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ネッカー川都市紀行…ロマン派詩人に愛された中世都市の見所

幻冬舎ゴールドライフオンライン

本記事は、村野憲政氏の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

【前回の記事を読む】ロマン派詩人に愛された中世都市の佇まい…ハイデルベルク巡り

1998年9月19・20日(土・日)ネッカー川都市紀行(ハイデルベルク、マンハイム)

-『アルト・ハイデルベルク』の舞台となった美しい古都-

その他の見所としては、マルクト広場、ハイデルベルク XE “ハイデルベルク” y “はいでるべるく” 大学(学生牢)、プファルツ選帝侯 XE “プファルツ選帝侯” y “ぷふぁるつせんていこう” 博物館およびネッカー川の対岸にありゲーテ XE “ゲーテ” y “げーて” やヘーゲル XE “ヘーゲル” y “へーげる” などの詩人、哲学者が歩いた道と言われる哲学者の道があります。面白かったのは博物館でローマ時代からのハイデルベルクの歴史を説明した展示があり、フランクフルト XE “フランクフルト” y “ふらんくふると” 、シュトゥットガルト XE “シュトゥットガルト” y “しゅとぅっとがると” を含むライン川東岸はライン川とドナウ川を結ぶローマ帝国の防衛線でありゲルマン人と対峙する最前線だったことで、ハイデルベルクにもローマ軍団駐屯地時代の遺跡が多く残っています。時代によって帝国の境界線は動いていますが、ミュンヘン XE “ミュンヘン” y “みゅんへん” もドナウ川の南岸ですし西部、南西部を中心にローマ帝国境界内の部分のドイツも多くウィンストン・チャーチル XE “ウィンストン・チャーチル” y “うぃんすとん・ちゃーちる” がドイツ人を「川向こうの野蛮人」と呼んだのは若干事実に反する部分があります。

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日曜日午前中にハイデルベルクを回り、午後からマンハイムまで足を延ばしました。1720年から1760年にかけてプファルツ選帝侯によって建設されたバロック様式の宮殿と給水塔そしてアール・ヌーヴォー様式の庭園の美しいフリードリッヒ庭園くらいしか見る物がなく、全体的に近代的な建物が多くあまり印象的な町ではありません。プファルツ選帝侯の首都が置かれたのが1720年から1777年までの比較的短い期間だったことと第二次世界大戦の爆撃で町が破壊されてしまったことが理由かと思います。

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マンハイムからは再び列車で5時間かけて夜9時過ぎパリ到着。ライン川上流盆地からパリまで美しい森林・農場地帯を走り、土曜日のライン川沿いの旅と共に飛行機から見下ろす景色とは違う車窓からの眺めを楽しみました。

追伸1:大手総合商社ニューヨーク駐在員のCさんからヴァーモント州にあるTrapp Family Lodgeの紹介と『サウンド・オブ・ミュージック』の本当の話と映画の違いについて解説がありましたがザルツブルクで収集した情報を2、3追加します。映画についてはほぼ実話ですが、トラップ大佐が46歳(なんと私と同い年!)の時20歳のマリアと結婚し3人(3人目は米国移住時にお腹の中)の子供を作ったこと、移住前に既にトラップ・ファミリー合唱団として実績があったこと(ザルツブルク音楽祭合唱部門で優勝)、スイス国境に向けて山を越えたのではなく国境閉鎖の3日前にイタリアに列車で脱出したこと、それ以外には7人の子供の名前の一部が変わっていること等細かい変更があるようです。「子供たちに厳しい母親だった」面もあるかもしれませんが、1年間の家庭教師時代に子供たちの心を掴み子供たちがマリアを引き止めるためにトラップ大佐との結婚を提案・画策したようです。なお後日談ですがトラップ・ファミリーはアメリカ移住後しばらくは合唱活動で生計を立てたこと、大戦終了後救援基金を設立し食料・衣料を送り故郷の人から感謝されたことなど面白く思いました。ちなみに本当の話に基づいたドイツ(オーストリアだったかな)映画もありオーストリアではこちらの方が有名だそうです。

追伸2:オーストラリア関係者への連絡。オーストラリア不動産会社社長でシドニー駐在時に知り合った女性がご友人と一緒に2週間ほどイギリス観光旅行に来てロンドンの私のフラットに泊まって行きました。バッキンガム宮殿、ロンドン塔、大英博物館、ナショナル・ギャラリー等を案内して、私も久し振りにロンドン観光を楽しみました。

 

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