■母の教え「あんたは九州男児なんだよ」
福岡県出身で、芸能界とは無関係の家庭に生まれ育った郷。家庭では「父親は教育に関して何も言わなかったですね。母親がとにかく厳しかった」という。
母の教えで特に印象深いのは「(人に合わせるのではなく)自分でものを考える」ということ。たとえ99人が賛成でも、自分が反対だと思うなら貫くべき、という。郷は「独自性は絶対に大切にしないといけない、というのが母親の中にあったみたいですね」と振り返った。
そんな母のしつけが、歌手・郷ひろみ誕生の最初のきっかけになった。15歳の時、“近所のおばさんが勝手に応募した”という映画のオーディションを受けることに。だが直前になって不安に襲われた。
「『お母さん、やっぱり僕行きたくない』と言った瞬間にバーンと(頬を平手で)殴られたんです。『あんたは九州男児なんだよ。言ったら最後までやるのが男なんだよ。一緒に行こう』」と当時を回想。「それがなかったら、『やめようか、ひろみ』となって、(オーディションに)行かなかった可能性もありますよね」としみじみ語った。
■“奇跡の一日”怒涛の芸能活動初日
そのオーディションで出会ったのが、郷が芸能活動をスタートさせることになるジャニーズ事務所の社長(当時)・ジャニー喜多川氏だった。「2週間後に合宿所に遊びにおいで」と言われ、事務所を訪れたその日が“奇跡の一日”になった。
事務所を訪問するとまず、ジャニー氏に連れられNHKへ。その場でプロデューサーと面談し「15分ほど待ったら『おめでとう、ひろみくん。大河ドラマが決まったからね』って」。俳優デビュー作品が決まった。
その後、飛行機に乗って当時の人気アイドルグループ・フォーリーブスの旭川公演会場へ。「初めて見る光景。ビックリしました」と舞台袖で華やかなステージに目を見張っていると、メンバーから「今度デビューする僕たちの弟分、ひろみくんを紹介します」と呼び込まれ、ステージへ。
この時、ファンから上がった「レッツゴー! レッツゴー! レッツゴーひろみ」の掛け声が“郷ひろみ”の由来だという。「僕も疑問に思って『レッツゴーひろみですか?』と言ったら、(ジャニーさんが)『うーん、レッツは取るよ』って」。一日で俳優デビュー決定、ステージデビュー、芸名決定という怒涛の流れに、スタジオで聞いていた大政絢や澤部佑(ハライチ)ら出演陣も「すごい話…」と絶句した。
■“インパクトある歌詞”に込めた思い
そんな形でスタートして、今年で歌手デビュー50周年。66歳を迎えたが、体力的な衰えは「正直なところ感じない」という。
郷といえば、インパクトあるワンフレーズ歌詞の印象が強い。林先生が「定期的にちゃんとインパクトある歌詞が生まれていて」と振ると、郷自身も「ある時期から、僕も“そうあるべきなんだろうな”と」と、打ち明けた。
意識が変わったきっかけは「お嫁サンバ」(1981年)。遊び心に満ちた歌詞に戸惑い、プロデューサーに相談したところ、「この歌を明るく歌えるのはあなたしかいない」「この曲は結婚式に欠かせない歌になる」と説得され、納得した。
林先生が「実際、その(プロデューサーの)方のおっしゃった通りになりましたね」と投げ掛けると、郷も「そうですねぇ…」と感慨深げ。実際「お嫁サンバ」は大ヒットし、結婚式の定番曲となっている。
その後は、楽曲にインパクトを持たせることを意識してきた。8月3日にリリースする108枚目のシングル「ジャンケンポンGO!!」も、そんな郷の思いがこもった一曲だ。郷の感性が反映されたキャッチーで印象的なタイトルに、スタジオのメンバーからも「すごい!」「一生忘れないタイトル!」と感嘆の声が上がっていた。