私、瀬戸勇次郎が教職経験のあるパラリンピアンから教壇に立つための心構えを学ぶ、対談シリーズ。第2回は水泳で6度パラリンピックに出場し金メダル5個を含む21個のメダルを獲得した河合純一さんです。現在は日本パラリンピック委員会の委員長も務めている大先輩に質問をぶつけました。
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【独占手記】柔道・瀬戸がメダリストと語り合った! 教員として伝えたい生き様
見えなければ教えられないのか?
中学校の社会科教員として勤務経験のある河合さん。そもそもどんな志を持って教職に就いたのでしょうか。
「教師になりたいと思ったのは小学4年のときですね。当時の担任が日体大水泳部でキャプテンをしてから小学校の教員になったという先生でした。僕も水泳をやっていたし、クラスもとても良い雰囲気で楽しかったんですよね。そういう経験のなかで学校の先生って面白そうだなぁって。学校に行く楽しみといえば、友だちと遊ぶことと給食だったんですけど、その給食が先生だけ食べる量が多くてうらやましくなって。食べたいものは食べられるし、昼休みも子どもたちと遊んで給料もらえるなんていい仕事だなって思っていました(笑)」
河合さんは教師を目指して中学卒業後は筑波大学附属盲学校、そして早稲田大学教育学部に進学します。中学時代に失明した後も、教職への気持ちは変わらなかったそうです。
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「授業で教えるうえで、『見えなきゃ教えられないのか』と考えてずっと答えを探していました。大学時代、教えるって何なのかということを勉強したなかで、教育って『教えて育てる』って書くわけですけど、育てていくときに『見えるかどうかはどこまで重要なんだろう』と自問自答しながら過ごしていました」
河合さんが言うように、教科書の内容をわかりやすく説明することや子どもたち自身が考えて気づいていくことを促すことは、視力がなければできないという理由は決してないと思います。周囲の人の協力、自分自身の身体や言葉などを駆使し、生徒に何かを伝える方法はたくさんあります。とくに今の時代はICT(情報通信技術)機器も広く活用されていて、視覚情報を補うこともできるようになってきました。「やってやれないことはない」という河合さんの言葉に、私のなかにある不安が和らいだように感じました。

アスリートだから伝えられることとは
勤務先の中学校では水泳部の顧問をしていた河合さんは、生徒を指導しながら自分自身も練習に励んでいたそうです。
「幸いなことに学校にプールがあったので、練習はやりたければ時間外はやり放題だったんですよね。6時に起き、出勤後は校門で挨拶運動をして、授業と部活が終われば19時です。そこから毎日21時か22時まで、軽く練習してから残りの仕事をやるか、仕事を片付けてから練習をするか。土日も部活で休みもほぼありません。至って真面目な教師でしたね(笑)」
教壇に立ちながらパラリンピックや国際大会に出場していた河合さんは、パラリンピックの様子や大会で訪れた国の様子を土産話的にユーモラスに生徒たちに話していたそうです。そんな先生の姿を、生徒たちはどのような気持ちで見ていたのでしょうか。河合さん自身は、「目標に向かって何かをするとはどういうことか」を誰よりも伝えられる教師だったと自負しているといいます。

「僕には世界一とか金メダルを獲るっていう目標があったわけですが、言うのは簡単なことも実際にやり遂げるのは大変です。それがどのくらい大変かというのを生徒たちは一番近くで見ることができる。そんな生徒たちがパラリンピックの選手を見て、自分に照らし合わせて考えてみたり、何かを感じたりすることはあるんじゃないかなと思っています」