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松本人志の代役を務めた「JP」も…憑依系モノマネ誕生のきっかけは鶴太郎が松村邦洋に与えたアドバイス

SmartFLASH

原口「正直、似てるクオリティで言ったら、僕より若手の方が相当すごいですし、声の質のクオリティも負けてます(笑)。Mr.シャチホコ(和田アキ子さんのモノマネ)とか松本(人志)さんのものまねの先駆者のJPとかクオリティが高いです。後は松岡修造さんのモノマネをする、こにわ君。松岡さんになりきって長尺でしゃべれるところがすごいと思います」

 

 原口さんがあげた3人の共通点は、1人の人物で長時間モノマネを続けられることです。

 

 長尺のモノマネは、当然ギャグや定番のフレーズだけでは時間がもちません。それをやるには、モノマネをする人物のキャラクターを研究することが大事だとコージー冨田さんから、以前お聞きしました。

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コージー「『その人が言いそう』とか、『その人だったらこう言うだろう』と、実際は言ってないんだけど想像してやるわけです。以前、番組で僕が、鶴瓶さんの目の前で、鶴瓶さんが電話してるモノマネを想像でやったんですよ。『そこちゃうがな。となりの部屋のタンスの上や。いや、そこちゃうねん。もうええわアホ!』って電話を切るみたいな。そしたら鶴瓶さんが僕に『見たんか、ホンマに。昨日そんな話してたんや』って言われて(笑)。僕が想像したことがリアルに近かったんです」

 

 コージーさんは、まだ東京に出てくる前、松村邦洋さんが憑依系モノマネをテレビでやっているのを見たときに危機感を感じたと言います。

 

コージー「僕は22~23歳の頃、地元の名古屋に住んでいて、東京に出ていくことは考えてなかったんです。でも、テレビで松村さんが石橋貴明さんとかのモノマネをやっているのを見て、狙ってるところや考え方が同じだと思いまして。『ヤバい。早く東京に行かないと、この人に全部モノマネをやられちゃう』と思ったんです。あの人は永遠にモノマネを続けますからね。僕より頭がおかしいです(笑)」

 

 そんな松村さんに、長尺の憑依系モノマネをやり始めたきっかけを以前お聞きしました。

 

松村「新人の頃、ライブでモノマネをやってもうまくいかなくて。事務所でも『なんでこんな奴を採ったんだろう』っていう空気だったんですよ。でも僕は(片岡)鶴太郎さんに楽屋でモノマネを振られるときは、のびのびしゃべれるんです。そしたら鶴太郎さんが『お前、面白いよ。お前は長くモノマネができるから、たけしさんの楽屋での1日やとんねるずの石橋(貴明)の家での1日とかを、そのまま長く引っ張って舞台でやってみろよ』と言われて」

 

 松村さんは、長尺の憑依系モノマネをやるようになってから結果が出始め、テレビ出演につながっていったと言います。

 

 憑依系モノマネは、片岡鶴太郎さんの助言により松村さんが始め、新世代のモノマネ芸人たちに脈々と受け継がれていったのです。

 

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している

 

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