
「阪神淡路」のショック、防災を呼びかける必要性を痛感
「防災が大事だ」と痛感したのは、1995年1月に起きた阪神淡路大震災の被害を目の当たりにしてからです。「こんなことが本当に起きるのだ」と思い知りました。一番驚いたのは、高速道路が倒れた映像でした。同じような高速道路は東京の街を歩けば目に入ってきますし、利用することもあります。
1986年から日本テレビのニュース番組でお天気コーナーに出演しています。気象予報士の資格は、制度が始まったばかりの1995年にとりました。阪神淡路大震災の前までは、天気予報も、季節の話題を取り上げることが多かったのですが、阪神淡路大震災を機にお天気コーナーも防災が大事ということになり、2011年の東日本大震災以降はさらにその傾向が強くなっています。阪神淡路大震災の発生時、「気象庁には地震課があるだろう。何か知らないのか」と言われました。気象庁に地震課があることは知っていても専門的な知識はなかったので「天気のことはわかるけれども、地震のことはわかりません。家具の固定は大切ですが、今、発信する言葉ではありません」と答えなければなりませんでした。自分に対して悶々とした気持ちになりました。

阪神淡路大震災から数年後、防災士の資格ができることをニュースで知りました。「これは地震防災に関することを網羅している」。防災士の資格取得の勉強をすれば、地震のことが一通り分かるようになると感じました。まだ地震のことは分からないけれども、風水害の項目があり、気象にかかわることだから分かるという自信もありました。
余震、ガス漏れ…「3.11」で生きた防災士の発信力
出演番組のスケジュールと重なり、なかなか受験日程が決まりませんでしたが、ちょうど3週連続で土曜日に防災士の講座がある事が分かり、京都の会場まで通いました。東京から朝一番の新幹線に乗って、講習を受けて試験を受けるというスケジュールで、資格を取得しました。東日本大震災発生後、番組で地震の話をする機会があり「余震に気をつけてください」「ガス漏れがあるかもしれません」と伝え、閉じ込められている人の救助を呼び掛けることができました。
また、防災士の資格試験に合格した後、防災士機構の方から、「有志で防災士会をつくりたいので協力してほしい」という連絡がありました。いろいろな職種の方々と一緒に、日本防災士会の発起人として参加し、最初の常任幹事に就かせていただきました。防災士を増やすために広報的な仕事もし、防災士会が動き出す際のお手伝いをさせてもらうことができました。地域の防災活動を活発にして、防災力を高めるために防災士は必要です。

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地震時、まずは命を失わずに最初の揺れを回避し、その後は体調を崩さないように自治体や消防などの「公助」が受けられるまでの2日、3日間を自分の力で過ごせるようにすることを考えましょう。自宅では、食品のローリングストックとして、主食のお米は5キロ入りの袋が常に2つある状態にしています。水はウォーターサーバーのタンク(12ℓ)を3つ常備しています。水は1人が1日に3ℓ必要とされているので、家族4人で3日間を過ごせる計算になります。お風呂の水を飲めるように浄水器も準備しています。非常時の食事については、「1日30品目を食べなければいけない」といった形にこだわるのではなく、「10品目ずつを3日に分けて食べればいい」といった柔軟なとらえ方でいいと思います。十分な備蓄がない場合はごはんに「ゴマ塩」でもいいと思います。非常時だから、フカフカのパンが無くても乾パンをスープに浸けて食べてもいいし、それはそれで面白い経験と楽しんではどうでしょう。
4月29日公開:③「揺れたその瞬間に死なない」が何より大切
<プロフィル>
木原 実(きはら みのる)
日本テレビお天気キャスター・気象予報士・防災士
日本大学芸術学部演劇学科卒業。1986年から日本テレビでお天気キャスターを務め、現在は「news every.」(日本テレビ)で、キャラクターの「そらジロー」とお天気コーナーを担当する。1995年に気象予報士、2004年に防災士の資格を取得。日本防災士会常任理事をはじめ、2011年には内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任した。このほかナレーターや声優、舞台俳優としても活動している。