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スノーボード界のカリスマ岡本圭司、8位入賞は妥当だけど「最高!」の通過点

パラサポWEB

「雪上の格闘技」と呼ばれるスノーボードクロスの男子LL2クラス(下肢障がい)準決勝。岡本圭司は、世界王者で2018年平昌大会の金メダリスト、マッティ・スール・ハマリ(フィンランド)と同じ組でスタートを切った。

得意の階段状のセクションのあと進路をふさがれた岡本は、先行逃げ切りの形を作れず、4人中4位でフィニッシュ。表彰台の可能性が消えると、両手を合わせて「すまない」というようなポーズを見せた。その後の順位決定戦は見せ場を作るも4位。最終順位を8位としてこの種目を終えた。

「ここに懸けている」と公言していた種目で表彰台には届かなかったが、入賞は果たした。そもそも戦う前から岡本は、北京大会の目標について決してメダル獲得とは言っていない。繰り返してきたのは「ベストな滑りをしたい」。力を出しきった満足感からか、順位決定戦のレース後は、「最高! あー、楽しかったー」と笑顔をはじけさせた。

先行した選手に食らいつく

閉ざされた未来と、切り拓かれる未来

岡本が見せる笑顔の奥には、傷ついた心を癒し、再生してくれたというパラスノーボードへの感謝の思いがある。19歳のとき、スノーボードに出会った岡本は、フリースタイルのカリスマ的なトッププロへと上り詰め、“魅せる”世界で輝かしい実績を残してきた。スノーボードのスロープスタイルは、2014年のソチ大会から正式種目になったが、「あと4年早かったら、僕が出ていた気もする」という思いも口にするほど、自他ともに認める実力者だった。

しかし、悲劇は突然訪れた。33歳だった2015年、撮影中の事故で脊髄を損傷し、「今後は車いす生活になる」と医師から宣告されたのだ。

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「スノーボードこそ、自分の可能性を無限に広げてくれる存在」と信じていた岡本にとって、それは絶望ともいえる出来事だった。当時について岡本は、「生きる道を見失って、錯乱したみたいに泣き叫ぶ時期もありました」と語っている。

元トッププロの岡本

だが、家族の支えもあり、右脚にまひが残るも少しずつ自力で歩けるようになると、徐々に目が外に向き始める。パラスノーボードに出会ったのはそんなときだった。2018年、全国障がい者スノーボード選手権に初めて出場。プロの経験から「絶対勝つやろ」と楽観的に臨んだが、全敗だった。

この敗戦が、岡本の心に再び火をつけることとなった。

スノーボードは思ったよりも奥が深い

岡本は、パラ競技を始めた当時をこう振り返る。

「怖かったですよ(苦笑)。73kgの市川貴仁が、57kgの僕にがんがん体をぶつけてくるんですから。と同時にケガ後、初めて勝ちたいという気持ちも湧いてきたんです。初めてクロスを経験して上達する楽しさも思い出しました。そして気づいたらパラリンピックを目指していた感じです」

以来、強く感じているのは、パラスノーボードもまた、愛するスノーボード文化の一つだということだ。フリースタイル時代は、「カービング(ターンの一種)なんて、キッカー(ジャンプ台)とキッカーの間の移動手段くらいにしか考えてなかった」という岡本だが、「クロスに出会ってから、いろんな人にカービングの魅力を教えてもらい、より深くスノーボードを知ることができている」と話す。

スノーボード日本代表の岡本(スノーボードクロス予選)
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