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ヒトラー統治下のドイツ…原発開発のカギを握る男の失態とは?

幻冬舎ゴールドライフオンライン

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彼の講演の原稿は残っておらず、シュペーアが書いた回想録によれば、ハイゼンベルクの話す内容はもっぱら科学の事業として核研究の話、帝国科学者専門会議のしみったれぶり、研究のための材料の不足(主として鉄鋼、ニッケルなどの金属類)というようなドイツの科学者なら誰もがしゃべるようなことでした。

ハイゼンベルクが講演を終えて自分の席に戻ると、シュペーアは単刀直入に「どうしたら核物理学を原子爆弾の製造に応用できるか」と尋ねました。のちに、ハイゼンベルクは「ええ、原理的には原爆の製造は可能ですし、爆発性物質を作り出すこともできますが、我々の知るところでは、こうした爆発性物質を作るための全過程には莫大な費用と多くの年月を要するでしょうし、本当に実行するのであれば、途方もない技術的な出費が必要になります」と説明したと言っていました。

さらに、ハイゼンベルクがドイツにはサイクロトロンがないから研究が進まないのだと説明したのに対し、シュペーアが軍需省の力でアメリカのサイクロトロンに匹敵する大型のサイクロトロンをかならず建造すると言うと、ハイゼンベルクはこれに異をとなえ、ドイツはこの分野での経験を欠いており、まずは小型のサイクロトロンを使った実験から始めなければならないと言いました。

ミルヒ元帥がハイゼンベルクに「たとえば、ロンドン程度の大都市を壊滅状態にするとしたら、どれくらいの大きさの原爆があればいいのかな」と尋ねました。ハイゼンベルクは手で大きさを示しながら、「ほぼパイナップルくらいのものでしょう」と答えました。

次いでミルヒがアメリカは原子炉および原爆を完成するのにどれくらいの時間がかかるかと質問したのに対し、ハイゼンベルクはたとえアメリカが最大限の努力を傾けたとしても、一九四五年までは、アメリカの原爆を恐れる必要がないと答えました(この時間感覚はほぼ正しかったと言えます)。

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ところが、「どのくらいの金が必要か」と尋ねられると、ワイツゼッカー(ハイゼンベルク配下の気心が知れた物理学者。弟はのちにドイツ大統領になりました)は四万マルクという(戦前の)大学の予算としてなら十分だと思える程度の金額を口にしました。

それは軍需大臣からすれば、ばかばかしいほど少ない金額だったので、(こうした研究者のうぶというか、ばか正直さ加減に驚いて)、ミルヒとシュペーアは顔を見合わせて思わず頭を振ったと、あとでミルヒは語っていました。このようなやり取りが続き、ハイゼンベルクは原爆の製造が理論的には可能だと認めましたが、それ以上に色よい返事はとうとう彼の口からはまったく出ませんでした。

彼もこの会議がいかなる意味を持つか、原爆開発の最後のチャンスであることはわかっていたはずです。しかし、彼の返答はすべて間違ってはいませんでしたが、推進派が期待するような言葉はまったく入っていませんでした。

いずれにしても、この会議のあと、ハイゼンベルクは「政府は一九四二年六月に原子炉計画の研究を継続する必要はあるが、無理のない範囲にとどめるとの決定を下しました。原爆を製造せよとの命令はなかったし、我々がこの決定に修正を求める理由もなかった」と淡々と書いていました。

たぶん、ハイゼンベルクが内心必死で望んでいた結論どおりになったのでしょう。実際、シュペーアはこの会議以降、原爆開発の可能性など一顧だにしませんでした。

つまり、ドイツでは原爆開発は国家プロジェクトに昇格する唯一の機会を失ったのです。その時期は一九四二年六月で、ほぼマンハッタン計画が発足した時期と同じでした。

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