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公務員パラリンピアン、5大会連続出場の出来島桃子が見せた「やりきった」笑顔

パラサポWEB

北京冬季パラリンピックで目標には届かなかったものの、大きな足跡を残した選手も少なくない。5大会連続出場を果たした47歳の大ベテラン、出来島桃子もその一人だ。

新潟県の新発田市役所に務めながら競技生活を送る出来島は、大会直前、パラリンピックに挑戦した日々を「1年1年やってきて、その積み上げが5回続いた感じ」と振り返っていた。

5種目に出場した今大会は、その集大成の場でもあった。

バイアスロンなら海外の強豪相手にも

出来島がクロスカントリースキーを始めたのは1999年3月。20歳のときに受けた悪性腫瘍の切除手術の影響で、右腕が動かなくなった出来島は、地元の新聞が募集していた障がい者向けのスキー体験イベントに参加した。すると3年後には、ワールドカップに初出場。2006年にはトリノ大会でパラリンピック初出場を果たした。バイアスロンを始めたのはその翌年、2007年のことだ。

バイアスロンとクロスカントリー計5種目に出場

バイアスロンはクロスカントリースキーのフリー走法と射撃を組み合わせた競技だ。持久力と集中力が同時に求められるため、タフでなければ勝つことはできない。パラリンピックでは、距離別にショート、ミドル、ロングの3種目が実施される。

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出来島は、バイアスロンへの適性があった。クロスカントリーの走力では海外の強豪選手に劣るものの、射撃でそれを巻き返すだけの実力があった。

運命を変えたソチ大会の“事件”

2014年のソチ大会は、出来島がメダルに最接近した大会だ。当時39歳だった出来島は、得意のロング(12.5km)で終盤までトップに立っていた。しかし、運営側のミスでほかの選手が誤ったコースを滑っていたことが判明し、出来島は距離を合わせるため、最後の1周で男子用のコースを滑らされて7位に沈んだ。レース後、日本代表選手団は国際パラリンピック委員会(IPC)に抗議するも却下された。

2006年トリノ大会の同種目で銅メダルを獲得し、ソチ大会にも出場していた太田渉子は、大会中、出来島と同じ部屋で過ごしていた。その部屋に、優勝したウクライナのオレクサンドラ・コノノバが訪ねてきたときのことを、太田はこう語っていた。

「“あなたが真のチャンピオンだよ”という雰囲気でフラワーセレモニーの花束を持ってきてくれたんです。みんな判定には不服な様子でした」

競技の過酷さを知る選手同士はリスペクトし合っている

ゴール直後に選手が倒れ込むことも珍しくない過酷なこの競技では、選手同士が互いにライバルであり、仲間でもある。つらい出来事の中にも温かさはあった。だが、出来島の心が晴れることはなかった。一連の出来事は、その後の彼女が歩む道にも大きな影響を与えた。

呼吸1つ分タイムを縮めるために

ソチ大会後、引退する予定だった出来島は、「もやもやした気持ちが残った」と競技続行を決意した。2種目で入賞した2018年の平昌大会のあとも競技者でいることにこだわり、北京大会に向けてもさまざまな改良を試みた。

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