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ガダルカナル・タカ、芸人時代は常に手探り「“持ってない” からこそテレビタレントにシフトできた」

SmartFLASH

「もともと知り合いに芸能事務所を手伝ってほしいと言われて上京したら、なぜか出役(でやく)で考えていると言われ、いつの間にかこの業界に足を突っ込んだという感じです。お笑いも芸能界も興味はなかった」

 

 急な話だったが、出役にまわるならと幼馴染みのつまみ枝豆を誘い、カージナルスを結成。人気番組『お笑いスター誕生!!』(1980~1986年、日本テレビ)に出演し、コントで勝ち進んでいった。だが、本人に手応えはなかった。

 

「いい状況というのは感じていたけど、それは演出家の方の言うことを聞いていたから。コントを選んだのも、漫才と違い衣装や音楽、演出で人の目をなんとなく惹きつけてごまかしが利くかもと思ったからだし。漫才も一応やってみたけど、テクニックが追いつかなかった。とりあえず僕らは技術がなかったです」

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 当時は漫才ブーム。劇場で力をつけた同年代が活躍を始めるなか、カージナルスは徐々に仕事が減っていった。そんなとき空前のドリフターズブームだった台湾で、命運をかけた公演をすることに。

 

「会場に行ったら『ドリフ来台』という日本語の看板があったので、僕らは挨拶をしたいと楽屋に案内してもらったんです。でも、そこは僕らがさっきまでいた楽屋。するとコーディネーターが『あなたたちがドリフよ』って。

 

 台湾の人たちが僕らをドリフの一員だと勘違いしてたんですよ。もうめちゃくちゃ。でもステージでひげダンスを披露したら、大ウケ。気持ちよかったなあ。ま、そのコーディネーターが売上金を持ち逃げしてすべてが終わりましたが」

 

■たけしと過ごした濃厚な日々は宝物

 

 所属事務所も倒産し、行く当てがなかったときにそのまんま東(現・東国原英夫氏)の誘いで、ビートたけしと出会う。飛ぶ鳥を落とす勢いだったたけしを見たタカは、「この人についていこう」と一瞬にして思ったという。

 

「当時のたけしさんは草野球をしていて、そのメンバーとして誘われたのが最初です。初めての会話は『アンちゃん、どこ守れるの?』でしたね。

 

 覚えているのは、一回り大きいファーストミットで守っている枝豆を見て『お前、シオマネキみたいだな』って。片手だけデカい蟹に例えたのですが本当にそっくり。こういうなにげないツッコミセンスもすげぇって感じました」

 

 そんなビートたけしを慕う草野球のメンバーで結成された「たけし軍団」の一員に。同世代の芸人たちで体を張った笑いを見せていく。

 

「たけしさんに憧れて入ってきているから、全員発想がボケ。なので自然とツッコミの僕がまとめ役になり、たけしさんとのパイプ役になっていきました。仕事という感覚はなく、学生時代の友達と部活をしているような感じでした」

 

 忘れられないのが、「フライデー襲撃事件」(1986年)の謹慎期間中のことだ。タカの家族の旅館でたけしと過ごした。

 

「夏ということもあり天体観測をしたり、ゴルフをしたり、かなり満喫しました。仕事はできないけど、たけしさんと毎日くだらないことができて、独り占めにできるという楽しさがあって。

 

 もちろん天体観測用の望遠鏡を露天風呂に持ち込んで……とめちゃくちゃなことばかりでした。実際は半年ですが、体感は2年くらい。それくらい濃厚でした」

 

 

つまみ枝豆とともに

 

 流されるまま芸人にはなったが、「常に手探り状態だった」と語る。

 

「たけしさんと一緒に楽しいことや、仲間とするばかばかしいことを一生懸命にやってきただけというか。芸人として頑張ろうと思った瞬間は逆になかったかも。

 

 たけしさんからは『芸人ってもんはさ……』と教えられたのですが、それを聞くたびに僕の中でモヤモヤが生まれて。

 

 僕の中では芸人は、客前に立って、笑わせる力がある人たちという意識があるんですよ。なので、自分のことをテレビタレントと言うようになりました」

 

 テレビに出て、芸人たちの力をまざまざと見せつけられたことが今につながっている。

 

「たけしさんをはじめ、(明石家)さんまさん、(島田)紳助さんら、あんなバケモノたちが目の前で戦っているのを見られたのは大きかったですね。同じ土俵にも立てないことを最初のほうで知ったというか。勘違いできないくらいの力の差だったんですよ」

 

 だからこそ、芸人に固執することもなかった。

 

「今の状況で自分がどう立ち回ればいいかにシフトチェンジできたというか。早めに気づけました。もともと “持っていなかった” ことが、結果よかったんだと思っています」

 

 今は情報番組のコメンテーターとしても活躍中のタカ。

 

「プログラムを引っ張っていく人みたいなのは大事だけど、そうではないところは、やっぱり今の人がやったほうがいいと思っています。

 

 もちろん求められたら頑張りたいし、若い人にも遠慮なくきてもらいたいけど、バリバリのバラエティで現役は、体がついていかないかな」

 

 情報番組を取り囲む環境も日々変わってきている。

 

「昔は不倫の話題があったら、『俺を見てみろ。やり方が悪い」と笑っていたけど、今はそんなツッコミは絶対にできない(笑)。難しい時代です」

 

 とはいえ、そこで生きていくのも楽しいと言う。

 

「そもそもそこまで考えずに海に出てしまったからなあ。小さな帆を立てて漕いでいたら、潮が流してくれたり風が吹いてくれた。そのうち近くにたけしさんというクイーンエリザベス号みたいな大型船が現われて、それについていった。

 

 そうやって出会いによって生かされているというか。なので、あまりいろんなことに固執せずやれたらと思うし、いろんなことに対応しながらやっていきたいなって思う」

 

 2018年、たけしが別会社に移り、また世界が変わった。

 

「ずっとたけしさんに見てもらってきたけど、みんな年も年だし、残りの人生は好きにやれよと言われた気がします。たけしさんには長い間、ご苦労様でしたという気持ちでいっぱいです。今後はお互いに連絡を取り合って近況報告みたいなことができれば最高かも」

 

 ビートたけしとはどういう師匠だったのだろう。

 

「図鑑に載っている “ヒューマン・人間” かな。信じられないくらい努力をするし、やりたくないことは絶対やらない。温かくもある、強烈な冷徹さもある……人間やオスの誰もが抱えているものを強く持っている人の気がします。

 

 おっさんがやりたい放題にやるとこういうふうになるという見本を見せられた感じです。でも、こんな生き物に出会えて本当によかったと思います」

 

がだるかなる・たか
1956年12月16日生まれ 静岡県出身 幼馴染みのつまみ枝豆とカージナルスを結成し、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)でデビュー。たけし軍団に加入後、『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)などでビートたけしの右腕として活躍。『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ・日本テレビ系)『とびっきり!しずおか』(静岡朝日テレビ)など情報番組にコメンテーターとして出演中

 

【恵比寿 ろくごう】
住所/東京都渋谷区恵比寿西1-13-6 ブラッサムZEN 2F 営業時間/17:00~23:00(L.O.22:30)
定休日/年中無休 ※完全紹介予約制 ※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。

 

写真・福田ヨシツグ
スタイリスト・鈴木かづ美
ヘアメイク・中山芽美
衣装協力・global stance

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