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もはや時代遅れ…子どもの気持ちを振り回す指導者を一喝

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、東浦一裕氏の書籍『「子ども」が「人」に育つには』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集してお送りいたします。

【前回の記事を読む】「子ども」をコントロールしようとすると失敗してしまうワケ

「子ども」の気持ちを振り回す教育者

教育者の教育する姿勢として「『子ども』は教育者の言うことを聞いて当たり前だ」と言わんばかりの教育を見ることがあります。

私はそんな教育場面を見ると、何か悲しくなってくるのです。その人たちはどういう思いで「命令」したり、時には「罵声」を浴びせたりしているのだろうか。私から言えば、そういう場面が多ければ多いほど「自分には教育力がありません」と言っているに等しいと感じてしまいます。

今や、「子ども」に「言うことを聞かせて」「従わせる教育」なんていうのは骨董品に近い教育だと自覚すべきです。本来の骨董品は古ければ古いほど値打ちが出るのかもしれませんが、こと教育に関しては何の価値もなく、むしろ「子ども」の心を傷つけてしまう凶器になりかねません。もっと、自分の立ち位置や「子ども」との関係を冷静に判断し、「子ども」の側に立った考え方を習得すべきなのです。

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素直で純粋な「子ども」は、教育者の「命令」は「指示」と捉え、「使いっ走り」は「協力」と捉えてしまいます。そんな「子ども」ほど、教育者の育てる姿勢が大きく問われます。自らの教育一つで、「子ども」は良くも悪くも育ちます。それを自覚できない教育者は本当に不幸だと思います。

教育者は「子ども」に振り回されながら教育に励め!

教育はYESマンの「子ども」を育てることではない

「子ども」の発達年齢に応じて、そのときどきの教育の方法に違いがあるのは当然だと思いますが、私はどの場合の教育にも共通して言えることの一つに「教育とはYESマンの『子ども』を育てることではない」と思っています。

「教育者の言うことを聞く子」「教育者の要求にいつも応える子」「外から見ていても明るく元気で素直な子」こうした「子ども」を絶対的に良しとする教育者は多いように思います。

確かに、発達年齢や理解力などによって「形から入る教育」が最も適している場合もあるかもしれません。ところが、そういう教育者は他の「子ども」に対しても同じ教育をしている場合が多いのです。

私は、まずは「YESマンを良し」とする考えを改めるべきだと考えています。ならば「NOマンが良いのか」というと、もちろんそういうことではありません。NOマンよりYESマンのほうが良いに決まっているのですが、そのYESマンの心のなかにどれだけその「子ども」自身の個性的な意思や考えが含まれているのかが重要なのです。

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