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清原和博、前田智徳、高橋由伸…打撃タイトル無冠に終わった「天才打者」たち

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の世界でリーグ優勝と共に、個人タイトルは大きな勲章だ。現役選手で言えば、西武・中村剛也は本塁打王のタイトルを6度獲得、巨人・岡本和真は2年連続本塁打、打点の「2冠王」に輝いている。ただ、打撃タイトルを獲得しなくても、球史に名を刻んだ天才打者は少なくない。清原和博、前田智徳、高橋由伸……彼らの打撃は衝撃的だった。

「フォア・ザ・チーム」の打撃



黄金時代の西武で四番を務めた清原

・清原和博(西武、巨人、オリックス)
NPB通算成績 2338試合出場、打率.272、525本塁打、1530打点

 高卒1年目の1986年に西武で打率.304、31本塁打、78打点をマーク。高卒史上最多の新人本塁打記録を樹立し、「王貞治の通算868本塁打を超えるのは清原しかいない」と評された。清原の特徴は中堅から右方向に打球が伸びることだった。高々と舞い上がった打球が失速せずにスタンドに消えていく。広角に本塁打を打てるスケールの大きい打撃で球界を代表する選手として名を馳せたが、不思議と打撃タイトルに縁がなかった。90年に自己最多の37本塁打を放ったが、同僚のデストラーデが42本塁打と上回った。96年は31本塁打でタイトルを獲得したニールに1本差で及ばず。打点王のチャンスもあった。92年に96打点をマークしたが、当時ダイエーのブーマーが97打点で惜しくも涙をのんだ。巨人に移籍後は故障で離脱するケースが増えたため、タイトル争いに絡めなかった。

 通算525本塁打は本塁打王を獲得していない選手の中で史上最多。2000安打、500本塁打、1500打点を達成した打者は王貞治、野村克也、門田博光、張本勲、落合博満、清原の6人だけだが、首位打者、本塁打王、打点王の獲得経験が一度も無いのは清原だけだ。ただ、西武の黄金時代から「フォア・ザ・チーム」の打撃を徹底し、タイトルを獲るための打撃を行わなかった。状況に応じて次の塁に走者を進める打撃を意識していたから、西武は強かった。「無冠の帝王」と評されたが、四番打者としての貢献度は非常に高い。

野武士のような天才打者



野球と真剣に向き合う打撃の求道者だった前田

・前田智徳(広島)
通算2188試合出場、打率.302、295本塁打、1112打点

 攻守走3拍子そろったプレースタイルで、他球団の選手も認める天才打者だった。特にチャンスの場面で滅法強い。野球にストイックなことでも知られ、笑顔をグラウンドで見せることは皆無。試合後のヒーローインタビューに登場することも少なく、野武士のような独特のオーラを発していた。前田の野球人生が大きく変わったのはプロ6年目だ。前年まで3年連続打率3割をマークしたが、1995年5月23日のヤクルト戦(神宮)で二ゴロを打った際、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。その後は足に不安を抱えて万全の状態でプレーできなくなった。

 だが、手負いの状態でも打ち続けるところにすごみがあった。98年は横浜・鈴木尚典と熾烈な首位打者争いを繰り広げる。惜しくもタイトル獲得はならなかったが、規定打席に到達したシーズンで自己最高の打率.335をマークした。2000年に左アキレス腱の状態が悪化し、7月に腱鞘滑膜切除手術を受けたが、何度もはい上がる。02年に打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。05年は12年ぶりの全146試合先発出場で打率.319、32本塁打、87打点で自己最多の172安打を放った。晩年は代打の切り札として勝負強い打撃でチームに貢献。通算2119安打をマークした。打撃タイトルに縁はなかったが、天才打者の生き様は多くの野球ファンの記憶に残っているだろう。

ズバ抜けた野球センスを持つ好打者



柔らかい打撃で内外角を的確にとらえた高橋

・高橋由伸(巨人)
通算1819試合出場、打率.291、321本塁打、986打点

 1学年上の松井秀喜が天性のホームランアーチストなら、高橋はズバ抜けた野球センスを兼ね備えた天才打者だった。右足を高々と上げる打法で内外角を器用にさばき、緩急にも崩されずヒットゾーンへ打ち分ける。甘いマスクで当時の長嶋茂雄監督が「21世紀のスター」と絶賛した逸材は1年目の1998年に打率.300、19本塁打、75打点をマーク。新人で打率3割は史上7人目、さらに新人での満塁本塁打3本は史上初の快挙だった。

 2年目の99年は打率.315、34本塁打、98打点で同僚の松井、ヤクルトのペタジーニと熾烈な本塁打王争いを展開するが、外野守備でフェンスに直撃して鎖骨骨折で戦線離脱。その後も外野守備の全力プレーで何度も負傷交代する。打撃だけでなく、右翼の守備でも入団1年目から6年連続でゴールデン・グラブ賞獲得とNPB記録を樹立したが、故障で戦線離脱の代償は大きかった。

 04年に史上8位のペースとなるプロ850試合目で1000安打に到達するが、05年以降の11年間で規定打席に到達したのは07年の一度のみ。同年は一番打者に抜擢され、打率.308、35本塁打、88打点をマークしたが、本塁打王を獲得した横浜・村田修一の36本塁打に1本差で及ばなかった。「三冠王を狙える逸材」と期待が大きかったが、打撃タイトル無冠に終わった。通算1753安打は立派な数字だが、故障がなければ2000安打を軽くクリアしていただろう。

写真=BBM

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