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【独占手記】柔道・瀬戸がメダリストと語り合った! 教員として伝えたい生き様

パラサポWEB

東京2020パラリンピックで銅メダルを獲得した柔道・瀬戸勇次郎選手。特別支援学校教諭になるため、この3月に卒業した福岡教育大学で研究に励んでいる。教壇に立つとはどういうことか、競技との両立は――。疑問に思っていることを晴らすべく、先輩パラリンピアンから学ぶシリーズ『瀬戸勇次郎の教職武者修行』を企画した。第1回はリオパラリンピック銀メダルの廣瀬誠さんと対談。そこで得たものや感じたことを、瀬戸選手本人がつづった。

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私が教壇に立ったとき、子どもたちのために何ができるだろうか。教職経験のあるパラリンピアンならば、その答えに近づくためのヒントを与えてくれるはず。私と同じ柔道で4度パラリンピックに出場し、2つの銀メダルを獲得した現役盲学校教諭の廣瀬誠さん。全日本視覚障害者柔道大会で対戦したこともある大先輩に質問をぶつけました。

職業選択の自由がほしかった

現在、名古屋盲学校の理療科で教壇に立つ廣瀬さん。まず初めに教職に就くまでの経緯を伺いました。

過去に対戦したこともある廣瀬さんとの対談に臨んだ瀬戸

廣瀬さんは最初は教員になるつもりは全くなかったのだといいます。

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「僕、中途で視覚障がいになって、そのときに病院で盲学校を勧められて。盲学校でマッサージや鍼灸の免許を取ることが目標になって」

当時は社会全体の障がいへの理解が少なく、鍼師や灸師の免許を取らなければ経済的に自立できないと言われたとのことで、危機感から免許取得を目指して盲学校に通ったそうです。盲学校では熱心に勉強し成績も優秀だったという廣瀬さん。しかし心中は悶々としていたといいます。

「職業選択の自由がないなかでマッサージ師になって、自分の生涯の仕事として自信を持ってやっていけるのか。とにかく、職業の選択をしたかった」

そんなとき、盲学校の職員さんから教えてもらったのが、盲学校の先生になるという選択肢でした。

「教員になって何かをしたいっていうわけじゃなくて、選択肢が欲しいっていう感じで、最初のきっかけはそんな感じ」で東京にある教員養成の学校を受験し、合格したそうです。

「職業の選択をしたい」という廣瀬さんの言葉は、私にはとても衝撃的でした。私の認識では職業の選択は当たり前にできることでした。障がいゆえに選択できない職はあったけれど、私は数えきれないほどの選択肢のなかから教職を選んだと自覚しています。しかしこれは、時代や環境に恵まれていたからこそできたことなのかもしれません。盲学校では職業訓練も行われています。廣瀬さんに教職という選択肢を教えてくれた職員の方のように、生徒たちの職業の選択肢を広げることも教員の大切な仕事のひとつだと思いました。

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