「あの頃の自分が思い描いていたオトナに、ちゃんとなれてる?」
高校卒業から12年。
これは様々な想いを抱えて上京してきた、男女9人の物語だ。
恋に仕事に、結婚に。
夢と現実の狭間でもがく30歳の彼らが、導き出した人生の答えとは?
▶前回:交際2年目の彼氏がいる30歳女。プロポーズを期待していたのに…
高原亜美、30歳。“自称モデル”の裏の顔
『今日もお疲れさまでした♪』
金曜20時。入念に加工した自撮りをInstagramに投稿すると、すぐにコメント通知が届いた。
『モデルの仕事、お疲れさま~!年末は帰ってくる?』
それは私の地元・愛媛在住で、高校時代の同級生である千奈美からだった。
千奈美だけじゃない。家族や地元の同級生たちは、私が今もモデルの仕事をしていると思っている。でも実際は、2年前からモデルの仕事はゼロだ。
暗い気持ちでマノロ ブラニクのフラットシューズに足を入れると、私は電車に飛び乗った。
六本木駅で降車すると、まぶしいほどのネオンを横目に、ある場所へと向かう。…それは、撮影スタジオなんかじゃない。
「おはようございま~す」
芸能人御用達のレストランやバー、会員制の高級店がひしめく大人の街・西麻布。そんな街の路地裏に、ひっそりとたたずむビルが私の仕事場だ。
「亜美さん入りました!よろしくお願いします」
黒服に誘導され、煌びやかなシャンデリアに照らされた私は、お客様の前でゆっくりとお辞儀をする。
「亜美です。お隣、失礼します」
顔を上げると、3人組の男性がワインを片手にニッコリ微笑んでいた。
ここは財界人や芸能人が通う、大人の社交場。私はこの場所で、ラウンジ嬢として1人生き抜いてきた。
小さく会釈をして席に着くと、一番奥の席に座っていた男と目が合う。
その瞬間、私は凍り付いた。
― な、なんで浩二がいるの?
そこには、12年ぶりに会う高校時代のクラスメイト・浩二がいたのだ。思わず目をそらすも、時すでに遅し。
「…亜美ってもしかして、南高の亜美?」
― 最悪だ。こんな場所で、高校の同級生に会うなんて。
モデル時代の知名度を利用するため、本名で働いていたことを後悔する。
思いっきり動揺している私と、驚いた顔の浩二を、同席している男性たちが興味津々で見ている。すると彼は高校時代と全く変わらない笑い方で、こう言い放った。
「おふくろから『亜美はモデルやってる』って聞いてたけど、ラウンジ嬢だったとはね」
目の前が真っ白になった。浩二の母親と私の母親は、昔からとても仲が良いのだ。
― やめて、お母さんにだけはバレたくないのに!
冷静を保とうと、ワイングラスに手を伸ばす。するとグラスは震える指をすり抜け、大理石のテーブルの上で粉々に砕け散った。
「ちょっと亜美ちゃん、どうしたの!?…お客様、お怪我はありませんか?」
黒服が飛んできて辺りが騒然とする。気が動転していた私は、自分でも驚くほど大きな声でこう叫んでいた。
「お願い、今日のことは誰にも言わないで。お母さんにだけは絶対言わないで…!」
皆が、好奇心たっぷりの目で私を見ている。気がつくと私は、黒服に手を引かれて控室にいた。
― なんで、よりによって浩二が…。
絆創膏から滲む薬指の血を見つめながら、私は12年前のことを思い出していた。
高原亜美、18歳。モデルと東京への憧れ
2010年9月。
「お前のせいで大和は死んだんだ!」
浩二の言葉で、クラス全体に重い空気が漂ったあの日。私は初めて人を殴った。
「はぁ…!?あんた千紘の気持ち考えなよ!」
親友に心ない言葉を浴びせた彼の頬に、平手打ちをしたのである。私は昔から、気が動転すると自分を抑えられない性格だった。
「2人とも、お願い。やめて…」
千紘が泣きながら、その場に崩れ落ちる。浩二は赤くなった頬を押さえながら、黙って自分の席に戻った。
「…千紘のせいじゃないから」
そう言って彼女を抱きしめると、千紘は魂が抜けたように一点を見つめていた。無理もない。ある日突然、大切な恋人を失ったのだから。
千紘と私は、親友だった。
「今日、雑誌の発売日だよ!」
そして、お気に入りのファッション誌が店頭に並ぶのを楽しみにしていた私たち。毎月、彼女とともに町に1つしかない小さな書店へと駆けこんでいた。
「うわあ!やっぱり、佐々木希ってカワイイね~」
近くのファミレスに入り、雑誌を広げる。
「大学生になったらさ、うちらも渋谷で買い物とかするのかな?デートは六本木かな?」
渋谷109の前でポーズを決める読者モデルたちを見つめながら、千紘と目を輝かせる。
東京。それは田んぼと海しかない田舎育ちの私たちにとって、憧れの場所だった。
当時の私には、誰にも言えない「モデルになる」という夢があった。私は、高校1年生で身長が171cmもあったのだ。
「ただ背が高いだけの冴えない女子高生が、モデルなんかになれるわけないでしょ」
母に夢を打ち明けた日、そう言われた。でも千紘だけは「モデルになれるよ!」と言ってくれたのだ。その日から、私たちは親友になった。
同じく彼女にも夢があった。小説家になることだ。お互いの夢を語り合う放課後のひとときは、何よりも楽しかった。
しかし私が浩二を平手打ちしたその日から、千紘が笑うことはなくなったのだ。
「千紘!今日、雑誌の発売日だよ」
「…ごめん。今日は帰るね」
次第に千紘は、私だけでなく同級生全員を避けるようになった。そしてそのまま、卒業を迎えた。
◆
「…亜美ちゃん、聞いてる?仕事なんだから、公私はちゃんとわけてもらわないと」
我に返ると、黒服が険しい顔で私を見つめていた。
「すみません…。以後、気をつけます」
そのまま早上がりさせてもらった私は、着替えを済ませて店を出た。
そして西麻布交差点で信号待ちをしていた、そのとき。いきなり背後から声を掛けられたのだ。
「亜美!怪我、大丈夫だったか?」
声の主は、浩二だった。
「浩二…。なんでここに」
「待ってた。どうしても亜美に謝りたくて」
「今さら何なのよ。どうせ私のこと、みんなにペラペラ話すんでしょ?」
「亜美がラウンジ嬢だってことは、絶対誰にも言わないから。それに…」
いきなり浩二が押し黙る。そして少しの沈黙のあと、こんなことをつぶやいたのだ。
「大和と千紘のこと、ずっと謝りたかった。一杯だけ飲まない?」
そして彼に促されるまま、近くのバー『テーゼ』に入った。
薄暗い店内。壁一面には、ズラリと本が置かれている。味のあるアンティーク家具も並べられており、まさに大人の隠れ家といった雰囲気だった。
「ここ、来たことある?」
「うん。昔、元カレと来たことあるよ」
店員が、フルーツの入ったバスケットを運んでくる。浩二は慣れた様子で、色とりどりの果物の中から日向夏を指差した。
「なんか、ごめん」
「だから何が?」
「今日のこと。…あと、12年前のことも。手は大丈夫だった?」
そう言って、絆創膏を巻いた私の薬指に視線を落とす。ふと私も、自分の指をまじまじと見つめた。
― この12年、何度か結婚を意識した人もいたけど…。一度も、この指に指輪をはめたことはなかったな。
「…東京って、憧れだけじゃやっていけんよなぁ」
カクテルに口をつけた浩二が、急につぶやいた。
「はは、方言なつかし」
久しぶりに聞いた愛媛の方言と、日向夏の香りに、スッと体の力が抜ける。
「地元の友達には言ってなかったけど、モデルしてたのは2年以上前なんだよね。たまに愛媛帰ると、ちょっと雑誌に載っただけでチヤホヤされるし。なかなか言えなくてさ。
モデルやってたときも、それだけじゃ生活できないから、並行してラウンジで働いてた」
彼は静かに頷きながら、私の話を聞いたあと「そっか」とだけ言った。
「ここまで話したんだから、絶対お母さんには言わないでね。もちろん地元のみんなにも!」
「わかってるって。…じゃあ、俺も。友達には言ってなかったこと話すわ」
浩二はカクテルを飲み干し、長いため息をついた。
「実は、さ…」
その後、彼から発せられたのは思いもよらない言葉だった。
「12年前、大和を死なせたのは俺なんだ」
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ずっと気まずい関係でいた彼から、まさかの告白。そんな浩二が、抱えていたものとは?
深夜の交差点で、ぼんやりと信号待ちをしていたら…。女がいきなり顔を引きつらせ、凍り付いたワケ
2022年8月3日