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中日からパ・リーグへ。大島康徳に「トレードですねって話してたら俺も出された」平野謙【プロ野球はみだし録】

週刊ベースボールONLINE

大島は牛島に「25歳だったら行くな」と



中日時代の大島

 1980年代の中日は、なにかとにぎやかだった。82年に近藤貞雄監督の掲げた“野武士野球”で暴れ回ってリーグ優勝を飾ると、エースの星野仙一、かつて司令塔を担っていた木俣達彦が現役を引退。86年オフに星野が監督として復帰すると、“野武士”打線の中心的な存在だった谷沢健一が引退、牛島和彦ら82年のV戦士たちを含む4人とのトレードで三冠王3度の落合博満が加入した。そして87年オフ。またしてもV戦士たちがチームを離れる。

 まずは大島康徳。83年に36本塁打で本塁打王に輝いた長距離砲だ。落合とのトレードでロッテへ移籍した牛島は、そのとき大島に「大島さんやったら、どうします?」と聞いたことがあったという。このときは「俺が25歳だったら行くな」と、牛島の背中を押すようなことを言っていたという大島。その次のオフには自身が投手の曽田康二とともに2対2のトレードで日本ハムへ移籍することになった。このとき大島は「お前に『行く』って言ったから、(自分も)行かなあかんやろ」と言っていたと牛島は振り返る。

 大島に続いて“白羽の矢”が立ったのは平野謙だった。大島の移籍で、「『やっさん、トレードですね』って話してたら、俺も出された」と平野は笑う。平野は82年は二番打者としてリーグ最多の51犠打を決めて貢献、86年には一番打者として48盗塁で盗塁王に輝いた職人肌。その新天地は黄金期の西武だった。


中日時代の平野

 大島、平野だけでなく、中日にとっても、このトレードは成功だった。37歳となっていた大島は日本ハムでも中軸を担い、移籍1年目から全試合に出場。90年には通算2000安打にも到達して、プロ26年目となる94年までプレーを続けた。一方、日本ハムから中日へ来た捕手の大宮龍男は若い中村武志をフォローするなどベテランの味を発揮している。平野は西武でも二番打者を務めて5年連続リーグ最多犠打。平野の存在によって、ますます西武の野球は緻密さを増した。平野との交換で来た小野和幸は、西武では一軍に安定した居場所がなかったが、中日で完全に開花。移籍1年目から18勝で最多勝に輝き、リーグ優勝に貢献している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

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