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アル中患者の闘病記…奥底に突き刺さった「肉中のトゲ」

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、田中敏之氏の書籍『追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

仲間たち

回復のプログラムと言えば、日に三回のミーティングをこなすことだった。私はここで来くる日も来る日も、ひたすら自分の罪を告白し続けた。ほとんどは自覚なしに犯した罪だったが、中には、悲しんで犯した罪もあった。親不孝の数々はもとより、私を愛してくれた人々をあとに残して去ってきた。そうして私は多くの人々を裏切ってきた。

それは敗北を重ねた人生の絶望からきたものだった。その始まりは精神を病んで、学校生活から疎外されて、孤独になったことだった。信仰を得て、立ち直なおろうと、医者を志したが、受験に失敗した。それでも文系の大学に入って、学生運動に与(くみ)したが、落伍(らくご)して、仲間を見殺しにしてきた。田舎に帰って、様々の職を転々として、最後に新聞屋になって、自分の店を持ったものの、それも破産させてしまった。

そんな失敗ばかりの人生の中で、累々(るいるい)と重ねてきた絶望と罪がもたらした心の痛みが、飲酒欲求に変貌(へんぼう)していた。あまつさえ、私はいかなる労働にも酒無しには耐えられなかった。そして、ブラックアウト(記憶喪失)の中で暴れもしたし、耐(た)えきれなくて幾度も仕事を投げてきた。それがどんなに人の怒りを買ったことだろう。徐々(じょじょ)に社会から疎外されて、最後は風雪の田舎をさ迷って、この施設に入れられた。私はミーティングの中でそんな話を繰返(くりかえ)した。

勿論(もちろん)、仲間たちの告白に聞き入りもした。仲間たちが言ってくれるから、私も言えたのだ。告白すれば、心が洗われていくような気(き)がした。不思議なことに、私はそれによって飲まない生活が続き、危(あや)ういながらも回復していった。

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三ヶ月で体からアルコールが抜(ぬ)け、半年で脳からアルコールが抜(ぬ)け、その変わり目が苦しいが、一年耐(た)えれば、頭の中の靄(もや)が晴れると言われ、その一年を待ち続けた。

施設でのそんな日々の流れは、とても緩慢(かんまん)で一年先が果てしなく遠くに思われた。それでも一日一日を耐(た)え凌(しの)いで、過ぎ越していくうちに、九ヶ月を過(す)ぎる頃から、日々の流れが急に早くなった。私は施設の生活に順応して回復のペースに乗ったのだ。

そして、二年目、三年目と私は施設の生活に没頭(ぼっとう)した。過酷なまでに激しい矯正(きょうせい)生活だった。私はそれが自己を失うことであることはわかっていたが、中毒から回復するためには、それが必要なことを認めていた。勿論(もちろん)、私の脳の障害はそんな生活の中で、ゆっくりとしか回復しなかった。

それに飲酒と放浪で傷(いた)んだ体は、心臓、肝臓、腎臓、……と、様々の臓器の障害を併発していた。ことに酒を止めるとアレルギー反応が三倍になるとされ、一年目に引いた風邪が喘息(ぜんそく)となり、肺気腫(はいきしゅ)とも合併して、その症状(COPD)は三年を過ぎても取れなかった。年中、咳き込んでいたのだ。医者は怪訝(けげん)な顔をして、肋膜炎(ろくまくえん)でもしたのか、と私に問うて、私の肺がひどく傷(いた)んでいると言った。

それにその頃はまだ、雲の上を歩いているような足取りの覚束(おぼつか)なさが残っていて、いつになったら治るのか、ともすれば希望を失いそうになった。

それでも、施設に来て四年になろうとする頃、私はそんな症状を押して社会復帰して、プールの清掃の仕事に就いた。そこで私は肺を浸潤(しんじゅん)される感触に戦(おのの)くと共に、復帰する社会そのものに戦いた。それでも、祈りながら、一日一日を凌いでいくうちに、半年ほどで不思議に胸苦しさが取れ、社会に対する恐怖も消えていた。

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