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歴史ある美しい宮廷都市…ドイツの「ドレスデン」を巡って

幻冬舎ゴールドライフオンライン

本記事は、村野憲政氏の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

イギリス空軍による戦争犯罪? ドレスデン爆撃

水曜日からロンドンの現地法人の検査が始まり、2週間ほど拘束され時間的余裕が無いこと、および今回のヨーロッパ観光が4日間でもあり前篇・後篇と2つに分けることとしました。

1月中旬も検査の応援で拘束され、ヨーロッパ観光の方は2月続けて予定通り進みそうにありません。後篇は別途電子メールします。

 

デュッセルドルフ支店出張後、2月7日(土)朝6時半の飛行機でザクセン選帝侯国、ザクセン王国[1]の首都であったドレスデンに向かいました。

ドレスデンは1945年2月13日イギリス空軍の爆撃で完全に破壊され住民だけで3万5千人、東方からの避難民を加えると十数万人とも言われる犠牲者を出しました。

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市内には軍事目標はなく、広島への原爆投下と同様連合国側による戦争犯罪とも言われていますが、歴史に詳しいイギリス人の同僚欧州監査室課長のQさんに聞いたところドイツ軍のV2号ロケット弾の攻撃に晒されたイギリス国民がドイツに対して報復を誓った時代背景があるとのことでした。

何事にも当事者にはそれなりの理由(言い訳)があるものです。ホテルで朝食後、午前中の半日バス・ツアーで、ザクセン選帝侯でポーランド王でもあったアウグスト1世(在位ザクセン選帝侯1694年~1733年、ポーランド王アウグスト2世1697年~1706年、1709年~1733年)によって18世紀初頭に夏の離宮として建てられたピルニッツ宮殿まで行きました。

ドレスデンはボヘミア盆地の水を集めたエルベ川が北ドイツ平原に流れ出すところにあり、エルベ川沿いに上って行くと山がちになり白い雪が目立つようになります。

さらにエルベ川・モルダウ川を100キロあまり溯ると2週間前に行ったプラハまで到達します。ちなみに神聖ローマ帝国の皇帝を7人の選帝侯が選挙する制度を定めたのはプラハに帝国の首都を置いたカール4世(在位1346年~1378年)が1356年発布した金印勅書です。

16世紀以降神聖ローマ皇帝位はオーストリアのハプスブルク家の実質的な世襲になりましたが、1806年のアウステルリッツの戦いでオーストリアがナポレオン1世(在位1804年~1814年、1815年)に敗北したことにより神聖ローマ帝国が解体されザクセン王国となるまで選帝侯国としての地位を保ちました。

雪に覆われた冬枯れの庭園に囲まれ、冬の日差しを浴びて立つピルニッツ宮殿は瀟洒で美しいのですが冬の間は残念ながら内部の見学はできません。

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