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「あの意地悪な姑が…」母が語った、戦時中の嫁姑事情

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、佐東千津氏の書籍『午後の揺り椅子』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

親腹七日(おやばらなぬか)

母が長野で一人暮らしをしていた頃、私は毎年お盆に帰省した。母の食事の盛り付けは何でも『たっぷりに』が基本である。

「『親腹七日』っていうからなあ、たくさん食べていけ」

とよく言われた。

『親腹七日』とは実家に帰ったらたらふく食べて、婚家に戻っても七日間はひもじい思いをしなくて済むように、という意味である。それからお酒の好きな母は、飲めない私を相手にいつも同じ話をした。

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母の実家は農家で、戦争中もそれほど食べ物には困らなかった。嫁いだ先は舅が県庁に勤めていた。父が出征したあと、小姑三人を含めて家族六人、食べ物に不自由したらしい。食事は粉ものとか芋とか、母の苦手なものが多かった。

「栄子におにぎりを一個、昼休みにこっそり持ってきてくれるように頼んだのよ」

と言う。運よく妹の栄子叔母が、嫁ぎ先の近くに働きに来ていたのである。

しかし今と違って携帯電話があるわけではない。彼女は昼休みにおにぎりを持って、母の家の近くをうろうろする。しかしそうと気づいたかどうか、姑は母が外に出られないよう、用事を言いつける。妹はそのうち職場に戻ってしまう。母はおにぎりにありつけない。

「あの意地悪な姑が……」

と、話す度に腹を立てている。

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