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初出場&最年長の神山則子、アルペンスキーで「道」を極める

パラサポWEB

北京冬季パラリンピック競技8日目の3月12日、アルペンスキー女子の最終種目の回転に、日本からは村岡桃佳ら5人が挑んだ。前回の平昌大会、出場全5種目でメダルを獲得した村岡は5位に終わり、表彰台は逃した。ただ、今大会も金メダル3個、銀メダル1個と大活躍に変わりない。金メダルの数を前回よりも2つ増やし、「達成感で晴れやかな気持ちでいます」と充実感あふれる表情を見せた。

こうして村岡が今大会の主役を演じきった一方で、バイプレーヤーの魅力を放った選手がいる。北京大会の開幕直前に49歳の誕生日を迎え、日本代表選手団最年長で初の舞台に臨んだ神山則子だ。スピード系競技の滑降とスーパー大回転、技術系競技の大回転、回転、さらにスーパー大回転と回転の合計タイムを競うスーパー複合の5種目にエントリーした。

40歳で競技を始め、初の舞台に photo by AFLO SPORT

雪山にも武道の精神

神山の口から何度となく聞かれた言葉が「マイペースを貫きたい」だった。

かつて、なぎなたや剣道といった武道に取り組んでいた神山は、スポーツ選手として結果を求めながら、「道」も追求している。そんな神山にとっても、パラリンピックはあこがれの舞台。「独特の雰囲気にのまれないようにしています」と、平常心を保つのが容易ではなかったようだ。

しかし、そんな慎重な姿勢が功を奏し、最初の種目の滑降と、最終種目の回転では8位入賞。回転を滑り終えたあと、神山は大会全体を振り返り、「自分なりにそれぞれ1本1本、気持ちを込めて滑りました」と思いを口にしていた。

高速系技術系共に滑り切った photo by AFLO SPORT

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神山が丁寧に滑るのには理由がある。神山にとって、途中棄権することなく最後まで滑りきることは容易でない。24歳のときに患った膠原病(こうげんびょう)の影響で左半身にまひがあり、さらに6年前のがんの手術の影響で左足はまったく動かない。普段は車いすを使った生活をしている。

ターンをめぐる苦悩

「車いすを使っているならチェアスキーという選択もあるのでは?」と思う人もいるかもしれないが、左手に力が強く入らない神山はチェアスキーを操れず、リフトに乗ることも難しい。だから「いつ、まひしている脚が(雪に)とられるかわからない」という心配を抱えつつも、立って滑る選択をした。

このスキースタイルで、こと大変なのはターンするとき、障がいのある左側のスキー板が内側にあるときだ。外側にあるときは、骨格で押さえつけるイメージで板をコントロールできるが、内側のときは、うまく体重が乗らず、板が勝手に開いてブレーキがかかる。神山の滑る体勢が腰高なのも、左側の板を骨格で抑えるためだ。

「勝手に太ももが前に出ないように、手で押さえてみたり、外向きをとってみたり、右手を引いてみたり、いろいろ試して入るんですけどね。斜面状況もいろいろなので、なかなか同じ体勢を保てず、難しい部分です」

パラリンピック初出場の神山 photo by AFLO SPORT

きっかけは長野パラリンピック

腰につけたベルトに左手を通してバランスをとりながら滑るなど、神山は常に試行錯誤をしている。そんな苦労を積み重ねながらも「スキーが好き」というのは、この競技には「普段味わえないスピード感」があるからだという。

障がいが出始めた頃の1998年、長野パラリンピックの会場の近くに行ったとき、たまたま義足の選手が猛スピードで滑降しているのを見て驚いた。「自分の脚がついていれば、なんとかスキーはできるのかな」と感じ、「いずれ出てみたいな」という気持ちが芽生えた。

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