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「話にならないようなレベルだった」。世界中を魅了した“1992年ドリームチーム”を取材した記者が当時を回想<DUNKSHOOT>

THE DIGEST

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「話にならないようなレベルだった」。世界中を魅了した“1992年ドリームチーム”を取材した記者が当時を回想<DUNKSHOOT>

 今から30年前の1992年夏、スペインのバルセロナでは、『ドリームチーム』と呼ばれた男子バスケットボールのアメリカ代表が、世界中のファンを魅了していた。

 オリンピック史上初めて、NBAの現役選手が出場したこの大会のアメリカチームには、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、カール・マローン、ジョン・ストックトン、クライド・ドレクスラー等々、のちに殿堂入りする錚々たるメンバーが集結した。

 彼らはグループリーグからクロアチアとの決勝戦までの全8試合で、平均43.75 点の点差をつけるという圧勝で、金メダルを手にした。

 ……と、そんな歴史はもはや語るまでもない、永遠に語り継がれる伝説だが、今大会で重要な役割を果たすことになった本戦直前のモナコ合宿について、現地で取材した仏『レキップ』紙のアーノルド・ルコント記者が、興味深い裏話を紹介している。

 バルセロナからも遠くない地中海沿岸のモナコは、言わずと知れたセレブの街。スター軍団アメリカ代表の合宿地として、選ばれるべくして選ばれたようなイメージがあるが、実はそうではなかった。

 きっかけを作ったのは、元フランス代表ヘッドコーチで、当時、同国のバスケットボール協会のスタッフだったピエール・ダオ。アメリカバスケ界にも広い人脈を持っていた彼は、その年、オーランドで開催されたNBAオールスターの期間中、前コミッショナーのデイビッド・スターンに「バルセロナ五輪前に、フランス代表とのテストマッチをしてはどうか?」と提案した。
  スターンはこの意見に賛成。会場は、通常フランス代表が国際マッチを行なうパリ市内のベルシー・アリーナ(パリ五輪でも決勝トーナメントが行なわれる会場)になるはずだった。しかし7月はバカンスシーズン真っ最中。パリジャンたちははみな旅行に出かけて、アリーナに人が集まらないかもしれない。

 そこで、集客できそうなアリーナを探し、最終的にモナコを会場にすることになった。ラグジュアリーなフェアモントホテルが宿舎にあてがわれ、7月18日、アメリカ一行はチャーター便でニース空港に到着する。

 出迎えたルコント記者は、「選手たちはみんな奥さんや子どもなど家族連れだったし、とにかくスタッフも多くてとんでもない大所帯だったのにまず驚いた」と振り返っている。

 アメリカ代表の選手たちには、1日2時間の練習以外は自由時間が与えられており、各々カジノやビーチを満喫し、リラックスムードでほとんどバカンスのようだったという。

 そのなかでジョーダンは毎日ゴルフ三昧だった。「Tシャツにキャップ、というものすごくラフな格好で毎日ゴルフバッグをかついで出掛けていった」(ルコント記者)
  現在は同紙の重鎮記者であり、記者組合の幹部も務めるルコント氏だが、当時はまだ正社員契約を手にする前の駆け出しで、取材経験はローカルな2、3試合のみ。そんな新米ながら、いきなりドリームチームの取材に抜擢された彼は、ある日、ホテルのエレベーターでマジックと偶然に乗り合わせるという幸運にあずかった。

 こんなチャンスはないとばかりに、たどたどしい英語を駆使して自己紹介し、「3分でいいので、インタビューさせてもらえませんか?」と勇気を振り絞って直談判。

 すると意外にもマジックは、「いいよ、でも5分だけ待ってて」と了承。いったん引き返したが、約束通り戻ってくると、プールサイドで独占取材に応じてくれた。

 そして7月21日に行われたフランス代表との試合は、111-71でドリームチームが圧勝。バークレーとジョーダンがゲームハイの21得点をマークした。

 この頃はまだ欧州の強豪ではなかったフランスは、五輪出場権は得ておらず、選手たちは休暇中だったが、相手がドリームチームだと分かると、みんな張り切って試合に参加した。

 当時はまだスマートフォンなどなかった時代。フランスの選手たちはベンチにマイカメラを持ち込み、試合終了後は大撮影会と化したという。
  ガードのフレデリック・フォルテは、現役引退後はフランスの強豪リモージュの名会長となったが(2017年に心臓発作により急逝)、後年ルコント記者が彼のオフィスを訪れた際、その試合の際に撮ったジョーダンとのツーショット写真が誇らしげに飾られていたそうだ。

 このフランス戦は、チームUSAにとっては、FIBAルールや、国際試合の審判に慣れるためのものでもあった。実際アメリカ側は、この試合にFIBAの審判を用意することを事前に要求していた。

 序盤はフランスがリードする局面もあったが(アメリカは直前までカジノで遊んでいた選手もいて、エンジンがかかるのが遅かったのが主な理由らしい)、ドリームチームはすぐに欧州のプレースタイルにも順応し、ルールや審判の采配に関してもコツを掴むと、大差で勝利をもぎとった。

 初めてNBAのスター選手を生取材したルコント記者が最も衝撃を受けたのは、彼らの「フィジカル能力」だったという。

「テクニックが素晴らしい、というのももちろんあるが、それより何より、フィジカルの強さ。フランスにも、ガタイのいい“フィジカル自慢”と呼ばれる選手はいたが、彼らなどまったく話にならないようなレベルだった」
  また、練習終わりにやるお決まりのシュート練習では、クリス・マリン(元ゴールデンステート・ウォリアーズほか)が、3ポイントを1本も外すことなく50本くらい連続で決め続ける姿を見て「まるでマシンのよう」だと、レベルの違いに驚愕したという。

 ただモナコ合宿は、このフランス戦だけでは終わらなかった。この試合後、この地で伝説の『ジョーダンvs マジックのスクリメージ』が行なわれたのだ。

 ジョーダンが「いろいろな意味で、自分が出た中で最高の試合」だと称したこのスペシャルマッチは、ジョーダン率いる白チーム(スコッティ・ピッペン、ラリー・バード、カール・マローン、パトリック・ユーイング)とマジック率いる青チーム(マリン、バークレー、デイビッド・ロビンソン、クリスチャン・レイトナー)が激突。
  アメリカ代表のチャック・デイリーHC(ヘッドコーチ)は選手たちに、「自分が持っているものをすべて出し尽くせ」と指示。これまでのバカンス気分を一気に払拭する、真剣勝負が繰り広げられた。

 試合はマジックチームが序盤からリードしたが、最後はジョーダンチームが逆転勝利。

「体育館には鍵がかかっていて、あの瞬間、あそこには、バスケットボールだけの世界があった。選手それぞれのDNAが剥き出しになって、誰がどれだけ勝ちたいのかもよくわかった。マジックはあのあと2日間もご立腹だったよ」

 のちにジョーダンはこの試合を振り返っているが、心身ともにリラックスした後でのこのヒリついたゲーム感覚が、本戦直前に、ドリームチームを最高の状態に仕上げたのだろう。

 撮影していたビデオテープをもとに、『Greatest Game Nobody Ever Saw』というタイトルで、ドキュメンタリー番組も作られている。30年前の栄光を振り返りつつ、モナコの体育館で繰り広げられたジョーダンの“最高の試合”を、ぜひ見てみたいものだ。

文●小川由紀子

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