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カンヌ金賞へと導いた、SDGs時代にマストなブランディングの考え方

パラサポWEB

日本でほとんど注目されてこなかった競技「パラ卓球」をよりクリエイティブなものにし、世の中に知ってもらうために数々の奮闘劇を繰り広げてきたという、立石イオタ良二氏。一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会の広報として活動する中、立石氏が多くの人たちを巻き込みながら精鋭のクリエイティブチームと制作した“障がいを可視化”する「パラ卓球台」が各方面で話題を呼んだ。なんと、世界有数の広告賞であるカンヌクリエイティブフェスティバルで金賞を受賞するという快挙を成し遂げたのだ。それまで関係者以外はなかなか関心をもたれなかった日本のパラ卓球が、なぜ世界を振り向かせることができたのか? 前編では、その劇的なヒストリーと卓越したブランディング戦略について伺った。
後編はそのルーツとなる家業の額縁屋のことや、向き合う中で養われたブランディングの秘訣、パラ卓球を通した今後のプロジェクトの展望などを語ってもらった。

将来有望な卓球選手から額縁屋へ、卓球と額縁の不思議なめぐりあい

家業である「立石ガクブチ店」――前編に続いて、今回は立石さんの卓越したブランディング力についてお伺いしたいと思います。立石さんはブランディングに関して、どこかで学んだのですか?

いや、特にどこかで学んだとかはないですね。でも家業の「立石ガクブチ店」での経験が活きていると思います。福岡の博多で100年以上続いている額縁屋で、完全オートクチュールでやっているんです。おそらく日本で一番多くのフレームを扱っていて、作品に対して1000種類くらいの中から選ぶんです。額装してほしいと発注があったら、その額装するものの歴史から何からをキュレーションして背景を深掘りし、何が一番合うか、親和性を高めていくことから入っていくんです。

オートクチュールの額縁――額縁のオートクチュールってすごいですね。

日本は90年代前半まで賞状文化だったので、額縁は大量生産が主だったんですよ。でもバブルが弾けて、デジタル化が進み、価値がどんどん下がっていったんです。大手もどんどん潰れていった。ただ、調べてみると世界の資産家は総資産の2割をアートに変えているというポートフォリオがあって。父が、そういった人たちに向けてオートクチュールでしっかりとやっていったほうが残っていけると考えたんです。父の代からそういう方針になりました。

――額縁屋は立石さんの本業ということですが、なぜ継ぐことになったのですか?

元々私は5人兄弟の次男で、長男に障がいがあるということで、大学を卒業したら額縁屋を継ぐために帰ってこいと言われていました。本当は卓球選手として海外にも行きたかったし、引退後のために教職も取っていたんですけど、家業を継ぐという使命で、全てを捨てなくてはいけなかったんです。しかもその当時は福岡県内のお客様だけだったので、継いだとしてもどうやって販路を広げていけばいいんだろうと悩んでいました。何より卓球への不完全燃焼感が拭いきれない状態で、額縁の仕事に対して自分のモチベーションを保つものはなんだろうと考えた時に、やはりそれは今まで全てを注いでいた“卓球”だったんです。そこで卓球界で額縁を活かすためにはどうすればいいかを考えたんです。

――卓球と額縁を結びつけるのは、一見すごく難しそうですが。

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普通、そう思いますよね(笑)。でもずっと気になっていたことがあって。僕が卒業させて頂いた大学は卓球の世界チャンピオンを多数輩出している大学でした。賞状やメダルを展示する棚があったんですが、適当に展示されていて、賞状や盾がホコリを被って置かれていました。選手にとって結果がカタチとして残るのは賞状やメダルしかない。そして、その結果は周りで支えてくれる方々がいてこそ。自身の努力や人の想いの結晶(賞状など)を適当に扱っていいものかと気になっていたので、まずはそこから変えようと。
トップアスリートを目指す後輩たちに、そのような「心」の部分を大切にしてもらおうと、賞状とメダルを最高級の額縁で額装しようと考えたんです。インカレ(全日本大学卓球選手権大会)なら需要があるんじゃないかなと思い立ち、日本学生卓球連盟に連絡しました。ちょうど福岡県でインカレが開催される機会があったので、協賛させてほしいとお願いして、優勝校に正式に額装した賞状を送ることにしたんです。
その額縁を見た学生連盟の会長が「これは誰が作ったの?」と興味を持ってくれました。私の選手時代を覚えてくださっていて「立石、久しぶりじゃないか!」と。額縁を気に入ってくれ翌年からは協賛ではなく、正式なオーダーをいただくようになりました。

きっかけは親友との出来事。本質を深掘りするブランディングの極意

オートクチュールの額縁 ――今まで卓球に真剣に向き合ってきたことが活きたんですね。それから額縁屋として、どのような道を歩んできたのですか?

額装の試作品を作るときに、僕の親友で卓球の各カテゴリーでトップとして活躍していた日本代表の選手がいるんですけど、彼にお願いして、賞状などを額装させてほしいとお願いしたんですよ。すると彼は、中学生時代の大会で優勝したときの賞状とメダルを持ってきたんです。「海外選手権や全日本でも優勝しているのに、何でこれなの?」と聞いたら、こんなエピソードを話してくれて。
彼が中学2年のときに母親が病気になってしまった。愛知県に住んでいて、本当は京都の高校に行きたかったけど、愛知県にとどまる気でいたと。でも彼はお母さんから「あなたの行きたい道に行きなさい、だから大会を頑張りなさい」と言われた。その直後の全日本大会で優勝したんですが、その前にお母さんは亡くなってしまった。その後、京都の高校に行き、大学に進学し活躍していくんですが、彼の人生のターニングポイントは、お母さんとの思い出のこもったその賞状とメダルだったんです。
そのときに、額縁に入れて飾りたいもの、それはその人にとっての宝物で大切な想いでもあると解ったんです。頼んでくれた人に失礼がないように、対象が最高に輝くための額装をしなくてはいけないなと。この賞状とメダルのオートクチュール額装が、企画から全てを一人で作った初めての額装経験でした。納品したとき彼は涙を流して喜んでくれました。そのとき初めて額縁屋って、素敵な仕事なんだなと込み上げるものと、仕事に対するモチベーションが上がりました。そこからお客様に喜んでもらうことを第一に、額装する作品をどのように活かしていくかを常に考えるようになったんです。

――その出来事がブランディングの考え方につながっているんでしょうか?

そうですね。それからは額装する作品の歴史やお客様との出会いをヒアリングし、キュレーションシートを作って、お客様にご提案を重ねます。そういった作業の一つ一つがブランディングやマーケティングの考えに繋がっている。数字を見たり、デジタルマーケティングというのも必須だけれども、もっと対象の本質的なところを深堀りしていく価値づくりを目指しているんです。

――本質的なところに向き合っていくからこそ、何をすればいいか最善のものが見えてくると。

はい。その作品の、商品の、サービスの一番素晴らしいところはどこか? 本質を見極めていくことから全てがスタートすると思うんですよ。数字やデジタルだけに頼り過ぎず、心に訴えかけるアナログな視点も見つめ直されている今、そういった本質にフォーカスして伝えていくことで、共感が広がっていくんじゃないかと思います。

ルーツは、両親から叩き込まれた“商い”の精神

立石ガクブチ店――いろいろとお話をお伺いしていると、ブランディングの考え方や向き合う姿勢のルーツはやはり卓球と額縁屋にあるんですね。

「立石家」は400年以上博多商人をやらせてもらっていますが、親から「商売ではなく”商い”をしろ」とずっと言われて育ちました。”商い”というのは、「お客様を満足をさせることであり、相手に求められるものでなくてはいけない」と常に言われていたんです。お金を稼ぐことに執着するのではなく、“商い”という根本の考え方を叩き込んでくれた両親には感謝しています。
パラ卓球台がカンヌ国際広告祭で金賞を受賞できたのも、人との縁とタイミングが大きかった。一つひとつの縁を大切にWin-Winになるような関係性を常に考えてきたのが勝算になったと思います。

未来を作るプロジェクトと、ストーリーという付加価値の重要性

――パラ卓球を通して、今後新たに考えているプロジェクトはありますか?

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