両足がない場合、もちろん車いすを選択する道もあります。でも、僕は両足だけでなく、右手もない。左手だけで車いすを漕ぐと、右へ逸れます。まっすぐ進むには左右の車輪を交互に漕ぐ必要があります。練習して、平坦な道ではその操作ができるようになりましたが、坂道では手を離した瞬間に動いてしまい、できません。
自力で立って歩きたいという意志と、車いすの難しさ。「義足か、車いすか」の選択肢があった時、僕としては迷わず「義足で歩く」ことを選びました。
横浜の病院に3か月ほど入院した後、2012年10月に国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)へ移り、義足で歩くリハビリを始めました。
まず、膝がある右足用の下腿義足を作るため、足を採型しました。右足だけで、リハビリ用のバー(平行棒)につかまって立つ練習を始めました。
立ち上がるとめちゃくちゃ痛いんですよ。断端(切断して残った足先)が重心を支えるのに耐えられない。体が慣れていなくて、激痛が走ったのをよく覚えています。全然思うようにいかなくて、もどかしく、悔しかったです。
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でも、立ち上がった瞬間、物凄い感動もありました。「こんな高さだったんだ」と。事故の後は車いす生活。立ち上がることができませんでした。もともとの身長は176センチです。その高さの景色を3か月ぶりに見て、自然と涙が出るような感動を覚えました。
左足の大腿義足は、ひとつ間違えると曲がってしまう
膝がない左足用に、大腿義足という膝の機能があるものを作ってもらうと、両足義足での練習に移ります。最初は左右どちらかの足に少しでも痛みがあると、全く歩けない。
それからは、バーの間を往復する練習の繰り返し。大腿義足は、歩く時はしなやかに膝が曲がったり伸びたりしますが、ひとつ間違えると意図せずカクっと曲がってしまいます。
もう片方の足があれば咄嗟に支えられますが、僕は両足とも義足なので、左膝がうっかり折れると踏ん張れずに転んでしまいます。膝カックンをされて崩れ落ちるのと同じです。「この辺りで体重をかけると、膝が曲がるな」という感覚を少しずつつかんでいきます。
義足は本当に繊細です。自分の足に合わせて作ってもらっても、多少ずれが出ます。足自体が、採型した時より細くなったり太くなったりします。1日の間でも変わります。
最初からぴったりの義足にはならず、作り直しや調整を繰り返します。義肢装具士の方には本当に何度も試行錯誤していただき、僕の足に合った義足を作っていきました。
バーを使って歩けるようになったら、PT(理学療法士)の方の背中などを掴んで歩く練習です。YouTubeにはリハビリ動画も公開しているので、よろしければどうぞ。
1人での外出許可は「自転車に乗れるようになった子どもみたいなワクワク感」
リハビリでは当初から「杖を使わずに1人で歩けるようになりたい」と伝えていました。それには「1年から1年半ほどかかる」ということでした。
1日でも早く1人で歩けるようになりたくて、必死に練習しました。毎日義足を履くのはもちろん、PTの方とのリハビリは1日1~2時間なので、それ以外の時間も義足を履き、万歩計をつけ、院内をひたすら歩き回りました。徐々に、PTの方に支えられながら、駅までの往復など院外へ行けるようになっていきました。
変化があったのは12月。「杖を使えば1人で歩いていい」と外出許可をもらいました。それからは本当に楽しくて、ずっと歩いていました。
自転車に乗れるようになった子どもみたいなワクワク感でした。漕ぎたくてしょうがない。それと同じです。寝ても覚めても歩きたくてしょうがなかった。手足を3本失ってから初めて1人で外出できるようになり、「自分の力で自立をつかみ取れた」という気持ちでした。
年が明けて2013年1月ごろには、杖なしでも1人で歩けるようになりました。「1年から1年半」と言われていた中、リハビリ自体は4か月くらいで終えることができました。最終的に退院したのは、入院から半年後の3月でした。
退院から9年近く経ちました。義足で歩けるようになり、これまで水泳や陸上競技などスポーツに挑戦したことがありました。
この体でできることは、今後もどんどん増やしていきたいです。いろんな可能性をもっと探りたい。たとえば、スキューバダイビング、スキーやスノーボードはいけるか、といったことにもチャンレジしてみたいです。
手足が3本ない体で、義足を履くことで何ができるか。残った片腕で何ができるか。それを示していくのが、YouTubeをはじめとした僕の発信で大事にしていることです。
(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)