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【あの頃のロマンポルノ】藤田敏八監督の「もっとしなやかに もっとしたたかに」

キネマ旬報WEB

 彩子という闖入者は、安部公房の「友達」や鈴木清順の「悲愁物語」と違って、家を丸ごと乗っ取ろうとか、占拠しようとかの所有の思想がまったくない。出入り気の向くままの、しなやかさとしたたかさは、ニューファミリーすらも手玉にとって、70年代の風俗をコケにし、異質な感性を示威するのである。血族意識などなくたって、波長だけ合えば、家庭は形づくれる。血のつながりなど、逆に家庭という共同体には邪魔でしかない。その証拠には、彩子は父母の執拗な追跡からあくまで逃走者であろうとするではないか。

 他人の家庭の解体に手をかして、しかし、自分は家からも戸籍からも解放されようとする孤独な自由において、しなやかにしたたかな次代の“感性”は、交通事故にも不死身の強靱さを持っている。逆に災難から彼女を守ろうとしたニューファミリーの、やさしいがすでに薄よごれてしまっている“感性”(奥田)は少女の死の代理人となって礫死した。こうして、家庭なんどに、物欲し顔のヤツらを尻目に、新らしい“感性”はのびやかに生きのびた。夫婦を解体されてしまった妻も、腹ボテの身で煙草をふかし傲岸に生きのびる。藤田においては家庭はもはや構築する必要のない時代なのかも知れない。つくらなければ解体する必要がないのだから。

 スポーツに興ずる若者たちのトップシーンに一瞬とまどう。これまでの彼の作品にこんな健康な映像ではじまるのはなかったからだ。トップシーンが健康に映れば映るほど、対比して写し出された男女たちは、したたかに不健康であった。

 奇怪な闖入者の少女を代理人として見たような視線を持続する限り予感作家としての藤田はおとろえない。

 小林竜雄の脚本は、藤田の要請に十分応えてけんらんたる才に満ちており、森下愛子は「キューポラのある街」の吉永小百合に劣らないスケールをみせた。

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文・斎藤正治
「キネマ旬報」1979年6月下旬号より転載

 

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