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人間を生贄にする、人身御供はいつ、どこではじまったのか?

カラパイア



 人間を神への生贄(いけにえ)とする人身御供は、人類の歴史そのものと同じくらい古くからあるようだが、どこで、どのようにして最初に始まったのか、専門家の意見は分かれている。

 人身御供は、自然災害を避ける、支配者の後継者を確実なものにするなど、さまざまな理由で世界各国で古代から行われていたのは明らかだ。

 おそらくは先史時代にもあったと思われるが、この時代の証拠はなかなか出てこない。

アステカ族と人身御供の密接な関係


 人間の生贄を捧げるという習慣が、現在のメキシコ北部に住んでいたアステカと密接に関係しているのには、それなりの理由がある。

 世界のほとんどの社会ではあまりない、太古の昔の儀式だが、メソアメリカ文化において重要な役割を果たしていた。

 人身御供の儀式は、祝日や戦争など、数多くの場面で行われてきた。テノチティトランの大ピラミッドのような大建築プロジェクトの完成を記念して、8万400人もの人間が犠牲になった例もある。

 メキシコを征服したスペインのコンキスタドールは、アステカ文化の人間の生贄儀式の残酷さを詳しく描写している。

 それは、コロンブス以前の多くの写本に見られる恐ろしい描写と一致している。そんな写本のひとつ、マリアベッキアーノ絵文書には、ひとりの司祭が犠牲者を拘束して、もうひとりが鋭利な道具でその胸を割いて心臓を取り出す場面が描かれている。

 ピラミッドの下まで血がしたたり落ち、そこには、胸を切り裂かれ、苦悶に顔を歪めた前の犠牲者が捨てられていて、今、片付けられようとしている。

 犠牲者の胸から取り出されたばかりの心臓が宙に高々と上がるのを見物人たちが見つめている。目撃者の証言は、こうしたおぞましい儀式の記憶を生き生きと伝えている。

 しかし、人身御供という概念は、決してアステカ族が発明したものではないし、この習慣をもつ世界中で唯一の文化でもない。


ニュースペイン、現在のメキシコ近辺における人間の生贄の1577年に描かれた絵 / image credit:WIKI commons

世界各国で記録されている人身御供の歴史


 人身御供の歴史は、青銅器時代にさかのぼるものと考えられているが、もっと古い時代からあったとも言われている。

 旧石器時代のヨーロッパから、中国の古代開拓者まで、さまざまな文化で考古学的な記録にその痕跡が残されている。

 各地で人間の生贄儀式が行なわれた理由はそれはたくさんあり、アステカと似たものもあれば、まったく違う独自のものもある。

人身御供の歴史は信仰や迷信の歴史


 人身御供の歴史は、信仰や迷信の歴史と密接に結びついている。

 作家のジョン・スキナーは、先史時代の信仰は、死という現実を否定するための魔術的な儀式として生まれたと言っている。

 スキナーは自著の中で、死に対する人間の恐怖や好奇心が、古代儀式においてどのように現われたかを論じている。

 彼は、旧石器時代の社会に注目しているが、それは、アステカの儀式を形成したような社会的、政治的、経済的な複雑な社会ではなかった。

 宗教目的の生贄は、さまざまな形で行われた。中国、モンゴル、エジプト、メソアメリカでは、重要人物はその召使や妻、愛人と共に埋葬されることもあった。

 こうした従者の遺体には、外傷や病気の痕跡がほとんど見られなかったことから、考古学者は彼らは生きたまま主人と一緒に埋葬されたと推測している。

 これは、死後も主人は使用人に世話をされることを保証するものだった。かつては一般的だったこうした生贄の形は、紀元前2800年頃に姿を消したという。


マリアベッキアーノ絵文書に描かれたアステカ文化の生贄儀式の様子 / image credit:WIKI commons

少数を犠牲にして大勢を守る


 人身御供の儀式を行う目的のひとつは、非常に貴重なものを捧げて神をなだめることだ。

 コロンビア以前のペルーに住んでいたインカ人が行ったカパコチャの儀式では、天災を防ぐために、処女や子どもを薬漬けにして殺した。

 彼らは純粋無垢な存在だと考えられたからだ。アステカ人は、生贄のことを負債の返済だとした。

「生命は神のおかげなのだから、生贄を捧げることによって、神々は私たちに生命を与え、食べ物を作り出して、生命を養ってくれる」聖職者たちは、自分たちの儀式について、こうスペイン人に説明したと考えられている。

 結局のところ、人間の生贄は、少数を犠牲にして大勢を守るということだった。

 生贄は、地震や病気を追い払うためだけでなく、戦争に勝つため、あるいは戦争を避けるためにも行われた。特定の統治者の治世とその支配のシンボルを祝福するためにも利用された。

 イツァコアトルの治世に最初に建設された、テノチティトランの大ピラミッドは、こうした人間の犠牲の上に成り立つひとつの例だ。

 似たような生贄の例として、建物を未来の破壊から守るために、建物の地下に生きたまま人を埋める日本の人柱伝説や、バルカン半島の伝承がある。


photo by Pixabay

人身御供の起源の謎


 人間を生贄として捧げる儀式が行われた社会はたくさんあるが、それがいつ、どこで最初に始まったのかは、専門家の間でも意見が分かれている。

 古代では広く伝えられているため、先史時代からあったと言ってもいいが、残念ながら、文字や言葉の記録がないため、正確なことは断言できない。

 人間の生贄の起源についての私たちの理解は、考古学的な証拠に基づいていることが多く、決定的な結論が出ることはほぼない。

 長年の間に、鉄器時代や青銅器時代にさかのぼる人間の生贄の証拠を見つけたとする研究者たちも出てきた。

 古人類学者のヤン・イェリネックは、チェコにあるこの時代の遺跡を発掘調査したところ、人間の遺体の扱いが非常に多様であることがわかり、これは通常の埋葬ではなく、生贄に関連した複雑な出来事があった痕跡だと指摘している。

 洞窟で発見された人骨は、家臣の生贄ではないかと思われ、近くの家屋の基礎から見つかった頭蓋骨は、バルカン半島や日本の生贄のような行為と似ていた。

 奴隷制を導入していた社会では、個人の命の価値について特殊な信念があったため、人身御供の儀式が行われていた可能性が高いという説もある。

 こうしたことを考えると、先史時代の奴隷制の証拠は、この時代に人間の生贄を捧げていたことを示す根拠になりそうだが、必ずしもそうとはいえない。

 おもしろいことに、納得できる証拠がないにもかかわらず、あるいは証拠がないがゆえに、ヨーロッパの鉄器時代における人身御供は、珍しく特別なことだったらしいという結論に達すると、イギリスの考古学者ミランダ・グリーンは言う。


photo by iStock

人身御供の消滅


 古代世界でもすでに、多くの文化で人間の生贄は過去のものと考えられていた。

 ローマがまだ王国だった頃、神々をなだめるために市民が生贄として捧げられることがあった。

 歴史家プリニウスによると、人身御供は、共和国の時代には実質的になくなり、紀元前97年の元老院の命令により、完全に廃止されたという。

 生きている人間を殺すことは、野蛮な部族に結びつけられ、ローマの論者も見下していた。生贄は人間ではなく、動物を殺したり、肖像を燃やすなどの行為へと変わった。

 人身御供の歴史の一部は、宗教書にも出てくる。

 例えば、「イサクの燔祭」は、創世記に出てくる話で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の長老であるアブラハムが、ヘブライの神ヤハウェに命じられて、たったひとりの息子イサクを生贄として捧げようとする。

 しかし、アブラハムが生贄の儀式を完了する前に、天使に止められる。アブラハムの献身は十分に証明されたので、息子の代わりに雄羊を捧げることで許されたのだ。


「イサクの燔祭」は、世界のおもな信仰において、人間の生贄儀式が廃れてきたことを説明しているのかもしれない。 / image credit:WIKI commons

 「イサクの燔祭」は物語であるだけでなく、三大宗教の内部体制に具体的な影響を与えた宗教的な教えのひとつの形でもある。

 イスラエルのハイファ大学名誉教授ヨセフ・ミルマンによると、この物語は、あるひとつの現象の起源や消滅を説明する”原因神話”として機能していて、人間の生贄から動物の生贄への移行、そして人間の生命の究極の神聖性の理由を示しているという。

 現代の観点からすれば、人身御供は非常に残酷で、間違った行為であるように思われる。だが、この原始的な儀式がなかったら、今日の私たちはなかったのかもしれない。

 データ分析に基づく歴史研究によると、人身御供は、コミュニティがより複雑な形態に変化していくのに役立ったという。

 おそらく、儀式によって、より大きな善のために人々が団結するのを助けたからだろう。結局、犠牲になった人間は無駄に死んだわけではなく、生者の利益のために殺されたのだ。

References:The mysterious origin and evolution of human sacrifice rituals / written by konohazuku / edited by / parumo

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