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宮沢賢治は意図的に「農耕地雑草」を除外していた?

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、宇都宮大学雑草管理教育研究センター教授、博士(農学)・小笠原 勝氏の書籍『雑草害~誰も気づいていない身近な雑草問題~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

宮沢賢治と植物

またまた話が横道に逸れてしまいますが、岩手県そして農民といえば、「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」の宮沢賢治が思い起こされます。

宮沢賢治は農民を対象とした羅須地人協会という私塾を作った立派な農学者であると同時に短歌、詩、童話などのたくさんの作品を著した文学者ですが、あにはからんや彼の作品に登場する植物の多くはキキョウ、オミナエシ、ツリガネニンジンなどの里山植物であり、雑草は非常に限られています。

畑地雑草はスズメノテッポウとカラスムギ、水田雑草にいたってはオモダカだけであり、代表的な雑草のメヒシバとイヌビエは載っていません。メヒシバとイヌビエは世界共通種(Cosmopolitan weed)ですので、その当時の岩手県の農地にも間違いなく生えていたと考えられることから、宮沢賢治は意図的に農耕地雑草を除外していた可能性があります。

宮沢賢治の作品に「茨海小学校」という童話があり、その中に「すると野原はだんだん少なくなって、あのすずめのかたびらという一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草……両方から門のように結んであるのです。一種のわなです。」という一節がありますが、「スズメノカタビラ」ではなく「カゼクサ」ではないかと思われます。

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ちょっと粗探しのようになってしまいましたが、宮沢賢治はとても植物に明るく、彼の全作品には四四科九〇種もの植物が記載されており、その内の一二種が帰化植物でした。帰化植物とは明治以降に外国から入ってきた植物のことを指し、明治以前から既にあった植物が在来植物です。

ある地域に生育するすべての植物種数に対する帰化植物の種数の割合を帰化植物率と呼んでおり、宮沢賢治の全作品に当てはめてみると、帰化雑草は一三・三パーセントでした。

海外との人や物の交流が盛んになるにつれて、帰化植物の種類は増加し、現在は優に一〇〇〇種を超えていると考えられています。ヒメジョオン、ハルジオン、セイヨウタンポポ、オランダミミナグサ、オオイヌノフグリなど身近な植物のほとんどが帰化植物です。現在の日本で、帰化植物率が一〇パーセント台の場所は地理的に隔離された特殊な場所以外にほとんど見当たりません。

宮沢賢治が生きていた時代の原野の風景は現在と大きく違っていたと思われます。ヒエはいざという時のための救荒植物でしたが、写真1に示すクズは普段から利用されていました。

[写真1]電柱に巻き付いたクズ(Pueraria lobata (Willd.) Ohwi)とクズの花(小笠原)

今は各地でフェンスや樹木に絡みつく嫌われ者になっていますが、かつては根に含まれる澱粉が葛粉として食用になっていただけでなく、葛布と呼ばれる織物が蔓の繊維から作られていました。葛布は静岡県掛川市の名産であり、お洒落な鎌倉武士は葛布で作った直垂を着ていたそうです。

イラクサ科の多年生植物のカラムシ(苧)も繊維の原料になり、福島県昭和村には「からむし工芸博物館」があります。また、雑草は織物の原料だけでなく、染料にもなります。

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