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【気象予報士という職業】蓬莱大介氏の場合【前編】「1日1回、天気予報の練習動画を撮ってました」

テレビドガッチ


テレビで毎日見る「気象予報士」。しかし、タレントやアナウンサーに比べ、その人となりを知る機会は少ない。

1993年の気象業務法改正に伴い、気象予報士試験がスタートしたのは1994年のこと。それまで一般向けに天気予報を発表できるのは、気象庁だけだったが、それ以降、有資格者であれば、自由に天気予報を発信できることになった。大雪や台風、地震など、ますます的確な気象情報が重要になる中で、今や誰から(どこから)天気予報を得るかも重要な選択肢だ。

そこで『情報ライブ ミヤネ屋』『かんさい情報ネットten.』『ウェークアップ』などで、オリジナリティあふれる気象情報を発信している気象予報士の蓬莱大介氏に、改めて気象予報士という仕事について聞いてみることに。彼は何を目指し、いかにして気象予報士になったのか。

【取材・文 井出尚志】

■資格試験の本を手に取った瞬間「これや!」と

--まず気象予報士を目指したきっかけを教えてください。

小さい頃から何か表現したり、ものを作ったりして、誰かを喜ばせるようなことができたらいいなぁと思っていたんですね。ただ、何ができるのか、そもそも何がしたいのかわからなかったので、高校生ぐらいまで兵庫県の明石市という田舎の片隅で悶々としてました。


高校生の時にバンドで文化祭に出たんですけど、みんなでワーッと盛り上がったりするのが好きなんですよ。テレビも大人の文化祭みたいじゃないですか。みんなでワイワイやって、誰かに喜んでもらう。それで作ってる側は「やってよかったね」と。そう思えるようなことがしたかったんです。

--そこからどう気象予報士につながるんですか。

それで、まずしたいことを探そうと、東京の大学に行きまして。バンドをやったり、演劇をやったり、「とりあえずやってみる」をモットーに、いろんなことに挑戦して、大学卒業後もアルバイトをしながら俳優を目指してたんですけど、25歳の時に「自分には向いていない」と感じたんです。

そこで、とりあえず、いろんなキーワードがある本屋さんに3日間通って、その中で自分の心のアンテナに引っかかったものをやろうと。その時に「これや」と思ったのが気象予報士の資格だったんです。

--どうして、これだと思ったんですか。

本を手に取った時に、「もしかしたら自然のことや空のことを伝えることで、人の役に立てるんじゃないかな」と思ったんですよね。子どもの頃から勉強は苦手だったんですけど、おじいちゃんと外で遊ぶのが好きで、生きものを捕まえたり、釣りをしたりしてたんですよ。

それと、小学校2年生の時に「生きもの係」で。例えばカメを捕まえて、教室の水槽に入れて、「ミドリガメが大きくなるとアカミミガメになって、その正式名称はミシシッピアカミミガメで、これはもともと外国から入ってきたもので、それを外来種と言って……」みたいなことを紙に書いて教室の後ろに貼り出したり、黒板に書いて、みんなに教えたりしていたんです。

その時、先生に「蓬莱君は生きもののことを教えるのが上手だね」「蓬莱君は生きもの博士だね」ってホメられたことを、気象予報士の本を手に取った時に、ふと思い出したんです。「あ、そうだ。自分は生きものや植物や空が好きやったなぁ」「それを伝えるのがもしかしたら向いてるんじゃないか」と。

だから、子どもの頃は、勉強も苦手だし天気予報にも興味がなくて。天気図を見るのが好きだったとか、そういうタイプでは全然なかったです。

■キャスターを目指して試験に来る人は少ない

--蓬莱さんが25歳の時というと、15年ぐらい前です。今でこそ気象予報士はよく知られた存在ですが、当時はいかがでしたか。

当時は「お天気おじさん」が一般的で。90年代ぐらいまでは、森田正光さんや福井敏雄さんなどのベテランが天気予報を解説するのが普通だったと思います。で、2000年代になると気象予報士の資格有無にかかわらずお天気原稿を読む「お天気お姉さん」が出てきて。その時はまだ「お天気お兄さん」というのはいなくて、「誰もいない分野だからチャンスがあるのでは」と思っていました。

--気象予報士を目指すにあたって、具体的にどう勉強を始めるんですか。

今はもうなくなってしまいましたが、当時は気象庁の「気象業務支援センター」というところが勉強を教えてくれていたので、そこに半年ぐらい通いました。今は、例えばよくCMでみかけるような通信講座だったり、森田正光さんが起ち上げた「クリア」など気象予報士になるための予備校のようなものがあるので、そういうところに行くのが近道だと思います。

--蓬莱さんは一発合格だったんですか。

気象予報士って1年に2回(1月と8月)試験があるんですけど、試験は「一般知識」「専門知識」「実技試験」の3段階に分かれています。でも、その3つを一度に合格する必要はなくて。ひとつ合格すると、その有効期限が1年間あるんです。だから、例えば1月→8月→1月という感じで、1年間かけてひとつずつ受けてもいい。僕もひとつずつ受けました。勉強し始めてから受かるまで2年ぐらいかかりました。

--例えば、どんな問題が出るんですか。

一般知識で問われるのは「物理学」や「流体力学」、「熱力学」などです。天気って、学校では「地学」で習うじゃないですか。でも、天気って地学だけじゃないんですよ。例えば「今のこの空気が次はどこへ移動するか」というのは物理学の法則を使って、コンピューターで計算するんですね。それで明日の天気を予想していくんです。なので、その天気予報の大元になるところを理解するのに、物理学、流体力学、熱力学など知識が必要なんですよ。僕からすると、これが一番難しいですね。

で、専門知識は「気象業務法」という法律についてだったり、温帯低気圧の仕組みとか注意点とか、台風はどういう仕組みになっているのかとか、そういったことが問われます。

--出題形式は?

一般知識と専門知識はマークシート方式で、それぞれ15問ずつ出て、だいたい7割ぐらい正解すれば合格できると思います。実技試験は「実技」と聞くと、天気図を見ながら何かを解説するみたいなイメージを持たれるかもしれませんが、文章問題です。天気図を見て、問いに対して筆記で答えていきます。

--最近は気象予報士の資格を取るタレントさんなども多いですが、どんな方が受けに来るんですか。

あくまで印象ですが、年齢層は比較的高めで、仕事につなげたいというより、趣味に活かしたいという人が多いのかなぁという気がします。例えば「釣り」とか「山登り」とか「パラグライダー」とか、アウトドア系の趣味の人は多いですよね。

もちろん、仕事関係の人もいるんですよ。農業をされているとか、中学や高校の理科の先生だったり、最近だと保険会社の人とか。近年、自然災害が多いことから職場での需要があるのだと思います。あとは、シンプルに天気に興味がある人が腕試しで来たりもします。

ただ、「キャスターを目指して」という人は意外と少ないと思いますね。そういう人は雰囲気が違いますから、試験会場にいるとひと目でわかるんですよ。

--なんで少ないんでしょう?

僕も合格してから気づいたんですけど、そもそも合格率が5%前後で、試験自体が難しいんです。例えば、試験会場に受験者が100人並んでいたら、前の5人しか受からないんです。そうして受かった気象予報士合格者は全国で約1万人います。その中で天気の仕事をしている人は2000人ぐらいと言われてるんです。で、その2000人の中から、全国でお天気キャスターをしているのが、たぶん2~300人ぐらい。そう考えると、お天気キャスターになるのは相当狭き門になります。当時の僕は資格を取ったら、すぐにお天気キャスターができるもんだと思ってました。その業界の実情を受かってから知って、「えーっ」と思いました(笑)。

■動画はボロカス言われました

--蓬莱さんはどうやってお天気キャスターになったんですか。

僕が合格した頃は、男性キャスターになりたければ、天気の仕事での業務経験が10年は必要だと言われました。あとは「大学で気象の研究を何年もしてました」とか。でも、僕にはそんな経験がありませんでした。

それで僕が考えた作戦は、天気予報を1日1回練習して、それを動画に撮ることだったんですよ。ちょうどiPhoneが出始めた頃で、それを使って動画を撮ってました。

--どんな動画ですか。

インターネットでその日の天気図を探してきたり、気象庁のホームページからお天気マークをプリントしたりして、画用紙に貼り付けるんです。それをフリップ芸みたいにめくりながら天気の解説をしました。

練習は東京のいろいろな場所でやりました。公園だったり、テレビ局の前とか。

--外でやった理由はなんですか。

度胸をつけるためもありましたし、今のユーチューバーじゃないですけど、犬に吠えられたり、ハプニングが起きるのもシーンとしておもしろいかなぁと思ってたんですよ。それこそ結婚する前に、奥さんとのデート中、遊園地やアヒルボートの上からもやりました。

そうやって撮り溜めた動画を、当時はまだタレントでしたから、業界関係者に見せて回ったんです。「こういう天気の仕事がやりたいんです」「知り合いに天気の関係者いないですか」って。あとは気象予報士に合格した人たちが集まる天気の勉強会があって、そこで気象関係の仕事をしてる人に会ったら、その人たちにも見せてました。

--動画の反響はいかがでしたか。

いや、ボロカスでしたよ(笑)。それこそ尊敬する森田正光さんにも「つまらない」とか「こんな小さい画面で見づらい」とか「しゃべりが下手」とか散々で。何年か後に、本人にお会いしてこの話しをしたら爆笑していました。ほとんどの業界関係者から総スカンでしたね。

でも、当時NHK名古屋でお天気キャスターをしていた植木奈緒子さんが、動画を見た時に、「こんなにやる気のある人に初めて会った」と、その場でウェザーニューズに電話してくれたんです。「今、私の隣に将来絶対に有名になる、キャスターをやりたいと言っている男性がいるので話してみて下さい」と電話を代わってくれたんです。

--すごい!

それで、電話でウェザーニューズの人に「僕はこういう練習をしてます」「できればお天気キャスターになりたいんですが、どんな仕事でもいいからやらせてください」と言ったら、「じゃあ、まぁ、来てみてください」と。

で、次の日に行ったら「とりあえずアナウンサーさんが読む原稿を書く裏方の仕事をしてください」と言われて、原稿を書くアルバイトを始めることになったんです。それが気象予報士に合格した半年後ぐらいでした。

--原稿を書く仕事はどのぐらいやられたんですか。

3か月ぐらいですね。3か月ぐらいしたところで、「読売テレビで人が足りない。蓬莱君は関西出身だから、そっちへ行ってくれないか」と言われたんです。

それで、地元の関西に27歳の時に戻ってきました。最初の1年間は、当時お天気キャスターだった小谷(純久)さんに付いて、原稿を書く仕事などもしながら、いろいろ勉強させてもらったんですが、1年経った頃に、小谷さんが「次の世代にバトンタッチしたい」となり、読売テレビがお天気キャスターのオーディションをすることになったんです。

それでオーディションに参加したんですけど、「他のテレビ局でやってました」とか「今までやっていた番組がちょうど終わったので」とか、いろいろな経験者が来ました。普通だったら勝てないじゃないですか。

でも、読売テレビで勉強させてもらっている間も、1年間ずっと、仕事が終わったら必ず居残って、iPhoneで練習動画を録り溜めて、プロデューサーとかにもちょくちょく見せていたんですよ。そうすると、「もうちょっとこうした方がいい」とか、いろんなアドバイスをもらえるんですね。

で、それを改善して、また見てもらうことを続けていたら、「こいつはやる気があるな」とか、「ちょっと上手くなってきたな」という成長過程も見てもらえてますよね。そういうところをアドバンテージにして、オーディションを勝ち抜きました。

ある意味、運がよかったです。
えっ、ズルくはないですよ。作戦勝ちです。笑

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次回(後編)は、テレビ初出演時の大失敗や出演中のレギュラー番組での苦労話、テレビで天気予報を伝える難しさや工夫、葛藤などについても聞いた。
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プロフィール
蓬莱大介(ほうらい・だいすけ)
気象予報士・防災士。1982年兵庫県明石市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2011年読売テレビ気象キャスター就任。 現在、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」「かんさい情報ネットten.」「ウェークアップ」にレギュラー出演中。読売新聞(全国版)で連載記事「空を見上げて」を執筆。
著書 「クレヨン天気ずかん」(2016年主婦と生活社)
「空がおしえてくれること」(2019年 幻冬舎)

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