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「東映は青春、巨人は花道」張本勲が語った長嶋茂雄から託された「ミッション」

アサ芸Biz

 1975年、巨人軍は長嶋茂雄新監督の下、創設以来初となる最下位に転落。もっとも、巨人の大スターだった長嶋が74年に現役引退した直後であり、その後を託された王貞治はキャンプ中に足を故障。62年から13年連続で獲得していた本塁打王を田淵幸一(阪神タイガース)に明け渡す事態となっていた。

 そして、王の前にランナーを出したいとの長嶋監督の構想から白羽の矢が立ったのは、張本勲だった。59年に東映フライヤーズ(現・日本ハム)に入団。76年に巨人に移籍するまで、首位打者に7度輝く、パ・リーグを代表するアベレージヒッターである。

 YouTubeチャンネル〈日本プロ野球名球会チャンネル〉に出演(6月17日)した張本氏が振り返る。

「東映時代は青春だわね。ジャイアンツの4年間はプロ野球の花道。あれがあったから、オレの野球人生振り返ったら、苦しかったけれども、よかったなという感じがしますね」

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 3割5分5厘(76年)、3割4分8厘(77年)と、巨人でも2年連続で高打率を残す。巨人は2年連続でリーグ優勝し、息を吹き返した王も2年連続の本塁打王に返り咲いたのだった。

 日本プロ野球唯一にして日本プロ野球記録となる3085安打は、巨人から移籍したロッテで成し遂げられた。巨人時代を「花道」だと振り返ったが、「最高潮」はここからだったのだ。

(所ひで/ユーチューブライター)

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