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快晴で巡る宮殿。バイエルン州ミュンヘンのあれこれ

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、藤間敏雄氏の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行Ⅱ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

ミュンヘンあれこれ

北ドイツは薄曇りだったが、バイエルン州に入ると快晴だった。ミュンヘン空港は往路でも寄ったが、1992年に完成したばかりのガラス張りの超近代的な建物である。内陸空港としては、よくこれだけの広さを確保できたものである。地下から国電S8に乗り、田園地帯を走り40キロ南がミュンヘン市である。

道中つつがなく中央駅で降りタクシーでゼントリンガー門前のホテルに着いたのが午前11時。再びタクシー(22マルク)で都心から6キロ西のニンフェンブルク宮殿に着く(やや遠回り)。バイエルンのビッテルスバッハ王家は1918年の第一次大戦終結まで君臨したが、ここは200年にわたって19世紀中頃ルートヴィヒ一世まで造営が続いた夏の離宮である。

正面の眺めが実に広大だが、入口にたどり着いたら1時半まで昼休みということで、日陰を選んで待っていた。夏の離宮にしてはひどく暑い。

中に入ると、ひんやりとする。馬車博物館があり、金色の馬車がたくさんあり、陶器収集館と共にこの王家の並々ならぬ美意識を感じとることができる。細工物の巧緻さは、アマリエンブルク・ロッジに至って大理石と思われる壁に取り付けたロココ調の銀の装飾を見ると、これぞ本物と感服する。

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中間色の壁と良くマッチして、主棟中央2階と共に最も充実した芸術である。また庭園は広大で奥深く、明らかにベルサイユに張り合おうとしている。西洋庭園の幾何学的美しさを徹底させたル・ノートル方式は、それなりに調和の美を示し、見て快いものである。

宮殿前を市電が走っている。向かい側にビアガーデンが見えたので、そこで遅い昼食をとる。ラドラーというレモン入りビールが目先が変わって良かった。名物の白ソーセージも美味しかった。帰途は市電で「赤十字前」(因みにバイエルンの赤十字は王家四代目のルートヴィヒ二世が誘致した)まで行き、Uバーンに2回乗り換えてホテルへ着いた。初めての街にしてはうまく帰ったが、乗車券は市電・Uバーン合わせて3マルクで、これはほとんど均一である。

ミュンヘンはドイツ的な城壁都市であるが、現在では、それは取り払われてリング状の道路になっていることはウィーンに似ている。また、新市街はBMWの企業城下町として知られている。夕刻、翌日の下見に旧市街にいった。中心のマリエンプラッツまで行って、市庁舎と有名な廻り人形を見てから、夕食に世界一のビアホール、ホフブロイハウスへ迷路のような道を経てたどり着いた。

ここは宴会場と言ってよろしい。ズボン吊りに半ズボンの楽隊がマーチをドンチャカやって、中心部の人々は肩をくんで放歌高吟である。我々夫婦は恐れをなして、隅っこの方で飲んだ。ジョッキ大ビンが九・二マルク(約550円)である。つまみをもってきた給仕がソーセージを指して、精がつくよと猥雑なしぐさをする。欧州では珍しくまさに無礼講である。窓外を見ると、ビアガーデンが明るくて気分がよさそうである。支払い2人で30マルク。

食後、北の方に歩いていくと市電の通りがあり、ギリシャ風の巨大な建物があった。これはバイエルン国立歌劇場で、1992年、愛知県芸術劇場大ホールでサバリッシュ指揮のもと、市川猿之助の演出で「影のない女」でコケラ落とししたのは、ここのメンバーである。元来、戦前のミュンヘンは王朝の指導のもとに、「イザール河畔のアテネ」と呼ばれるようなグレコローマン風建築の古典的都市だった。第二次大戦で大半廃墟と化したが、復興後はドイツ風な民族色の濃い都市となった。

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