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奥山佳恵 勢いだけで歌った『おどるポンポコリン』で3万人オーディションのグランプリに!

女性自身

 

放課後は、’90年前後に急増したカラオケボックスにクラスメートたちと行き、Winkや工藤静香の曲を熱唱。

 

「1曲歌うごとに100円もかかるレーザーディスクカラオケの時代だったので、渾身の1曲を選んで歌っていました」

 

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渋谷や下北沢、自由が丘などに遊びに行く都会的な学生生活を満喫していたが、高校2年生のときに転機が訪れる。

 

「セールで水着を買おうと、渋谷に行ったときのこと。センター街の入口で、真ピンクのチラシが配られていたんです。いったんは受け取らずに通り過ぎたのですが“もしかしたらセールのチラシかも”と思って引き返すと、映画のオーディションでした。『受けてみませんか? 女のコを募集しているんです』と声をかけられチラシを手にすると、“グランプリはフロリダのディズニーランドにペアでご招待”とあって」

 

フロリダ旅行に目がくらんだうえ、生来のノリのよさもあり、応募することに躊躇はなかった。

 

その映画こそ、東芝EMI、TBS、松竹、そして後に所属することになる芸能プロダクション・アミューズの4社共同プロジェクト『喜多郎の十五少女漂流記』(’92年)だった。

 

「でも、当時はよくわかっていなかったし、そもそも受かるとは思っていませんでした。覚悟も知識もないから、一次審査にも寝癖がついたまま、Tシャツ、短パン姿で行ったんです。周囲の参加者は髪をキレイに整えて着飾った本気の女のコばかりで、私は完全に場違いでしたね(笑)」

 

 

■歌唱審査で歌が苦手な私を救った勝負曲

 

演技の審査も、何をどうしていいのかわからない。

 

「一次審査のときに仲よくなった女のコがいたおかげで、いつもどおりの自分でいることができました。それが山本未來。お互い励まし合いながら、最終審査まで一緒に進みました」

 

グランプリには歌手デビューも約束されていたオーディションだったため、最終審査では歌わなければならなかった。

 

「歌唱力にも自信がなくて、何を歌ったらいいのか決めかねていました。最終審査の数日前になっても歌う曲が決まらず、カラオケに行ってなんとなく入れてみたのが『おどるポンポコリン』でした」

 

ちょうど放送が開始された『ちびまる子ちゃん』(’90年~・フジテレビ系)のエンディング曲として、話題になっていたころだ。

 

「“なんという、意味のない歌詞なんだ”と思いつつも、なぜかお祭り気分になり、心がウキウキして、全力で歌っていました。それまで、カラオケで歌う曲は歌詞重視だったのですが、意味不明な歌詞とノリがいいメロディに“こんなに歌って気持ちいい曲があるんだ”って。何より、歌が苦手な私でも、勢いで歌えばごまかせるかもって思ったんです(笑)」

 

最終審査で歌う曲は決まったが、カラオケ音源を持参しなければならなかった。

 

「その足で渋谷の西武百貨店に行くと、たまたまカラオケのテープが売っていたんですね。そんな偶然、あります?」

 

オーディション会場では、主催者サイドが用意していた工藤静香の曲や、リンドバーグの『今すぐKiss Me』(’90年)を歌う参加者が多かったなか、彼女が選んだ『おどるポンポコリン』は異質。一次審査で出会って以来、仲よくしていた山本未來の存在が「いつもどおりの自分」であることを支えてくれたのかもしれない。

 

「多くの人が本格的に歌う中、私は勢いだけで乗り切った感じです。とにかく私らしく、元気のよさをアピールしたくて」

 

その結果、3万人を超える応募者の中からグランプリに輝いた。

 

「この曲を選ばなかったら、たぶんグランプリは取れなかったと思います」

 

人生は大きく変わり、’92年に映画主演デビューを果たすと、テレビドラマばかりでなく、『平成教育委員会』(’91~’97年)、『笑っていいとも!』(’82~’14年・ともにフジテレビ系)などバラエティ番組でも活躍。

 

デビュー数年後には、パーソナリティを務めるテレビ番組に、憧れだった大沢樹生をゲストとして迎えることもできた。

 

「デビューする前、事務所の忘年会にいらっしゃった加勢大周さんを前に、私はキャーキャーと舞い上がってしまい、スタッフに首根っこをつかまれて追い出されたことがあったんです。だから、大沢さんにお会いしたときは冷静にご挨拶できました」

 

そんな貴重な体験ができたのも『おどるポンポコリン』のおかげなのだ。

 

【PROFILE】

奥山佳恵

’74年、東京都生まれ。’90年、映画『喜多郎の十五少女漂流記』のオーディションにて約3万人の中からグランプリに。’93年、日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。その後、ドラマやバラエティ番組でも活躍。現在は、ダウン症の次男との日々を伝える講演なども積極的に行っている

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