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関心度ゼロ!からカンヌ国際広告賞を受賞するまでのブランディング戦略

パラサポWEB

日本でほとんど注目されてこなかった競技「パラ卓球」をよりクリエイティブなものにし、世の中に知ってもらうために数々の奮闘劇を繰り広げてきたという、立石イオタ良二氏。一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会の広報として活動する中、立石氏が多くの人たちを巻き込みながら精鋭のクリエイティブチームと制作した“障がいを可視化”する「パラ卓球台」が各方面で話題を呼んだ。なんと、世界有数の広告賞であるカンヌクリエイティブフェスティバルで金賞を受賞するという快挙を成し遂げたのだ。それまで関係者以外はなかなか関心をもたれなかった日本のパラ卓球が、なぜ世界を振り向かせることができたのか?その劇的なヒストリーと卓越したブランディング戦略に迫る。

リオパラリンピックで知った日本のパラ卓球の現実。たった一人の広報活動はカンヌに通ず

写真はリオ2016パラリンピック ©︎Getty Images Sports ――立石さんはパラ卓球日本代表のコーチでもあったそうですが、2016年のリオパラリンピックにコーチとして同行した際に、カルチャーショックを受けたそうですね。現地の盛り上がりが想像以上にすごく、日本のパラ卓球の現状と比較してしまったとか。

はい。現地はものすごく盛り上がっていましたね。そもそも当時の日本のパラ卓球の試合は、全日本選手権でも観客がほぼいなくて、いるのは関係者ばかりだったんですよ。リオパラリンピックでは会場が超満員で。家族連れやカップルで来ている人も多くて、選手入場ではウェーブで、試合後選手が戻る際にはスタンディングオベーション。南米やラテン系特有のスポーツを楽しむという文化ももちろんあるんでしょうけど、勝っても負けても拍手で迎え入れてくれるし、パラスポーツというものがすごくフラットに受け入れられているなと感じました。

――フラットというのは?

まず、パラ卓球はお互いに相手の障がい(弱点)を徹底的に狙います。その時には車いす選手が相手の手の届かないネット付近を徹底的に狙う巧みな技術を駆使していました。最初、会場ではそのプレーに対してブーイングが起こりました。パラ卓球を知らない観客からすれば、それはあえて相手の弱点(障がい)につけ込むような戦術なので。これが健常者の卓球だったら普通のプレーなんですけど、障がいのある選手に対して行うのはずるいと、観客は感じていたみたいです。しかし、その選手は戦術を変えませんでした。その内、観客のブーイングは拍手に変わったんです。一歩間違えるとミスとなる難しいショットを何度も繰り出せるその技術力と精神力が、すごいと。スーパープレーに対して観客が盛り上がる、それはスポーツ観戦の本質的な楽しみのひとつです。あの時、間違いなくリオの観客はパラ卓球をスポーツとして純粋に楽しんでいたはずです。それが本当に嬉しくてゾクゾクしたのをハッキリと覚えています。同時に今(2016年当時)の日本ではこのような観客の変化はなかなか難しいだろうなとも感じました。
その体験から、4年後の東京パラでもリオの観客たちのように会場を、パラリンピックを盛り上げたい!と思ったんです。アスリートたちのスーパープレーに熱狂し、パラリンピック・オリンピックというフィルターすら取っ払って、純粋にスポーツを楽しむ。この世界観を日本でも共有できたらいいと思いましたね。

日本肢体不自由者卓球協会広報の立石イオタ良二氏。
――リオパラリンピックから帰国後にパラ卓球の広報活動を始めたそうですが、関心度が低い、観客がいないという絶望的な状況の中で、まずはどのように行動を起こしていったのでしょうか?

兄がパラ卓球の選手ということもあり、2014年に世界選手権大会の日本代表監督を、2015年からボランティアでスポンサーセールスをしていました。しかしリオでの経験を経て、帰国直後、パラ卓球協会の会長、理事長と話し合い、ボランティアではなく正式に業務委託契約をして協会内に広報部を立ち上げました。組織の中から変えていかないとリオで見た景色は作れないと確信し、即行動しました。
そして、一般社会におけるパラ卓球の立ち位置を確認することから始めました。どのくらいの人たちがパラスポーツに興味を持ってくれていて、実際に大会観戦やプレーを観たことがある人がどれだけいるのか。インターネットで調べて見たところ、米・ニールセン社の調べで、日本におけるパラスポーツ観戦経験者数は日本人口のたったの1%と記載されていました。
私も実際に1ヶ月の街頭インタビューで都内を周りリサーチしましたが、やはり同じような数字でした。観戦したことがある人、興味があるという人がほぼいなかったんです。その理由も聞いたのですが、「普通にオリンピック競技のほうが面白そう」、等という漠然とした理由だったんです。しかしこれはチャンスだと思いました。
パラ卓球自体にネガティブなイメージがあるからではなく、単純に観た事がないだけ、観る機会がなかっただけで、もし彼らにパラスポーツの本質的な魅力やパラアスリートの強さを伝えることができれば、必ず共感ポイントを生むことができると思いました。パラ卓球の広報活動を一過性のイベントにせず、継続的に発信しムーブメントにして伝え続けていくことができれば、必ず共感を作ることできると感じ、行動し続けました。

ネガティブからポジティブへのイメージ戦略。広がっていく「共感」の輪

――共感にもいろいろな形があると思いますが、立石さんが考える共感というのはどういったものなのでしょうか?

パラ卓球により興味を持ってもらうためには、楽しいとか面白い、カッコイイというポジティブな共感が必要だと感じていました。しかしこれまでのパラスポーツイベントの内容でそれは中々難しく、例えば足に重りを付けて片足に障がいのある選手の世界を体験するなど。重くて動きづらい、大変、かわいそう。というように「ネガティブな共感」で終わってしまいます。
もっと人が考えもしなかったようなアイディアで、パラ卓球を知らない人たちのファーストインプレッションをポジティブにしなければならないと考え、協力してくれる仲間を探し始めました。
最初の頃はいろいろな人に話しても、誰一人として「一緒にやろう」と言ってくれる人はいませんでした。2017年も試行錯誤の日々が続きました。そんな中、2018年に日本財団パラリンピックサポートセンター(現・日本財団パラスポーツサポートセンター)からのご紹介で「一般社団法人二枚目の名刺」というNPO法人との出会いがありました。「二枚目の名刺」は参加している人みんなが仕事後のアフター5や空いている時間での副業やプロボノ活動を通して、スキルを活かし社会貢献をしようというプロジェクトです。そこでパラ卓球についてプレゼンをさせていただく機会を頂きました。パラ卓球に興味を持った人たちが集まってくれていて初めて私のプレゼンが響き、自身初のプロジェクトチームを組んでいただきました。

――結成されたプロジェクトチームでは、どのようなことから始めたのですか?

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先ずはチームメンバーに「パラ卓球」をしっかりとインプットしてもらうところからスタートしました。プロジェクトに与えられた3ヶ月という短い時間で、社会に何を発信するかを明確にし、全員が同じビジョンを思い描き全速力で駆け抜けることができるように。アクションとしては、パラ卓球を実際に観れるイベントを企画し、メンバーそれぞれの強みを生かし、イベントの内容を考え、場所を探しました。

原宿にて行われたイベント「パラ卓球Special LIVE」

イベントは原宿交差点すぐのビルの一階という最高の場所でイベントを実施させて頂きました。もちろん内容にもこだわりました。色んな角度からパラ卓球を知ってもらえるように、パラ卓球の凄さをリアルに実感してもらえるように「パラ卓球Special LIVE」という題をつけました。

会場に卓球台を置き、リオパラリンピックに出場した2選手にプレー(LIVE)してもらい同時にトークショーも行いました。その空間には早稲田大学のスポーツ新聞会の学生たちに取材・撮影してもらったパラの全日本選手権での写真を展示しました。1000枚以上の写真の中から8枚を厳選し、タイトルやキャプションを付けて、見る人がより引き込まれるような展示を心掛け、また油彩画家にも出演選手のポートレートを描いてもらいました。選手のリアルなプレー、試合の臨場感あふれる写真、アート作品を組み合わせ、立体感のある展示をしました。

パラ卓球をまったく知らない人たちへ向けたイベントでしたが、当日わずか5時間で600名以上のお客様が来てくれました。この経験が自信になり、今の広報活動にもすごく活きています。様々な角度から、物事の本質を伝えられたときに「共感」を持ってもらえるんだと。

――そしてそのイベントで、その後の広報活動の運命を変える出来事があったんですよね。

そうなんですよ。プライベートでご縁のあった友人でTBWA/HAKUHODO(ワールドワイドのジョイントベンチャーとして設立された総合広告会社)のプロデューサーがイベントにお嬢さんを連れて遊びに来てくれたんです。お嬢さんのすごく喜んでいる姿と、当日の人の入りや盛り上がり、高揚感を感じてくれて「パラ卓球、本当にすごくいいね。これ、一緒にやろう!」と言ってくれて。これがその後の活動における、ものすごく大きな転機となりました。

いかにクリエイターたちをワクワクさせるか? がキーになる

パラ卓球のキーヴィジュアル――プロデューサーの「一緒にやろう!」の一言から、どうなったんですか?

やろう!と言ってくれたのはいいものの、 当時、TBWA/HAKUHODOのような大きな広告会社に広告の制作を依頼するほどの予算は全くありませんでした。どうしたら、予算のない中で大きな会社に動いてもらえるか? 戦略を練り「パラ卓球と関わりたい理由」作りをしました。パラ卓球をクライアントとすることで「東京オリパラという世界の一大イベントに関われる」(当時、東京オリパラに関する利権が厳しくTBWA/HAKUHODOでは関わりがなかった)、そして「パラ卓球にアワード案件となり得る可能性を感じさせる」」という2つの戦略で社内アプローチをしてもらいました。海外アワード案件となれば、本格的にクリエイティブチームを作る理由になるわけです。同時に、トップクリエイター(当時L.A.でグローバルに活躍していたクリエイティブディレクターなど素晴らしいメンバー)の皆さんへ、私が直接プレゼンする場も設けて頂きました。ここでは戦術抜きで、ただただパラ卓球の魅力とパラスポーツの可能性を、必死で2時間プレゼンしました。そして、その想いに「共感」して頂くことでき「パラ卓球クリエイティブチーム」が誕生しました。

――クリエイティブ制作の際に、通常とは違ったやり方をされたと伺いましたが、どんな風に進めたのですか?
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