
未だ謎多き、約5000年前に建てられたとされる、イギリス南部のの環状列石(ストーンサークル)「ストーンヘンジ」。
ストーンヘンジには2種類の石が用いられており、巨大砂岩はサルセン石と呼ばれ、最初に使用された重さの2~5トンの石はブルーストーンと呼ばれている。
今回、ックスフォード大学の考古学者がウェールズの田園地帯に古代ローマの街道跡を発見した。この道は、ストーンヘンジに使われているブルーストーンが、ウェールズからイギリスへ運ばれた失われたルートではないかと彼は考えている。
また、荘園や砦と銀鉱山を結んでいるこのローマ街道の発見は、これまで考えられていたよりも、ローマ人がもっと英国の西へと進出していたことの証にもなるという。
ブルーストーンの運搬にローマ街道が使用された可能性
考古学者、マーク・メローニー教授が、ウェールズ、ペンブルックシア州のプレセリ・ヒルズで、泥炭に埋まった全長10キロ、幅5メートルのローマ街道の一部を発見した。これまで知られていなかったこのローマ街道は、ストーンヘンジの材料であるブルーストーンをイギリスへ運ぶために使ったルートではないかと推測されている。
ブルーストーンは、ストーンヘンジを建設するのに使われた最初の42つの石で、ウェールズ南西部プレセリ・ヒルズ産だ。ひとつ重さ2~5トンもあり、人力で扱うには非常に巨大だ。
ストーンヘンジのブルーストーンが、ウェールズ産であることがはっきりしたのは去年のこと。ウェールズのワインマウンにあったものが、ストーンヘンジのあるウィルトシアまで225キロもの道のりを運ばれてきたという。
メローニー教授によると、先史時代の道はローマ統治時代にも使われていたが、その同じルートを古代の人々がストーンヘンジへブルーストーンを運ぶのに使った可能性はあるという。

ワインマウンに残るストーンサークルの最後の石。あとは皆、ここからストーンヘンジへ運ばれたのではないかという。そのルートの一部が、ウェールズへのローマ街道となった / image credit:geograph
アイルランドの青銅器時代の交易路からローマ街道へ
発見されたこの街道は、ローマ時代の銀鉱山を通っており、本物の”黄金の道”なのだと、メローニー教授は言う。現在は、多くのハイカーが黄金の道を歩くために、ペンブルックシア州を訪ねる。全長10キロほどのこのトレイルは、青銅器時代の交易路だと考えられていて、銅、青銅、おそらく金製品が、アイルランド南東部と東の人口密集地との間を運ばれていたのだろうと言われている。
この人気のハイキングルートには、4000年前にブルーストーンを切り出して、ストーンヘンジへ運んだ、石切り場らしき場所が2ヶ所ある。
しかし、この道は実際には、100年以内の近代につくられたものだとメローニー教授は言う。
教授が見つけた道が、本物の”黄金の道”である理由は、丘の上を通っているのではなく、肩に沿うように作られているため、重い荷物を運ぶ商人にとって、理にかなっているからだという。
Road in Wales follows route taken to transport stones to STONEHENGE
ローマの街道は労働者集団によって建設
。1698年、オックスフォードにあるアシュモレアン博物館の管理者だったエドワード・ロイドが、ウェールズを訪ね、古い掘の跡を記録していて、この近くからローマの硬貨が見つかっている。
メローニー教授によると、50年以上の間に、この地域の古いローマ街道についての記述が、政令調査地図からすべて削除されたという。それでも、古代の道について記した古文書をさらにふたつを発見した。
そのひとつは、偽造だということがわかったが、教授が現地を調査したところ、植物が生い茂った小さな水路だと思っていた場所が、埋没した小道であることがわかった。
「土手道のように勾配があり、わずかに小高くなっているのがわかります」
メローニー教授は、この道が舗装されている痕跡を発見し、距離10キロ、幅5メートルと測定した。おそらく、当時の軍隊から人員を大勢動員して作業させたものではないかという。

ウェールズ南西部に入り込むローマ街道は、厳重な要塞化はされていなかったと思われる。それは、地元のケルト人ディメタエ族が、親ローマだったと考えられていたからだ。この地図は、ローマがブリタニアを支配していた頃の地域を示している / image credit:WIKI commons CC BY-SA 3.0
ローマのイギリス支配範囲に関する新たな洞察
メローニー教授は、銀鉱山がウェールズにつながるローマ街道沿いにあったのなら、古代ローマ人はそこを開拓したはずだと主張する。しかし、ローマ人はウェールズへ入るほど西部には進出してはいなかったというのが、イギリス考古学界の主流な見解だ。
だが、このローマ街道の発見により、そうした定説が完全に誤りであることが明らかになった。
ローマ街道に沿って砦の痕跡がある一方で、ローマ人がこの地域に大規模な軍隊を展開する必要は必ずしもなかったのではないかと、教授は言う。
鉄器時代後期に、現在のペンブルックシアやカーマーザンシアに住んでいたケルト人、ディメタエ族は、親ローマだったと考えられているからだ。
ディメタエ族は、現在のウェールズ南西部ダイフェッド郡とカーマーザンシア州の広い範囲に住んでいたと言われている。
References:Stonehenge’s Bluestone Tracks Discovered Beneath Roman Road | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo