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芥川龍之介と菊池寛がべた褒めした「一人の無名作家」とは?

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員・法安桂子氏の書籍『幻の父を追って 早世の考古学者中谷治宇二郎物語 改訂版』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

【前回の記事を読む】小説を芥川龍之介に褒められた父は「才を抱いて埋もれゆく人」

第一章 中谷治宇二郎の生涯

中学生時代

すると一九九一年(平成三)七月、井口さんから手紙をいただき、『跫音』三号が同人の井上幽明さんの長女中越芳子さんの許にあることが分かったと、そのコピーが同封されてきた。それによると、三号の発行日は一九二〇年(大正九)五月一八日。同人は吉川與四次、吉田粂、高橋直治、中谷杜美、井上幽明、野村竹雅、小塚項平、宮川精二、備前又次郎。治宇二郎は中谷杜と美みというペンネームで「三人」と題する創作を発表している。

杜美は二年前に逝った妹富子の名にちなむものである。巻末の「同人雑記」欄に治宇二郎が次のように書いているのが目を引いた。前号の「獨創者の喜び」に対して、大そうほめて呉れる人もある。真面目に話して呉れる人もある。又黙つて知らぬ顔で居る人もある。が結局黙つて居る人は解らぬものと思ふ。

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攻撃する人が居たらそれは私の友ではない。前号を文壇の大家と云はれる人十数人に送つたが僅に菊池寛氏が早速同情ある批評をして下されたのみである。口にする程の者もないのではあるが大方忙雑なので読まれないのであるのだらう。文士等と云つてもやはり飯を食ふから忙しい。私はやはり巡礼の方がいゝ。

前号に自分は「獨創者の喜び」を書き、「文壇の大家と云はれる人十数人に送つた」が、菊池寛以外だれの眼にもとまらず、がっかりしたというのである。このことについて宇吉郎は随筆「一人の無名作家」に次のように書いている。

……「弟たちは、実はその雑誌を菊池寛の所へ送っていたのであるが、菊池がそれを芥川に見せたものらしい。菊池から弟のところへ手紙が来て、芥川も非常に褒めているから、よかったら東京へ出て来ないか、と言ってきた。それで弟は中学を出るとすぐ上京して、暫く菊池寛の所にごろごろしていたことがある。

その後私が東大の物理科へはいることになって、一家は東京へ引き揚げてきた。そして弟も文学青年を卒業して、鳥居龍蔵博士の助手になって考古学の勉強を始めた。文学修行と、一年ばかり東洋大学で印度哲学をやったのが、役に立ったものと見えて、考古学の方法論の方で、大分いい仕事をした」。(『中谷宇吉郎集』第八巻「一人の無名作家」樋口敬二・池内了編岩波書店二〇〇一年)

その年の暮れ、井口哲郎さんから再び手紙があり、『跫音』同人の一人、小塚項平さんの消息がもたらされた。京都に移住した、この時八九歳の小塚さんは、井口さんとの交流を機に中学時代の追憶を書いてみる気になったと言い、翌年四月小塚さん自身から「遠い日の思い出」(筆名、小塚晃平)と題する文章が私に送られてきた。原稿用紙八五枚にわたる長文のものである。

中谷治宇二郎作「獨創者の喜び」は、ペンネームを中谷杜美。中世時代に題をとった一五、六枚の小説でした。当時中谷さんは、小松町京町辺の、妹富子さんのもらわれ先の、しもた家の明るい二階の家にいて、私は一度だけ訪ねたことがありました。彼がどんな文学書類を読んでいるのかと、見まわしたが、厚めの「石川啄木著作集」が一冊だけだったようでした。「獨創者の喜び」はこの部屋で書かれたのでした。(小塚晃平「遠い日の思い出」未発表)とある。

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