
哺乳類として世界初の成体細胞から作成されたクローン羊「ドリー」が誕生してから26年もたつ。これをきっかけにクローン技術の黄金時代が到来するかと思いきや、2022年現在、人間のクローンはいまだ誕生していない。
例外として、2002年にラエリアン・ムーブメントという新興宗教の信者で化学者のブリジット・ボワセリエ博士が、人間のクローン作成に成功したと主張したが、その証拠は提示されていない。
その理由は何なのか? スタンフォード大学の法と遺伝子の専門家であるハンク・グリーリー教授によると、倫理的な問題もあるが、そもそもやるだけの価値がないからだという。
クローンとは何か?
「クローン」という用語は、それが幅広いプロセスや手法の説明に使われることを考えれば、かなり広い意味を持っている。だがどれも目的は同じ、すなわち「生物個体の遺伝的にまったく同一のコピー」を作り出すことだ。
国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)によれば、人間のクローン作成の試みは「生殖クローン技術」を利用したものだ。
成熟した体細胞(大抵は皮膚細胞)からDNAを取り出し、それを核を除去した卵細胞(つまりDNAを除去した卵子)に入れる。
卵細胞は女性の子宮に移植されて、体内で成長。最終的に体細胞を提供した本人とまったく同じDNAを持つクローンが出産される。

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人間のクローンにまつわる倫理的問題
これまでウシ、ヤギ、ウサギ、ネコなど、多くの哺乳類のクローンが作られてきたが、人間のものはまだだ。グリーリー教授によれば、その1つの理由は、倫理的なものだという。
それは心理的・社会的・生理的なものまで多岐にわたる。例えば、クローンは死亡するリスクが高いと考えられているほか、優生学的な思想の持ち主に利用される恐れもある。人間の尊厳・自由・平等の原則にも抵触するかもしれない。
また過去に行われた哺乳類のクローンを見てみれば、死亡率や発育異常の発生率が高いこともわかる。
人間のクローンの場合、さらに核心と言える問題がある。それはヒトクローンはある人物のただのコピーなどではなく、自分自身の考えや意見を持った一個人であるということだ。
例えば、一卵性双生児は遺伝的にはまったく同一で、クローンのようなものだ。だが2人が同じ人間とみなされることはない。完全に別々の個人だ。
人間のクローンもそれと同様。遺伝的な構成はオリジナルとまったく同じだが、性格やユーモアのセンスなど、それ以外の部分は同じではない。それぞれに独自の個性が芽生えてくるはずだ。
人間は単純にDNAの産物であるわけではない。遺伝物質を再現することはできても、完全に同じ暮らしの中で同じように育てることはできないし、完全に同じ人生を歩ませることもできないのだ。

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人間のクローンを作成するメリットはあまりない
仮に倫理的な問題がすべてクリアされたとして、はたして人間のクローンを作ることに何かメリットはあるのだろうか?グリーリー教授は、倫理的には許されないことと強調しながらも、遺伝的に同一な人間を作り研究できることだと説明する。
ただしこうした潜在的なメリットは、他の科学分野が発展したことであまり意味のないものになっているという。
例えば、2000年代初頭には、ヒトクローン胚から本人の細胞とまったく同じ胚性幹細胞を作ってはどうかと提唱されたことがある。
しかし2006年に人工多能性幹細胞(iPS細胞)が発見されたことで、このアイデアは無意味なものになった。
京都大学の山中伸弥教授は、たった4つの遺伝的要素を使って大人のマウスの細胞を胚のような状態に戻す方法を発見。
さらにその翌年、同じことをヒト細胞でも実現し、山中教授は、この功績が評価され2012年にノーベル賞を受賞している。
胚と同じような性質を持つiPS細胞は、人間の体内のどんな細胞にもなることができる。だから、クローン技術でわざわざ本人の胚を作らなくても、皮膚細胞で同じことができる。
こうして、人間のクローンを作成してその胚を利用するアイデアは、不必要で科学的にも劣ったものになった。
今日、病気のモデリング、創薬、再生医療などの研究に利用されているのは、クローン胚ではなく、iPS細胞である。

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グリーリー教授は、ヒトクローンは、科学的に魅力的な分野ではなくなったとも指摘する。近年ほとんど進展が見られないのは、そのためとも考えられるという。
ヒトクローンより熱い生殖細胞系列の遺伝子操作技術
今ヒトクローンなどよりもっと熱いのは、「生殖細胞系列の遺伝子操作技術」だ。これを利用して能力を強化した「デザイナーベイビー」の作成に強い関心を抱く人は多いだろう。これは個人のゲノムを永遠に変更する技術で、書き換えられた遺伝子は親から子へと受け継がれる。
それゆえに賛否両論だし、完全に理解もされていない分野だ。2018年、欧州47ヶ国を代表する欧州評議会生命倫理委員会は、「人体へのあらゆるゲノム編集技術の利用は、倫理と人権に則ったものでなければならない」との声明を発表。
くわえて「ゲノム編集技術のヒト胚への応用、とりわけ将来世代に受け継がれる可能性があるヒトゲノムの改変は、数多くの倫理的・社会的・安全上の問題を提起する」と述べた。
ハーバード大学の遺伝学者ジョージ・チャーチ氏も、生殖細胞系列の遺伝子操作技術は今後さらに科学的関心を集めるだろうとの見解に同意する。
クローンをもとにした生殖細胞系列の遺伝子操作は、体細胞ゲノム編集より正確で、より多くの遺伝子を扱い、すべての細胞を効率よく操作することができる。
だがチャーチ氏もまたこの技術がまだ完全ではないことを認めている。安全性や有効性、さらにはその利用の公平性など、解決すべき課題を抱えているとのことだ。
References:Why haven’t we cloned a human yet?