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切断した手に「雷に打たれたような激痛も」 10年経っても消えぬ「幻肢痛」、当事者語る辛さ

J-CASTニュース

耐えられないくらい強い痺れが急に襲ってくることもあって、衝撃がドンと走ったり、痛みで体が勝手にピクッと動いてしまったりということが時々あります。強い痺れは義足をつけていない時に来て、そうなると義足を履けなくなります。逆に義足をつけている時は、立ち上がれないほどの激しい痛みを感じたことはありません。自分でも不思議です。

「この痛みや痺れも自分の体の一部なんだ」と受け入れるように

義足を履いたのを機に足の感覚は変わっていったけど、義手をつけるようになっても、先ほどのとおりなくなった右手の指の感覚は残っています。僕は今、関節を操作する仕組みがない「装飾義手」を使っていますが、入院当時は体の動きで操作できる「能動義手」を使う練習もしました。

でも能動義手を使っても、義足のように「新しい手ができた」という感覚はありませんでした。本物の手指のように器用な動きができないことに加え、僕には左手が残っているから無意識に比べてしまったのかもしれません。

自分の左手指が繊細に動くことを知っているし、毎日見ているし使っている。だからなくなった右手にも、左手と同じような指の感覚がまだあるのかもしれない。一方、足は両方ともないので、元の足がある状態と比べられない。だから義足が自分の足としてフィットしている。推測ではありますが、手と足で幻肢の感覚が違う背景には、そんなこともあるのかもしれません。

いろんな薬や療法を試したけど、手足の幻肢痛は消えませんでした。常に痺れはあるけど、慣れていったので、激痛が来ない限りほぼ日常生活に影響はありません。でも、意識するとやっぱり気になります。

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だから、「この痛みや痺れも自分の体の一部なんだ」と受け入れるようになりました。共存というか「痛みも友達」というか、そんな気持ちです。

事故の後は、いろんな困難に直面した時、どんなに考え抜いても答えが見つからないなら、「それも人生の一部なんだ」と受け入れるようになったと思います。いくら考えても変わらないことはある。それについてずっと悩み続けるのではなく、時間が勿体ないから考えないようにする。

手足3本失ったことを受け入れたからなのか、幻肢痛を受け入れたからなのか、こういうメンタルになったきっかけが何なのかは分かりません。それでも振り返ると、やはり手足を失ってからのいろんな経験があったから、受け入れる心を持つようになったのかなと思います。

伝えるのも難しい、理解することも難しい

僕が出会ってきた人の中には、幻肢痛がないという人もいました。話を聞いていると、痛みはあるけどそんなに苦労していなさそうだなと思う人もいました。同じように手足を切断しても、感じ方は人によって違うようです。

この感覚や痛みを皆さんに分かってもらうのは難しいかもしれません。説明しても「何言ってるんだろう?」と疑問に思うかもしれない。

ある朝、会社に行くためにいつも通り義足を履こうとしたけど、激しい幻肢痛が来て履けなかったことがありました。会社に連絡して出社時間をずらしてもらいました。僕は会社に理解してもらえているけど、理解が得られなくて苦労している方もたくさんいるんじゃないかと思います。

幻肢痛というものがあることを多くの人に知ってもらえたらいいですね。たとえば骨折や発熱の場合などは、人に伝えやすいです。でも、幻肢痛は「幻」と書くくらいなので、見た目にも分からないし、言葉で伝えるのも難しく、受け手が理解することも難しい。「手が痺れるんです」と伝えても「手ないじゃん」と言われたら、実際そうですし、なかなか説明しづらい。

どう伝えていくのが正解かは分からないけど、緊急時だけでなく日頃から、自分のことを理解してもらうコミュニケーションが大切ではないかと思います。インターネットなどを通じ、切断と幻肢痛を経験した当事者の発信は増えてきているはずなので、「そういう痛みが存在するんだ」と理解が広まっていくといいなと思います。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)

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