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驚異の180球完投勝利もあった新人時代の野茂英雄。当時の女房役は「とても手のかかる投手でした」【プロ野球回顧録】

週刊ベースボールONLINE

1年で合計3825球



普通に投げれば勝てる。野茂[左]を尊重しながら配球を組み立てていたという光山

 ドラフト1位で8球団が競合の末、新日鐵堺から1990年に近鉄に入団した野茂英雄。独特のトルネード投法から剛速球と魔球フォークを投じて打者をきりきり舞いにした。1年目に18勝をマークして最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のタイトルを獲得し、新人王、ベストナインに選出。優勝チームではなかったがMVP、前年からパ・リーグの投手も対象となった沢村賞のパ第1号にも輝く大活躍を見せた。さらに規格外だったのは29試合に登板し、合計3825球を投げ込んだことだろう。1試合平均で約132球。野球のスタイルが変わった現在では考えられない数字だ。

 デビュー戦となった4月10日の西武戦(藤井寺)から6回で158球を投じた。5月8日のダイエー戦(北九州)では延長10回にサヨナラ負けを喫したが180球。これが同年の1試合最多投球数だ。6月12日のダイエー戦(大阪)でも180球を投げ9回完投勝利を収めている。
 
 当時マスクをかぶっていた光山英和(現楽天一軍バッテリー兼守備戦略コーチ)は野茂のピッチングに関して『よみがえる1990年代のプロ野球 1990年編』で次のように語っている。

「今では考えられないのですが、野茂は球数が多い投手ですので中4日、5日で投げて150球くらいは普通でした。だからと言って粘り強く必死に投げているというわけではなく、ただ野球が好きでマウンドに上がった以上はずっと立っていたいという感じのピッチャーなんですよ。疲れてきたからとか、だいたい150球を過ぎてきたからマウンドを降りたいという感覚は一切なかった。そして責任感が強い投手ですから、最後まで一人で投げ切るという思いも強かったと思います」

 光山自身はこの90年に87試合に出場するなど正捕手の座をつかむきっかけとなった1年になったが、「野茂と組むことができて良かったと思ったのは、そのずっとあとのことだった」という。

「当時はコントロールも悪いし、ワンバウンドも多いし、クイックもできないし……とても手のかかる投手でしたよ(笑)。おそらく今の時代ではなかなか使われないタイプだと思います。球は速いけどストライクが入らず、暴投が多くて、ランナーに走られるようなピッチャーは使い物にならないという烙印を押されて、一軍の試合では投げられないですからね。でもね、それまでに見てきたピッチャーとの一番の違いは取り組み方です。精神的な強さと言いますか。野球に対する姿勢には尋常じゃないところがあって、僕だけじゃなく、その当時の野手は『野茂が投げるときは絶対に勝たせたい』という思いを全員が持っていましたね」

 味方に「絶対に勝たせたい」と思わせる。それは今の時代になっても変わらずに大切なことだ。

写真=BBM

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