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僕が「子宮卵巣摘出術」と「乳腺摘出術」を受けたときの話

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は横関ハル氏の書籍『レインボー ~性同一性障害と共に生きて~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部抜粋・再編集したものです。

【前回の記事を読む】深い絶望の果て…「恵子の人格が悲しみと共に消えていった」

始まり

翌朝、目が覚めると痛みは随分と楽になっていた。術後一日目は丸一日ベッドの上で過ごすこととなっていた。とにかく退屈だった。何となく胸部から出ているチューブを見ているうちに、胸の感覚が全くないことに気が付いた。乳輪、乳頭の感覚は特に鈍く、手術を終えて数年経っても感覚は戻らない。

僕は頭の中で、ばかみたいに教会で祈る母の姿を思い浮かべた。母は、生まれ持った性を受け入れて生きてほしいと言っていた。僕はそんな母の願いに背いてしまったのだ。母は正しいことを言っている。だから時にそれが重荷に感じる。

携帯を手にすると、僕は家族ではなく職場の人たちと連絡を取り合った。「おめでとう」幾度とない祝福のメッセージが僕に寄せられていた。僕は一人ずつに返信をした。

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家族は最後まで手術について理解できなかっただろう。と、言うより、その話題についてずっと避けられてきた。そして手術をする二カ月前に僕は新潟に帰った。家族へ話し合いを持ちかけるために。

しかし手術はもう決まっているにもかかわらず、集まった家族全員に反対をされた。話し合いというよりは説得に近かった。僕はそこで理解してもらうことはできなかった。とどめを刺すかのように姉は最後に言った。

「将来、副作用で働けなくなって、結局一人になったとしても後悔しないの? いつかは働けなくなって親に頼ることになるんじゃない? こんなはずじゃなかったなんて言われても戻れないんだからね」

強い口調で言われたこの言葉に僕は何も返せなかった。姉の言うことが分からなくはない。

ある雑誌で性同一性障害について取り上げている記事を目にしたことがあった。性別変更後の後遺症で悩まされている人の話だった。その人は僕と同じように女性から男性になったFTMの人だった。彼(彼女)は手術を済ませた数年後にホルモンバランスを崩し、強い倦怠感に悩まされていた。そしてついに今まで働いていた職場を退職し、以前よりも辛い生活を強いられることになってしまったのだ。

そのことを姉は言っているのだろう。甘い夢を見て現実に直面した時に生きられるのか、と問うているのだ。それでも、もう僕の答えは決まっていた。僕はやっぱり自分の信じた道に進みたかった。結局、話し合いは気まずい空気の中で終了した。

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