーを飲んでいた。
近づいてきた店員に同じものを注文して、私は彼女に向き直る。
正面から見ると、佑里香は不思議な空気感の女性だった。
目じりの皺などから察するに、年齢は40代前半といったところだろうか。
小さな目に、同じく小さな鼻と口。顔のパーツは目立たず、ハッとするほどの美人というわけではないが、配置が整っているからか、上品な印象をうける。
清潔感のある薄手の白いシャツを身に着けていて、耳元には、TASAKIのbalanceが輝いていた。
「突然家まで押しかけてしまってすみません。非常識だとは思いつつも、どうしてもあなたと話がしたくて。2ヶ月前に、浩平さんから『妻にバレたから別れてほしい』と言われてから、彼とも音信不通ですし」
「…」
私は硬い表情を崩さず、佑里香の話に耳を傾けるが、内心少し安心していた。
― 浩平、『浮気相手とはもう会わない』って言ってたけど、ウソじゃなかったんだ。
しかし…。
佑里香は私の心を見透かすように、口の端を持ち上げて微笑む。
「麻由さん。今、安心したでしょう?『浩平は浮気相手とちゃんと別れてたんだ』って確認できて、ホッとしましたよね。
でもね…。あなたに教えてあげたいことがあるの。
私、あなたが浩平に出会う前、彼と6年もお付き合いしていたんです」
頬に手を当てて、「うふふ」と微笑む佑里香。
優雅な素振りとは裏腹に告げられた衝撃の事実に、私は絶句した。
「4年ほど前ね、『別れてほしい』って浩平から言われたのは」
コーヒーにミルクを注ぎ、マドラーでくるくるとかき混ぜながら、歌うように佑里香はつぶやく。
いつのまにか呼び方が「浩平さん」から「浩平」に変わっているが、やけに自然な響きに聞こえた。
「私、今42歳なの。浩平とは仕事の関係で知り合ってね。32歳から6年間、彼と付き合ってたわ。
別れた時、私は38歳で彼は33歳。『結婚したいと思える子に出会った』なんていうから、笑っちゃったわよね。
当時、彼とは結婚の約束こそしていなかったけれど、同棲までしていたのに。でも、心が決まった彼の行動は早くて、あっという間に家を出て行ってしまった」
佑里香は一度言葉を切り、遠くを見つめた。
― 出会った時、てっきり勝手にフリーだと思っていたけれど。まさか、同棲している彼女がいたなんて…。
複雑な思いで、佑里香の話に耳を傾ける。
「でも、2年くらい前かな…浩平に、また会うことがあったの。当時、私は別の会社に転職していたのだけど、その転職先でまた、浩平とお仕事することがあってね」
瞬間、チクリと胸が痛む。
ちょうど新婚期間が終わって、なんとなく関係がマンネリし始めた時だ。
「浩平、言ってたわよ。『妻は色々と甲斐甲斐しくやってくれるけど、正直言って疲れる。だから、癒しを求めて君に会いたくなるんだ』って」
心無い言葉に、耳を覆いたくなる。
夫から直接聞いた言葉ではないのだから、真に受ける必要はない――頭ではそう思うのに、心はしっかりとえぐられている。
なぜならあの時、ゆっくりと…だが確実に、浩平の私に対する関心が失われていったのを覚えているからだ。
「再会をキッカケに、時々会うようになったの。私は、まだ彼のことがなんとなく忘れられなくて…少しずつ、会う頻度が上がっていった。特に最近は、『妻とはレスだから』って言って、私の家に入り浸るような状態だったわ」
「…そうですね、佑里香さんの家が居心地が良すぎたからか、うちにほとんど帰ってこなくなりましたよ」
私はたまらず、嫌味をこめて言い返す。
夫の浮気に心を痛めていた日々の記憶が胸の奥に蘇り、胸がつぶれるように痛んだ。
「でしょうね。でもしばらくしたら、『妻にバレたから』って、彼はまたいなくなってしまったの。あんなにあなたの悪口を言っていたくせにね。私はまた、あっさりと捨てられたってわけ」
佑里香は「うふふ」と楽しそうに微笑む。
話しの内容にそぐわないそのしぐさが、なんだか気味悪くて、私は何も言い返す気になれない。
「でね…今日、あなたのところに伺った理由なのだけど」
「ええ」
声だけで相づちを打つ。浩平と彼女の関係性は理解したが、先ほどから、一体なぜこの女性が私のもとへやって来たのかが気になっていた。
すると突然、佑里香はグッと身を乗り出してきた。
真っ白い顔が急にパーソナルスペースに入ってきて、私は思わず体をのけぞらせる。
「今の話を聞いて、浩平のこと、最低のクズ男だと思ったでしょう?
今は一時的に、あなたのもとへ戻っているけれど、きっとまたすぐに、ウソをついて遊び歩くようになるでしょうね。勝手ながら、あなたの手に負える男ではないと思うのよ。
だから――浩平を私に譲っていただきたいの」
丁寧な口調とは対照的に、佑里香は射貫くような、鋭い眼差しで私を見据える。
「これは、あなたのためを思っての提案でもあるの。
あなたは、まだ32歳。42歳の私には、もう浩平しかいないけれど、あなたはその年齢なら、いくらでもやり直しがきく。
もちろん、慰謝料だってちゃんとお支払いさせていただくから、よく考えていただけたらうれしいわ」
一方的にそう告げると、佑里香はテーブルにお金と連絡先の書かれたメモを置いて、去っていく。
― なによ、それ…。
あまりの出来事に、私はただただ呆然と、その紙きれを見つめ続けていた。
▶前回:夫不在の夜、こっそり男と電話していた女。突然、全てを盗み聞きしていた夫が現れ…
▶1話目はこちら:結婚3年目の三鷹在住32歳女が、夫に秘密で通う“ある場所”とは
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衝撃的な提案を受けた麻由。思わず相談した相手は…
彼が本妻と出会う前から付き合ってます!10年越しの不倫女の激白
2022年8月6日