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中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」

高校野球ドットコム

 昨年秋の明治神宮大会。決勝の舞台に広島の広陵ナインがいた。試合では大阪桐蔭の力の前に敗れはしたが、準優勝ナインを誇らしげにながめる男がいた。「名監督列伝」第2弾は広陵・中井 哲之監督。もう30年以上もチームを率いている。センバツ優勝2回、夏甲子園準優勝2回。春夏通算で19度も甲子園のベンチに座った。名将はいかにして名将になったのか。まずは、時計を監督就任時に戻す。

名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

寝耳に水だった監督就任

中井 哲之監督(広陵)=2013年の試合より

 「哲っちゃん、野球部の監督になったん?」

 広陵・中井 哲之監督は、その日をよく覚えているという。1990年3月19日の職員会議。各自の机には、1年1組の担任はだれ、剣道部の顧問はだれ……と新年度の職掌分担が書かれたプリントが置いてある。中井が席に着くと、一足先にプリントを見たとなりの先生がいうのだ。

「えっ、監督? そんなバカな、なにかの間違いじゃろう……と思ってプリントを見たら、本当に”野球部監督 中井哲之”と書いてあるんですよ。それでもすぐには信じられず、絶対なにかのミスだと思いましたね」

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 広陵は現在、甲子園通算72勝44敗。センバツでは優勝3回、準優勝も春3回、夏4回を誇る強豪校だ。だが、同じ広島県内には人気、実力を二分する広島商もある。通算成績は62勝36敗だから広陵が上回るが、広島商は夏6回、春1回と優勝回数では全国3位タイ。73年にはセンバツ準優勝、夏優勝という好成績で、88年夏にも6回目の優勝を果たしている。その73〜80年の広陵といえば、中井が在学中の80年春夏と、84年春に甲子園に出場しているのみ。その時期、ライバルに水をあけられていた。

 そういう90年、当時27歳の「若僧」が監督に就任するのである。戸惑うのも無理はない。なにしろ、大阪商大を経て母校に赴任したのが86年のこと。コーチ歴は4年に過ぎず、年上のコーチもいる。なにより、しばらく甲子園からは遠ざかっているとはいえ、当時で創部80年が間近、全国優勝も経験し、OBには野球殿堂入りのレジェンドもいれば、プロ野球選手も数え切れないほど出ている古豪なのだ。にわかには信じられなくても無理はない。

 なにより「あんな若僧が監督? だめだめ」と、そうそうたるOBやファンが黙っちゃいないだろう。なにかの間違いであってほしい、と尻込みしたくなったが、もう決まっている人事だから、の一点張りでとりつく島もない。これが、広陵・中井 哲之監督の始まりだった。

広商、崇徳に憧れた少年時代

中井 哲之監督(広陵)=2017年の取材より

 広島市の西隣の廿日市市(88年までは廿日市町)で育った。ミスター赤ヘル・山本浩二氏は、廿日市高校のOB。野球が盛んな土地といっていい。中井少年も当然のように野球を始めた。小学校4年のとき、県大会決勝で完全試合を食らい、敗退。同時に監督も辞任すると、父が広陵OBの監督を探してきた。廿日市で小さな電気店を営んでいる父は、根っから野球好きで曲がったことが嫌い。「こんな負け方のままチームがなくなったら、子どもたちは一生傷ついたままやき」と、一肌脱いだわけだ。

 こんな話を聞いた。中学時代、いつも同級生をいたぶるいじめっ子がいた。見るに見かねた中井が助太刀に入り、取っ組み合いのケンカになった。相手の親が学校にねじ込んだのか、何人もの先生が中井家に飛んでくる騒ぎに。「対応した父は、いちおう殊勝な顔で先生の話に相づちを打つんですが、先生方が引きあげると『で、オマエ、勝ったんか?』。私がうなずくと、『そうか、ようやった!』です(笑)」。男気の人、なのである。

 その後進んだ廿日市中学で中井は、エースで3番を打つことが多かった。

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