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プロ入り前に“分岐点”があった強打者たち。「練習嫌いだった」落合博満はプロボウラーに?【プロ野球はみだし録】

週刊ベースボールONLINE

“打撃の神様”は“農業の神様”に?



79年、ロッテでプロ1年目の落合

 時代は流れても語り継がれる強打者たち。その実績だけでなく、プレーを実際に見たファンにとっても、まさにプロ野球選手になるために生まれてきたような存在だろう。ただ、それも現在から過去を振り返るから言えることだ。プロ入り前の彼らは、待ち受けている未来を知る由もない。プロ野球選手ではない道を進む可能性が多分にあった男たちもいた。

 その筆頭格は落合博満だろう。1980年代にロッテで、プロ野球で最多となる3度の三冠王。移籍した中日、巨人では優勝に貢献、ベテランとなってからも別格の存在感で相手チームの脅威となって、現役20年、44歳までプレーを続けた。つまり、プロ入りは平均的な年齢よりも遅かったのだ。東洋大を中退して、社会人の東芝府中を経てのプロ入りだったが、それだけではない。秋田工高でも野球部を何度もやめているという落合。当時は「練習嫌いだった」のだという。それでも野球の道で東洋大へ進んだが、そこでは野球部だけでなく、大学までやめてしまった。

 そして故郷の秋田へ戻り、もともと好きだったボウリングのプロを目指して、プロテストを受けるところまでいっていたという。ただ、アクシデントで受験料が払えなくなり、断念。恩師の勧めもあり、東芝府中で野球を再開することになった。野球の神様が落合の身に小さなアクシデントを与えたことでプロボウラーへの道を閉ざし、落合をプロ野球へ導いたような話にも見えるが、これも現在から振り返るから言えることだ。


太平洋戦争後、46年の巨人・川上

 神様といえば、さらに時代をさかのぼり、プロ入り前ではないが、巨人の“打撃の神様”川上哲治にも逸話がある。戦争によるプロ野球の休止で故郷の熊本へ戻った川上は農業にのめり込んで、もともとの凝り性もあり、いい肥料を探し歩いて、人糞の肥料でも口に含んで濃さを確かめることもあったとか。落合もプロボウラー確実といわれていたというが、川上の田んぼは他よりも倍ほど収穫があったというから、農業でも一流になっていた可能性もある。プロ野球の歴史も違ったものになっていたはず……だが、これも過去を振り返るから言える話だ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

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