結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?
優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。
それなのに・・・。
私は一体いつから、“妻であること”に息苦しさを感じるようになったんだろう。
◆これまでのあらすじ
夫の浮気に悩まされる麻由は、カフェの推し店員・圭吾と親しくなる。ある日、圭吾からの久々の連絡に浮かれて部屋で電話していた麻由だが、通話の後、クローゼットから夫が現れ…。
▶前回:朝まで一緒にいようと誘われたが、タクシーで帰った女。その後、前のめりだった彼からの連絡が途絶え…
夫との口論
「麻由。今の誰だよ。誰と電話してたんだよ」
圭吾くんと久々に電話した後。
背後で「バタン」と大きな音がしたので振り向くと、開け放たれたウォークインクローゼットの扉の向こうに、怖い顔をした夫が立っていた。
「浩平。いつからそこに…」
「ついさっきだよ。家に帰ったら麻由がいなかったから、荷物を整理するためにこの中で作業してたんだ。しばらくしたら、帰ってきた麻由が急に男と電話し始めたから、驚いた」
わざとらしく、深々とため息をつく浩平。
― 自分だって、週末ごとに家を空けて遊び歩いているくせに…。
自分のことは棚に上げたような態度の彼を、思わず睨みつける。するとそれが癪に障ったのか、彼は顔をひきつらせた。
「おい、なんだよ。その目は」
「別に。友達と電話してただけだし、やましいことはないんだけど」
私と圭吾くんは、一線を越えたわけても、付き合っているわけでもない。「こそこそするようなことは何もないから、大丈夫」と私は自分に言い聞かせ、堂々と振る舞うことにした。
「ウソだろ。ちょっと、スマホ見せてみろよ。ソコに証拠があるだろ、絶対」
大股歩きで近づいてきた浩平に、半ば無理やりスマホを奪われる。彼はすぐに圭吾くんとのLINEのトークルームを見つけ出し、血走った目でスクロールを始めた。
「やっぱりな。毎日毎日、男とコソコソLINEしてるじゃないか」
夫の言う通り、私と圭吾くんは頻繁にLINEしていたから、トーク履歴は果てしなく遡ることができる。
が、どこまで遡っても、私たちのやりとりの中に決定的な“浮気”を裏付ける会話はない。
― だって、圭吾くんとは一度も“そういう関係”になっていないんだもの。浩平と私は、違うんだから。
私は勝ち誇ったような気分で、夫の横顔を見つめていた。
圭吾との関係を疑われた麻由。ついに、夫に不満をぶつけ…
ひとしきり履歴を確認すると、夫は仏頂面でつぶやいた。
「…ずいぶん、この圭吾ってヤツと仲良くしてるみたいだけど」
「うん。前にも話したでしょう、大学のゼミの後輩なの。最近、時々ゴハンに行くようになってね」
私の返答に、浩平は不服そうな顔をする。
「この頻度で連絡取ってメシ行ってって、普通なくない?相手の男、下心とかあるんじゃないの?」
― 下心って…。浩平にだけは、言われたくない。
相変わらず自分のことは棚に上げ続ける浩平。
私はついに、耐えかねて大きな声を上げた。
「ねえ。そんなこと、あなたが言える立場なの?」
浩平が、驚いたように目を見開く。
私が自分に口答えをするのが、心底意外だったようだ。
「あなたが平日ほとんど家に帰らず、週末もどこで何をしているかわからない状況に、私はずっと耐えてきたんだから」
「麻由…」
「家に全然寄りつかないくせに、たまに帰ってくる日はいつにもまして家事のクオリティーにうるさいし。私、あなたの家政婦じゃないんだけど。
それにあなたのお母さんも、どうかと思うわよ。会うたびに、二言目には『孫、孫』って。ハラスメントじゃないの、そういうの」
一度話始めると、今まで我慢していた不満がどんどんあふれていく。
目の前の浩平が、ゴクリと息をのんだ。
さっきまでの挑戦的な眼差しはどこへやら、今は困惑したような目で私を見つめ、何も言葉を発してこない。
「あなたと結婚した日、私は『ちゃんとした妻・嫁であろう』って強く心に決めたの。30歳手前で焦ってる時期に、私を選んでプロポーズしてくれたあなたへの感謝があったから」
「それは俺も、思ってる。麻由にはいつも、感謝してるよ…」
私の言葉のトーンが変わったことに安心したのか、妙に熱い口調で浩平は語り、私の手を取ってきた。
が、私はそれをピシャリとはねのける。
「今までは、あなたへの感謝があったから…相応の振る舞いを心掛けてきたし、理不尽な状況にも耐えてきた。
でもね浩平、わかってる?
私、あなたと離婚することなんて、いつでもできるんだよ?仕事も貯金もあるし、その気になれば実家にも帰れるもの」
ハッとしたような顔をする浩平。
― この人、本当に『何をやっても嫁は俺から離れていかない』って思ってたのね…。
一体どうしたらそこまでの自信が湧くようになるのだろうかと、呆れてくる。あのクセの強い母親に甘やかされて育てられたら、こんなふうに育つのだろうか。
「ごめん、麻由。俺…君をすごく、ぞんざいに扱って、傷つけていた」
観念したように、浩平は肩を落とす。
「気づいていると思うけど、俺には外に会っている女性がいる。でも、彼女とはもう会わないよ。麻由を傷つけるようなことはもうしないから…もう一度、チャンスをくれないか」
先ほどまでの様子と比べて、浩平は、今やすっかり小さく見える。
背中を丸めて、眉を下げ…全身で「反省しています」と言っているかのような態度だ。
思えば出会ってから今まで、浩平はいつだって自信に満ちていた。
物腰はやわらかいが、口調はいつも断定的で他者に隙を見せず、常に「自分が一番正しい」と信じている――そんな人だった。
その浩平が今、初めて私に頭を下げて、謝ってきている。
「…許すのは、今回だけだよ。次やったら、離婚だからね」
ゆっくりと、低い声で彼に告げる。
― もう一度だけ…歩み寄ってみよう。
私たちは夫婦なのだから、と…。自分に言い聞かせた。
浩平との再構築を決意する麻由だが…
◆
2ヶ月後
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい。今日は何時ごろになるの?」
「ああ、20時くらいには帰れるかな。メシは俺がつくるよ」
朝7時、玄関先での会話。
はた目から見ればいつもと同じような光景だ。
けれど、実際のところ…。お互いがまとう空気も、会話の内容も。
以前と比べると、かなり変化していることを感じる。
― まだ、お互いに探り探りではあるけどね…。
浩平を見送ってから、コーヒーを飲んで一息つく。
今日は平日だが、たまたま私は有給を取っているので、このあとの時間はゆっくりできる。朝食をとりながら、ここ最近の浩平との関係を振り返った。
彼に不満をぶつけてから2ヶ月。
「離婚されるリスクがある」と気づいたことによって、浩平の態度はかなり変わった。
約束通り浮気相手とは手を切ったのか、外泊はパタリとなくなり、本当に残業している日以外は早く帰ってくるようになった。
驚いたのは、時々、簡単な食事をつくってくれるようになったことだ。
他にも、お風呂掃除や洗濯など、今まで一切してこなかった家事を、少しずつ手伝ってくれるようになった。
そのことで、私が感じていたストレスの大部分はなくなった。
― 最近はイベントごとも落ち着いているからか、お義母さんにも会ってないし。
一時期は旅行や誕生日と行事が続いたので、ほぼ毎月のように義母と顔を合わせていたが、最近はそれもなくなり、しばらく会っていない。
どうやら、義母の方は私たちの世話を焼きたがっているようだが、浩平が何かと言い訳をつけて断っている様子なのだ。
そんな浩平の様子を見て…私も私で、変わることを決めた。
圭吾くんと連絡を取ることをやめたのだ。
結局、スープカレーを食べに行く約束も断ったから…2ヶ月前に彼と連絡したのが、最後のやりとりとなった。
あれほど夫の行いにストレスをため、傷ついていたのに。
ひとたび浩平が改心して、夫婦生活が少しずつ良い方向に回り始めると、「私の居場所はこっちだ」と徐々に思うようになったのだ。
― もともと、ただ推してただけで、別に付き合おうと思っていたわけじゃないしね。
圭吾くんとの楽しかった日々を思い返すと、ほんの少し胸が痛むけれど。
少し寂しい気持ちがありつつ、どこか「これでよかったのだ」と安心している自分がいる。
― ピンポーン。
不意にインターホンの音が鳴り、ハッと我に返る。
時計は、まだ朝8時を回る前だ。
― 何か通販で頼んだっけ?それにしたって、朝早すぎるけど。
こんな時間に配達が来ることなんてそうないから、首をかしげつつ、モニターの通話ボタンを押して「はい」と返事をする。
そこには、1人の女性が立っていた。
「おはようございます。麻由さん、でしょうか?」
「はい…そうですが?どなたでしょうか?」
モニター越しなので見づらいが、女性は30代後半から40代くらいの年齢に見えた。見る限り、少なくともマンションの両隣の部屋の住人ではない。
他の部屋の人だろうか、と思った瞬間。
彼女が発した信じられない言葉に、私は凍り付いたのだった。
▶前回:朝まで一緒にいようと誘われたが、タクシーで帰った女。その後、前のめりだった彼からの連絡が途絶え…
▶1話目はこちら:結婚3年目の三鷹在住32歳女が、夫に秘密で通う“ある場所”とは
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玄関先に立っていた人物の正体は…
夫不在の夜、こっそり男と電話していた女。突然、全てを盗み聞きしていた夫が現れ…
2022年7月30日